Legend3,『夢②』

「……私のことではないけれど、よく知っている友達の話をしましょう」


 グウェンが瞳を閉じる。下半身の黒い蜘蛛の身体がその動きを止めた。

 マイケルが立ち上がってまで観客を煽ったものだから、その賛否はさておき、ざわざわとした喧騒が流れている。


「その友達は、小さい頃から歌が大好きでした。両親にも愛されて、健康にすくすくと育ちました。……幸せな家庭で育った彼女が13歳になった時のことです。……家族で行ったドライブの帰りに、不慮の事故で両親は死んでしまいました。……天涯孤独になった少女は、遠い親戚に引き取られました。それでも、彼女は歌が好きでした。そんな暮らしにも慣れてきた、忘れもしない夏の日のこと。…………一緒に暮らしている親戚の男性から、少女は乱暴を受けてしまいました。男性の奥様からは、お前が悪いと罵倒され、折檻を受けました。……そんな日が続いて、自暴自棄になった彼女は家出をし、街に出て、友達からドラッグを教わり、男の人とふしだらな遊びに興じて、身体を売って暮らしていました。…………それでも、まだティーンエイジャーだった彼女は、歌が大好きでした。でも、歌がもう、自分を嫌いになっているような、……そんな気がしていました。なぜなら、彼女の体はもうボロボロになっていたからです。…………何年間、そんな生活をしていたでしょう。ふと気が付くと彼女は、病院に入院していました。命が残っていたことだけでも奇跡、とお医者様はおっしゃっていました。お酒もドラッグもやめたとき……、彼女には、もう何も残ってはいませんでした。それでも、彼女は歌が好きだった」


 しん、と静まり返った客席。それを眺めるでもなく、グウェンが目を開く。そこにいるのは3Dモデルのアバターだというのに、観客たちはその瞳に、後悔と悲しみを確かに汲み取った。そして、パンドラの箱に残されでもしていたかのような、少しだけの希望も。


「看護師さんとカウンセラーに勧められて、彼女はリハビリがてらに動画配信を始めました。大好きな歌を毎日のように唄って、それなりに反響があって……。……彼女も少しずつですが、自分を愛せるようになっていきました。歌が、また自分に振り向いてくれたような、そんな気がしました。…………でも、配信に顔を出すことはできませんでした。……自暴自棄だった頃の傷が、身体のいたる所にあったからです。身体はうまく動きませんし、実のところ視力もあまりありません。右目は義眼です。ナイフや銃の傷跡もあります。……なにより、心に大きな傷を負っていました。…………そんなある日のこと、彼女に、バーチャル配信者にならないか、というお誘いが日本の企業から届きました。最初は、マイケルと同じように、それが自分の真実の姿ではないことに抵抗を感じました。でも、いざ配信を始めてみると、醜い自分を隠すためのその姿を、受け入れてくれる人たちがたくさんいました。…………唄うことを止めなかった彼女の、分身であるその可愛いアバターに、命が宿った瞬間でした。…………今では、そのアバターの方が、自分の真実の姿であるとさえ思っているそうです」


 黒い板に映ったグウェンの顔は、涙を流すことはない。しかし、確かに、彼女の心は、彼女の魂は涙していることを、観客たち、そして審査員たちは感じ取っている。

 その視線の先で、グウェンは続けた。少しだけ、微笑みながら。


「その友達は、どうしてもこの舞台に立つことはできません。その姿は醜く、観る人を恐怖させるでしょう。その友達の後悔しかない過去を、観る人に思い起こさせてしまうでしょう。それは、友達が唄う歌には、本当のところ全くと言っていいほど必要のないことなのです。……彼女は歌が大好きです。歌に救われたとさえ思っています。純粋な彼女の歌を、ソウルを、みなさんに届けたいと、そう願っているだけなのです」


 意志のこもった双眸が、観客たちに向かう。


「今日、私は、その友達の代わりにここに立っています。その友達がそうしたかったように、この舞台で、全身全霊を込めて、私の声を聴いてくれる人のために、歌を届けます」


 ヒゲをたくわえたアゴをおさえて、つまらなそうに話を聞いていたマイケルが、隣のニコに肩を叩かれた。それを、カメラがしっかりと映している。マイケルがその手を少し上にあげ、唇をつきだした。


「……分かった。ほんの少しだけ興味が湧いた」


 そんなセリフを吐く。

 瞬間。

 静かだった観客たちから、マイケルを非難する声やブーイングが広がっていった。


「な、なんだってんだよ?観客を味方につけるのが上手いな、まったく。はいはい。俺が悪かった。……謝るよ。……じゃあ、すぐにでも唄うといい。いつだって、話はそれからだ」


 手を組んで、彼は×のボタンを押さずに審査員席に手を置いた。

 少しだけ、ほっとした表情をするグウェン。さらに彼女は口角を上げた。緑色の髪が少しなびいて、野心のこもった瞳が、すっと前に向いている。左手が板の外にフレームアウトし、戻って来るとマイクを握っていた。黒い下半身が喜ぶように蠢いている。


「ありがとう、マイケル。舞台に立つ準備は、私はいつでもできてるの。……じゃあ、唄います。映画「グレイテスト・ショーマン」の劇中歌。『This Is Me』です」


 彼女が優勝し、その後、ビルボードで1位を獲得するまでのサクセスストーリー。


 それは、この瞬間から始まったのだった。

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