Legend3,『昨日の敵』
アリゾナ州トレイオにあるテクノロジー・ソフトウェア開発企業『エジソニア』は、7年前に起こった輸送機器メーカー『XYZ』による株式の敵対的買収劇によって経営陣がほぼすべて入れ替わり、現在は世界で3番目の大富豪レオナルド・ハーマンがCEOを務めている。
「ふっふっ……、はっ……、オレンジ・プロジェクトの進捗を報告しろっ」
無駄ぎらい。気まぐれ。
というのが、彼と一度でも会話をした者なら必ず抱く印象である。
黒いTシャツに短パンという格好で、額から汗を流しながら、彼はランニングマシーンで駆けている。
役員会議中である。
機械のメーター部分にはカメラが取り付けられており、どこまでも広い彼の家のトレーニングルームには、天井に取り付けられた特注のスピーカーから、リモート先のこれまただだっ広い会議室に座る、スーツ姿の役員たちの声が響いていた。
「ご指示通り、フルダイブを前提としたオンラインモジュール開発を続行しています。ハードウェア、ソフトウェアともに完成度は4割というところです」
広い部屋の天井にはプロジェクタが取り付けられており、360度回転が可能だ。映し出された壮年の男性に向かって、レオナルドが微笑んだ。
「はっ……はっ……、やるじゃないか」
その言葉に、禿げ上がった額に浮かぶ汗を白いハンカチで拭きながら男は言葉を選ぶ。
「ゆ、優秀な人材の賜物かと思わ……」
瞬間、レオナルドの表情から笑みが消えた。
「来月までに80%を達成しろっ!……ふっ……はっ……」
「そ、そんな…………」
言葉に詰まる男に、レオナルドは容赦なく言葉を続ける。
「何度も言わせるなっ!メタバースの可能性は、すでに周知のことだ。わかるか?周知のことなんだ。誰もが、次はコレだって分かってる。期待してる。待ってるんだぞ?すでに……、すでにだ!多くの
怒声は反響して、トレーニングルームのスピーカーにはレオナルドの声が二重になってこだました。
「ぜ、善処いたしま……」
「当たり前だっ!……次は提供するコンテンツについてっ!先週の、ユーザーにゲーム感覚で現実世界の貨物を無人運転させる案はなかなか良かった。っぐ……、バーチャル配信者の引き抜きはどうなった?」
ランニングマシーンのレベルが上がる。機械音が大きくなり、レオナルドの感情を表すかのように、それを踏む彼の足音も回転も上がっていく。
「あ、はい。昨日メールでお伝えした通り、グウェンへは会社へも個人的にも話を伝えていますが、なかなか難し…………」
「メールはすでに目を通しているっ。それを……ふっ!……なんとかするのが、君の仕事だと思うんだが?私がメールを読んでから14時間だぞ。君はその間、なにをしていたんだ?」
間髪を入れずにレオナルドの指摘が飛んだ。会議室の悲痛な静寂が、スクリーン越しにもスピーカー越しにも伝わってきている。
いつものことだ。
この会社はレオナルドの我儘と現実との微妙なレベルでの反り合わせによって成長してきた。
極端に言えば、彼の夢想が実現することで、この会社は成長を続け、現在の栄華に至っているのである。
指摘を受けたブロンド短髪の若者が、臆せずに口を開く。
「お言葉ですが……、他のアイドルやロックスターに出演を依頼してはダメなのですか?現実世界のスターに……」
ランニングマシーンの音が止み、画面から落胆した表情のレオナルドが消えた。スポーツドリンクを飲む喉を鳴らす音が連続して聞こえ、レオナルドが乱暴にタンブラーを投げつけた音が会議室に響いた。
「君のデスクを片付ける指示を、俺に出させたいのか?……ウィーザーが聴きたいならライブハウスやらフェスやらに行けばいいだろう?」
「なんでウィーザー……?」
カメラの外から聞こえるレオナルドの声に、女性の小さな声でツッコミが入った。残念ながら、レオナルドはそれを聞き洩らさない。
「エレナっ!私語はミュートしてからにしろ!」
「す、すみません」
慌てて謝る声がスピーカーに入る。
「ワンマンが過ぎるぜ、まったく……」
今度は男性の小さい声。
「いまのは誰だっ!」
カメラがレオナルドの顔を捉えた。運動後のためか怒りのためか、真っ赤な顔をしてカメラを睨む大きな顔が、画面いっぱいに広がっている。
「ヤっベ……あ、あの、提案なんですが、会社ごと買い取っちまえばいいんじゃないスかね?たしかグウェンは、日本のスマホソフト開発会社かなんかに所属してましたよ?……株式は上場してたハズなんで、この会社にそうしたように、敵対的……じゃなくても友好的でもいいんスけど、買い叩いちまうってのはどうです?」
なにかを誤魔化すかのような長髪メガネの男の提案は、実を言うと的を射ている。方法はいくらでもあるのだから、会社ごと乗っ取ってしまうのはどうか、ということだ。
そもそも、アメリカで活動するディーバを小さな島国の小さな事務所が完璧にマネジメント、プロデュースできているのか、という疑問は、ネット内でも長く議論されているほどホットな話題だ。
大国のスターは、大国の所有物であり、大国の利益でなければならないのではないか。
そんなナショナリズム染みたことを声高に叫ぶ意見も少なくない。
「私からも失礼します。日本の企業に所属するバーチャル配信アイドルには『ハコ』という概念があるそうです。現実世界のアイドルに対して古くから存在している考え方のようですが、所属している企業やグループごと応援する、というもののようです。ですから『ハコ』から連れ去るようなことをなさるよりは……」
「その説明はいい。どうせ理解できん」
すでにレオナルドの息は整っている。そんな冷静な頭でも、日本のアングラ文化に対する理解は彼には難しかった。それが会社の利益に繋がるなら話は別だが、彼にはどうにもそうは思えないのだった。
「し、失礼しました」
「……だがラフィングごと買い取るというのは無茶な話ではないな」
思案する表情。最初に提案した長髪男が、ここが天王山とばかりに口を開いた。
「スよね?ちょっとお耳をお借りしたいのですが、実は友好的買収の話をすでに先方に…………」
「あ、なんてこった!」
素っ頓狂な声にプレゼンが中断した。
「どうした?」
画面が切り替わり、さきほどの禿げた男性が今度はトレーニングルームのスクリーンに画面いっぱいに映し出された。レオナルドはその顔に不快感を隠さない。
「そ、その話題のグウェン・アラネアなんですが……、配信中のドラッグ使用で、たったいま炎上してますっ!」
「……マジかよ。配信中に?」
長髪男が頭を抱えて天井を仰いだ。
「…………………………」
全員が全員、言葉を失っている。
そんな中で、レオナルドは顔面に浮き出ていた汗をタオルで拭いた。
ため息。
「これだ。……これだよ。今のグウェンに対する7分間の長話が、すべて無駄になってしまった」
そのまま振り返って、力任せにタオルを中空に投げる。その姿はしっかりと、会議用のカメラに映っていた。
「これだから、私は人間が嫌いなんだ。会社でドラッグやってたあのゲーム会社に入った時から、私は人間とドラッグが大っ嫌いなんだっ。……わかった。私の前でもうグウェンの話はするんじゃないぞっ!」
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