Legend1,『ネジャンナ共和国』

 人口3億人弱の、大小いくつもの島が連なる国であるここネジャンナ共和国。直近数十年で途上国とはもはや言えない、急発展を遂げた赤道直下の諸島国のひとつだ。


 この国の広さは世界12位。公用語はネジャンナ語だけれど、昔は島ごとにヨーロッパのどこかの植民地だったらしくて、そこの言葉を話せる人も多いらしい。よく知らないけど、第二次世界大戦の時のこともあって日本語が話せる人も多いとか。


 ヤーナが日本語を話せるのも、そういう理由があるのかな。


 首都のジョコビにあるジョコビ空港から外に出ると、日本の夏でさえ比べ物にならない、この世のものとは思えない熱気と湿度と、少しだけ香る甘い匂いにクラクラした。


 なんたってこっちは、主に日本のクーラーの効いた快適な室内で、いっつも飽きもせずにゲームしたりして配信しながら過ごしているものだから、外を出歩くこと自体が日本においてでさえ少ない。こんな肌を焼き尽くすかのような強い日差しは、いまや重症のネクラ陰キャである私にとっては、殺人的であると言って過言じゃない。


「あー、ミスったなー。空港の中で待ち合わせにすれば良かったんだぁ……」


 持っている段ボール1枚ですら重く感じてしまう。汗が急に頬をつたって、私は掌でそれをぬぐった。汗とまざった日焼け止めの感触が気持ち悪い。


 遠くを眺めると大きなビルが乱立していて、陽光に照らされて眩しいくらいに輝いている。そのビル群は東京と比べても遜色ない。


 手に持っている段ボールには日本語で『青天の霹靂』と書いた。二人で決めた目印。これでヤーナに出会うことができなかったら、私は言葉も伝わらない異国の地で迷子になってしまうだろう。時刻はこちらの時間で正午。時差ボケはないけれど、なんだかお昼だって分かったらお腹が空いてきた。お腹が空いてるってことは、あんまり不安じゃないのかな、私。


「あ……」


 どこか遠くから、人がなにかを唱えるような音が響いている。ヤーナに聞いていたけれど、これが礼拝の合図なのだろう。日本の空港にも礼拝室?だったか、そういうのが増えてきているみたいで、出国する前に気になって確認しちゃった。


 決まった時間に神様にお祈りって、日本ではあんまり考えられないんだけど、この国では普通のこと。

 そういうのがなんだかすごく新鮮で、良い意味でカルチャーショック。すごくワクワクしている自分がいる。


「センパイ?ぼーっとシてると、ユーカイしマスよ?」


 日本語で、コラボの時に聞き慣れた声が後ろから響いた。振り返らなくても分かる。ヤーナの声だ。


「ハジメマシテ~、でアイサツは合ってマスか?」


「……え?……あ、うん。合ってると、……思う」


 彼女の容姿を説明したいんだけど、でもなー。やっぱバーチャル配信者の中身って、視聴者によってはタブーじゃん?

 かと言って、中身ありきの私たちなワケなんだけどさ。

 でも、バーチャル配信者に中身なんてないって、そう信じてる人も一定数いるわけよ。配信者の中にもいるくらいなんだよ?バーチャルの姿が本当の私ってさ。まあ、そういう人は飛ばして読んでくれる?手間かけてごめんね。


 白いマスクをしているけれど、カワイイって、そう思った。お化粧もばっちりで、付けまつ毛もしてるかも。アイラインは確実に引いてる。キャットアイ風かな。すごく美人さん。身長は160センチくらいだと思う。私よりも少し高い。日焼けしたような東南アジアの人の羨ましいくらいに眩しい肌の色。目が大きくて、ドキドキしてる私の心を見透かされてそうなくらい。コミュ障の私には眩しすぎて数秒も目を合わせられない。ストレートのロングの黒髪は、艶々していて日差しが反射してキラキラしてる。細身の体躯なんだけど、胸は私より大きい、認めたくないけれど。身体の線が分かるくらい小さめの明るい緑色のTシャツに、スキニーの黒いダメージジーンズ。あ、ヒールを履いているから、もしかしたら身長はスニーカーを履いている私と同じくらいかもしれない。ピアスかな。イヤリングかな。シルバーの大きな輪っかが右耳にだけついている。


 飛ばして読んだ?


 シルバーの腕輪と指輪が付いた彼女の手が、案件でもらったキャラクター腕時計をつけた私の手をつかんだものだから、心臓が口から出そうになった。


「センパイ、かわいいからナンパされちゃいマスよ?早くワタシの家に行きましょう。ワタシは車でキタのでした」


 駆け出す。優しい香水の香りがした。


 うーん。

 きっと普通ならさ、ドキドキわくわくするようなシチュエーションなんだろうと思うんだけれど。

 私はこう思ったわけ。


 ヤバイな、と。

 絶対アレだな、と。

 この後輩、どうやらアレだ、って。


 陽キャだなって。


 オシャレだしさ。


 だってこっちはさ、頑張って服装には気をつけたつもりだけどさ。香水なんか生まれてこのかた付けたことなんてないし。会社のイベントでもらった黄色いポロシャツだし。胸に『Laughing』ってゴシック体で黒く書いてあるやつ。下はスポーツブランドのゴワゴワした白いハーフパンツだし。化粧も最低限だし。日本で数時間前に1,000円で買ったサングラスだしさあ。


 そんでさ、ここは彼女の国なわけじゃん?日本じゃないわけじゃん?


 穴があったら入りたいっていうけどさ、国に帰れたら帰りたいよ、正直。


 眩しいくらいに輝いているヤーナが、空港前の熱そうなアスファルトを横断していく。

 陰キャの私はいつものように目を伏せて、彼女に手を引かれるまま、とぼとぼと付いていくことしかできなかった。

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