Legend3,『荒療治』

 MG。

 『orion unite』のマネージャ、メアリーゴールドバーグのことである。彼女のニックネームであるMGには、もうひとつ、意味があった。


 ママ・オブ・グレイトフル。


 素晴らしき母、と言われるには理由があって、グウェン・アラネアの両親は他界しているし、エリキュール・コロンボの両親は当然のように娘と絶縁しているし、ジョゼ・ジョーンズの両親はいつだって音信不通だ。

 彼女は『orion unite』のデビュー当時から、そんな三人の母親代わりを務めてきた。


 いつでも、どんな時間帯であっても三人の相談に乗り、新しい企画を提案してきた。果ては礼儀作法や挨拶からメンタルケアまで、彼女の指導がなかったら、現在の三人の姿はなかっただろう。車イスのグウェンや、LGBTのBであるJJ、公表はしていないが、元殺人犯であるエリーに対して、彼女は分け隔てなく、しかも一人一人の人格を尊重しながら、マネジメント業務を行ってきた。三人はその行動に、時には反発することもあったが、それ以上に信頼して、同じ会社に所属するアイドルとして、だんだんと一体感を得ていった。


 そんなMGが、メンバーに「座りなさい」と初めて”命令”したものだから、グウェンの新居の片付けをしていた三人は動揺せずにはいられなかった。


 片付け、というのは、警察の家宅捜索に備えた“片付け”である。ひと通りの処分が終わってから、MGはグウェンに、


「選択肢は3つ……、いえ、2つかしらね」


 と、そう告げた。今までに見たことのない、ほとばしる怒気を抑えたような、真剣な表情だった。


 ドラッグと未開封の注射器を入れた黒いポリ袋をMGの車に積んで戻ったJJは、家具も少なく生活感のないリビングのテーブルに座る3人の表情を見て、そのまま帰りたくなった。ドラッグの入った黒いポリ袋を、こんなド深夜に駐車場まで運ぶだけでも、心臓が飛び出しそうなくらい緊張してヘトヘトだというのに、まだこの夜が続くと思うとうんざりしてしまう。


 帰りたい、とは言い出せない雰囲気に、テーブルに向かうしかなかったわけだったが。


 ガラスの楕円形のテーブルには、広いスペースがある端の方に、グウェンがいつもの車イスで座っている。エリーとGMが直線部分に並んで座り、JJはグウェンの対角に腰掛けた。


「……ごめんなさい」


 グウェンだった。目を伏せて、透明なテーブルに悔恨の表情が反射している。


「謝罪は無意味よ。これからどうするか、考えなさい。ちなみに、リタイヤの選択肢が3つ目。それが許されないことは、分かる?」


 MGが容赦なくグウェンに大きな瞳を向けている。


 そりゃあウチの稼ぎ頭だもんね、とJJは一人で納得した。グウェンが活動できなくなることでの会社への損失は、正直言って計り知れない。他の社員に頼むこともなく、メンバーとMGだけで証拠隠滅を図ったのも、この4人の信頼関係に基づいた行動だ。会社の判断ではないが、MGの独断でもないだろう。無論、犯罪だし、絶対に褒められたことじゃないが。


「……………………」


 グウェンは何か言いたげだったが、言葉を呑んで押し黙ってしまった。


「そのまま逮捕されて有罪になったら、私と同じムショ帰りになれたのにね?」


 エリーだった。メンバーの中で最年長の彼女は19歳の時から服役歴がある。たまに、こんな空気を読まない一言を言うことが、現実世界においても彼女の魅力のひとつだった。


「配信もできない。お洒落もできない。最低限の生活なのに、危険がいっぱい。反省するには、ちょうど良すぎるところよ?」


 首を傾けたエリーの表情は、JJがぞっとするほどの無表情だった。整った顔立ちに、赤毛の前髪だけが、ちらりと揺れている。


「ごめんなさい……」


 それに応じるグウェンの声が、か細く涙に滲む。


「もちろん、許さないよ?私が言うのもなんだけど、泣いて謝っても許されないことって、世の中にはたくさんあるんだよ」


 エリーの視線が落ちる。まるで自分の過去を思い返すかのように。


「エリー……、あとは私が」


 MGがエリーの肩に触れながら、口を開いた。


「レコーディングも、ライブやツアーの予定も、全部キャンセルしたの。どれだけの人に迷惑をかけたのか。グウェン……、あなたには分かってほしい。でもね、あなたが抱えていた問題に気がつかなかった私の責任も…………」


