Legend2,『双子星』

 一年前。


 双子のバーチャル配信者、いや、元『orionJP』一期生のメンバーである、冬花キキ、冬花ララの中身は、卒業ライブを終えた二日後の昼には、二人で小型船舶に揺られていた。


 向かったのはネジャンナのとある島。


 首都ジョコビからは電車で3時間。港町で宿泊して、そこからは船で2時間の旅だった。


 双子は、というと、姉のキキは得意のFPSゲームなどで三半規管が鍛えられていたためか、この長旅は特にダメージはなかった。


「お姉ちゃん……、私たち……、双子じゃなかったっけ?……なんで平気なの?」


 長い黒髪を海風に乱しながら、妹のララが痩躯をくの字に曲げて船体の端に両手を掛けている。

 その姿も見ずに、ララの背後、つまり甲板の中心で腕を組みながら海を眺めている姉からは、なんの返事もない。


 ララの振り絞ったような声は、波とカモメの鳴き声にかき消えてしまっていた。


 姉のキキはというと、体幹が良いらしく、仁王立ちとも言える腕組み直立不動を乱さない。ソバージュの黒髪が潮風に逆立って、まるで何本も角の生えた鬼のようにも見えた。


「なあ、船長さんっ!死んだオレ達の親父も、きっとこうやって、海を眺めていたんだろ!?」


 姉の声に、背後の操舵室で舵をとる老齢の男が視線を向ける。咥えた煙草をつまんで、紫煙とともにそれを口から外した。


「いま少佐のことを俺に聞いたかい?……よくぞ聞いてくれたっ!」


 海の男というのは往々にして、波音に負けないよう声が大きくなりがちだ。そんな島訛りのあるメジャンナ語の大きな声が、妹ララの三半規管を刺激する。


「ちょ、ちょっと……、ふ、二人とも……、静かに……うぅ」


 思わず日本語が出てしまったのだが、そんな声はもちろん、二人には聞こえない。

 立派な白髭をたくわえた老人の言葉に、自身の読み通りであろうことを姉のキキは悟る。


「さすが親父だ」


「そっちの嬢ちゃんみたいに、ヒィヒィ言いながら、いつも真っ白けな顔になってたよ!ハッハッハ……、いかんいかん。懐かしくて涙が出てきおった。ハッハッハ!歳は取りたくないもんだっ!」