 しかしながら再度、エリーがその言葉を遮る。


「会社には私から、MGを降ろすならグループを抜けるって言っといたから大丈夫」


「エリー……!」


 MGがエリーを振り向いて、とがめるように名前を呼んだ。

 それに怯むエリーではない。


「MGっ!この頭ん中お花畑の夢見がちな歌姫様には、ちゃんと全部伝えなきゃダメだよ。私は精神科病棟で働いてたから分かる。ドラッグをやった人は、おんなじことを何回も繰り返すんだ。そうやってボロボロになって、最後には自分も周りも不幸にして死んじゃうんだよ?MGだって、責任を感じてたからだってのは分かってるけど、毎日毎日病院に通ってさぁっ、復帰してからも、あんなにマネジメントを頑張ってくれてたのに、もう恩をあだで返されちゃってる。みんなで犯罪の片棒まで担がされて!それを聞いて分かってても、こいつは頭で理解してないんだ。絶対に繰り返しちゃうんだ。そういうもんなんだって、ドラッグはさぁ!」


 こんなに感情に任せてしゃべるエリーを、JJは初めて見た。それに、彼女の看護師時代の話も初めて聞いた。彼女が会社に、MGがマネージャから外れるのを阻止するために掛け合っていたという事実も。


 失礼かもしれないが、エリーがそんなに他人に興味がある人間だとは、JJは思っていなかった。


 ただJJは、本社はそれどころではなかったのだろうな、という感想も抱いていた。


 日本の本社からの社内連絡で、アメリカの大企業からTOB、敵対的買収を仕掛けられそうだ、というメールがあった話を、他の社員から聞いていたからだ。グウェンのスキャンダルは大きな問題ではあるのだが、日本の本社はおそらく、その件のせいで対応を決めかねたのだろう。


 買収対策のために『orion unite』を株式会社『ラフィング』から独立させる、という話も上がっていたらしい。ホワイトナイトを探している、という情報も、社外秘ではあるのだが知っている。


 JJとしては、配信さえできればそれでいいのだけれど。


 しかし、それよりもずっと気になっていることが、JJの目の前にはあった。


「……………………」


 俯いて泣いているグウェンの手。


 あの震えている手は、悲しみや後悔のせいではないのかもしれない。


 おそらく、ドラッグの禁断症状だろう。


 そしてそれは、看護師だったエリーも気が付いているに違いない。


 この稼ぎ頭は、活動を続けられるのだろうか。


 正直、彼女がいないとJJも困る。グウェン・アラネアというのはこの箱の内外に限らず、いまや全バーチャル配信者の目標だ。それは当然、JJもそうで、同じグループだとしても、いつか彼女を超えたいと常日頃考えている。きっとそれはエリーもそうだったようで、だからこそ、あんなに怒っているのだろう。


 他にも理由がある。グウェンが輝き過ぎているから、JJはその陰で好き放題配信ができている。多少なりともある失言や問題行動も、グウェンに比べれば……、と許されている部分が確実にある。


 彼女がいないと、正直困る。


「もういい。泣いてばかりで仕方ない子。最初から選択肢なんてなかったのよ。MG、本題というか、結論に移りましょ?」


 エリーがMGを振り向く。MGは躊躇ためらう渋い表情を隠さない。


「でも……。…………ええ、そうね」


 エリーから視線を外して、意を決したようにMGはグウェンを見つめた。


「グウェン。これから3ヵ月、エリーと一緒にここで過ごしてもらうわね。必要な物は私が用意する。看護師として、仲間として、エリーがあなたをサポートする。1週間に1度は、グループセラピーにも参加してもらう」


 は?


 と、JJは思った。


 なにそれ、と。


 エリーが続く。


「MGと相談して決めたの。私は一応、看護師だったし、ドクターほど役には立たないけれど、精神科の治療も見てきたから。……あのさ、グウェン。ホントにいつまで泣いてるの?覚悟してよね?私の監視のもと、ほとんど軟禁状態になるわけだから。…………はぁ。OKならそう言って」


 ちょっと待ってよ。


「…………わかり、ました」


 グウェンが顔を上げずに、ようやくそれだけ呟いた。


 JJは思う。


 それ、なんか楽しそうじゃない?


「わ、私も一緒に住むっ!」


 JJの口が勝手に、そう叫んでいた。



【偶像編・了】

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