 仁王立ちしていたキキの腕が解かれ、老人を振り返った彼女は首をがっくりと落とした。


 老人が再び、煙草をくわえて煙を燻らせる。


「まだ着かないか、まだ着かないかってなぁ、俺ぁ何十回、何百回聞かれたかわからん。あれは間違いなく、英雄の唯一の弱点だったなぁ…………」


 そのまま、手首で目尻をぬぐった。


 首を曲げたままのキキだったが、その様子を見て、優しく微笑む。


「英雄、か……。まったく、自慢の親父だぜ」


 ぼたぼた……、とララが海に向かって嘔吐している。


 一昨日の晩は唄って踊ってコメントを賑わし、誰よりも輝いていたアイドルだったような気がするが、海外に来てしまえば、海に出てしまえばこんなもの。

 初めて来た国。初めて見る景色。初めての二人旅。


 初めて上京した当時だって、こんなにワクワクしなかった。


 その時だった。

 そんな浮ついたキキの感情をまるで察知でもしたかのように、妹のララが反応を見せる。


 振り返り、船体よりも真っ白い顔を苦悶と怒りの表情にさせて、口をタオルで拭いながら口を開いた。


「ねえっ!……まだ着かないの!?」


 船長とキキの目が合う。

 二人で鼻で笑って。


 到着する島には酔い止めの薬が売っていたらいいな、と感慨深く思うキキなのだった。


「ほら、双子さんたちっ!島が見えたぞ!」


 煙草を吸い終わった老人が、ことさら大きな声で二人に伝える。


 緑色のかたまりが、海上の向こうにポツンと見えている。だんだんと、じわじわと、それが確実に大きくなっていくのを、二人はずっと、眺めていた。




 最初に島に足を付けたのは、当然のようにキキだった。


 港は小規模で、海岸から伸びている橋も木製だ。ところどころが腐って落ちている。ぎぎぎ、と踏んだ橋が音を立てるのが、キキの耳に響いた。

 周囲は閑散としていて、向こうに杖をついた壮年の男がいるだけ。波音でさえ、遠慮でもしているかのように、等間隔な小波しか立てていなかった。


 しかし、向こうに見える白いYシャツを着たその杖の男が、自分たち姉妹の目的の人物であることを、瞬時にキキは悟った。


 そういう、オーラがある。


 静かに、彼女は手を上げる。遅れて、向こうで男が杖をひょいと掲げた。


 手を降ろし、歩みを進める。


 革命の、一歩。


「うわぁ、っとと……」


「妹さん、気をつけな。たまに橋が崩れるから。っと、あと、あの人は昔から、めちゃくちゃ怖い人だからな。頼むから失礼のないようにしてくれよ?この歳になって、また怒られたくない……」


 後ろで妹は、その一歩目でバランスを崩したようだった。

 それよりも、と船長の忠告に緊張感を新たにし、キキは歩を進める。


 だんだんと、杖の男に近づく。


 杖をついて姿勢が悪いはずなのに、それでも、女性にしては背の高い方のキキよりも大きかった。

 さらに近寄ると、全身の筋肉が発達しているのが分かる。


 目つきは鋭く、肌は陽光を反射してツヤツヤと光っている。壮年の男、とキキは観察していたが、実年齢よりは確実に若く見えた。

 そう。

 彼女の父親が亡くなった時点で、彼は父親より3つ年下だったと聞いている。現在は51歳のはずだ。


「初めまして」


 キキは『英雄の片腕』と呼ばれた男、セニシュ・ベントゴに向かって、右手を差し出した。


「ベルト・カイルとミアナの娘です。双子の姉の…………」


「本当に、すまなかった」


 セニシュが言いながら頭を下げる。背後で、妹と船長が追い付いてきた気配を感じながらも、キキは驚かずにはいられない。


「私の目の前で、君たちの父親は…………、この国の英雄は死んだ。それはこの国の損失であり、この国の未来が失われた瞬間だった。それに対して、私は立ち尽くすばかりで、何もできなかった。ただ……、ただ、喪失に囚われて、無駄に歳を重ねてしまった。私は、謝ることしかできない。無論、自分が君たち家族に謝罪することすら、はばかられる人間であることも承知している」


 背後でララが息を呑む。船長の驚愕が背中にまで伝わってくる。

 壮年の男、セニシュ・ベントゴは涙していた。


「二十年間ずっと、私は君たちに謝りたかった。だが、私はこの島を出ることは、どうしてもできなかった。君たちと会うのが怖かった。私はそんな…………、そんな弱い人間なのだ」


 カラン、と杖が桟橋を打った。コロコロとそれが音をたてる。

 セニシュは両手で顔を覆った。

 涙を拭って、顔を上げる。


「だが…………、だが、それでもお願いしたい。恥を承知でお願いしたい。この国は、この島々のアマリストは、おそらく近い将来、また迫害を受けてしまうことになる。我々はそれを防ぎたい。島を守りたい。しかし、先頭に立てる者がいないのだ。形だけでもいい。私が必ず、君たちを守る。だから……、だから少佐の……、英雄の娘として…………」


 背後からキキを追い越して、ララが杖を拾う。

 それを、そっと、セニシュに差し出した。


「あのさ……」


 その行動に促されるように、セニシュの弁を遮って、キキが口を開く。

 陽射しが、その恥ずかしそうな笑顔を、照らしている。


 それがセニシュには、誰かと重なって見えた。

 あの日、失ってしまった何か。老いてしまった、置いてきてしまった、取り戻せなかったはずの、大切ななにか。


「腕、疲れるからさ。早く握手しよう?」


 それが、元バーチャルアイドルの冬花キキと、冬花ララの、新たな舞台の幕開けだった。

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