高1 本当に好き?
なぜ、私は美月書店に来てしまったのか。
凜兎ちゃんのおかげで赤点を免れた私は幸せな夏休みを満喫していたのだが、この日は美月書店へやってきていた。というのも、突然村木くんからスマホに電話がかかってきて、ファミレスで会うことになったからで、そのファミレスに行くためには、美月書店の前を通らないといけないわけで。
美月書店は駅前商店街の入り口部分にあった。8月の商店街はハワイっぽい曲が流れており、そのメロディーは書店の前に立っていてもよく聞こえた。
亜美ちゃんは、玖路山くんはここでバイトをしていると言っていたが、今日はいるのだろうか。通り過ぎるときに、ついうっかり店内を覗き見てしまった。すると、レジに立つ玖路山くんとばっちり目が合った。思わずその場に立ち尽くす。玖路山くんもこっちを見返したまま動かない。ちらっと見るつもりが、凝視したまま固まってしまった。
これは金縛りってやつだろうか。体が動かず、視線を外せず、音も聞こえない。
それにしても、玖路山くん、しばらく会わないうちに、また背が伸びたみたいだ。顔つきもシャープになってきて、思い出にある玖路山くんの姿とはもうかなり違ってきている。イケメンなのかどうかは正直わからない。身内の顔を客観的に評価できないのと同じようなものだ。でもまあ女子から告白されるぐらいだし、それなりに格好良いのではないだろうか。中学でもキャーキャー言われてたわけだし。小学生のころはその顔立ちのせいで女子と間違われたりもしていたけれど。
そのとき、玖路山くんの喉仏が動くのが見えた。意外。そんなの体についてたんだ。男の人なんだから当たり前か。でも、変な感じ。昔はそんなのなかったのに。
先に金縛りが解けたのは、玖路山くんだった。
ほかの店員に何やら話しかけた後、まっすぐこちらに向かってきた。
「久しぶり。僕、ここでバイトしてるんだ」と一目瞭然のことを宣言した。
「う、うん」亜美ちゃんに聞いたから知ってます。
「ちょっとそこで待ってて。あんたに渡したいものがあるから」私にそう言うと、また店内に戻っていった。
相変わらず私のことをあんたって呼ぶんだなあ。絶対ベルちゃんって呼んでくれないのはどうして。そんなことを考えながら待っていたら、玖路山くんは本を手に戻ってきた。スイカ柄の紙製ブックカバーがかかった文庫本だ。
「あげる」
玖路山くんは、ぶっきらぼうな感じで本を差し出した。
「えっ、これは?」
「初めてのバイト代で買った本。もう読んだし、あんたにあげる」と言う。私は戸惑いつつ受け取って、ページをめくってみた。
「ファンタジー小説……?」
「いま、女子の間で人気なんだって。あんたこういうの好きだろ」
「好きだよ。面白そう。でもいいのかな。せっかくの初バイト代で買ったものなのに」
「文庫本ぐらいで大げさ」
「そんなことないよ。玖路山くんが頑張って稼いだお金で買ったものだもん。本当に私がもらっていいの?」
「もらって。なんでそんなに遠慮するんだよ。アクセサリーとか服とか、そういうんじゃないから、普通に受け取ればいいじゃん」
「うん……ありがとう」
「それじゃ、バイトの途中だから」
それだけ言うと、玖路山くんは店内に戻っていった。
ひとりになり、商店街のハワイアンメロディーが聞こえだした。
私もバイト始めようかなあ、なんて考えながらファミレスに向かって歩いていたら、どこからか聞いたことのある声がしたので、あたりを見回した。
どうやら声はレンタルDVD屋さんの駐車場からしているようだ。私服姿の高校生らしき3人組が何やら揉めている。
「ねえ、待ってよ」
「うるさい。ついてくるな」
そういって女の子の手を振り払った人は、村木くんだった。
ボブカットの女の子が再び村木くんの腕をつかもうとして、村木くんは振り払い、冷たく見下すような目で女の子を一瞥した。
私は慌てて建物の陰に隠れた。一体これは……? どきどきしながら、そっと顔を出して、様子を窺う。
「触んな。虫酸が走る」
「そんなこと言わないでよ……翔太……」
翔太ってのは村木くんの下の名前だ。それを他の女の子が口にしているのを聞くと胸がちくっとする。もしやあの子は彼女だろうか。中学のときの松本さんではないようだが……。
「桃子、もうやめとけって」
もう一人の男の子が、女の子の肩をつかんだ。
「でも」
「ナオ、そいつの足止めしといてくれ」
「オッケー」
「やだ。待って。もう1回話そうよ。私のこと好きだよね?」
「俺が? 冗談だろ?」
村木くんは鼻で笑った。
私は頭がパニックになっていた。
これは一体どういうことなの。
彼女っぽい人がいることもショックだが、それ以上に村木くんがなんだが私の知っている村木くんではないことに動揺していた。
みんなに優しくて、ひどいことなんて言わない村木くんは、こんなふうに冷たい顔をしたりしないはずなのに。
「もうついてくるなよ。迷惑なんだよ」
口調も別人のよう。
女の子は泣き出してしまった。つやつやキューティクルのボブカットが頬にかかって、しゃくり上げるたび揺れていた。そんな彼女を冷たく見下す村木くん。
私は何がなんだかわからないまま、とりあえずファミレスに向かって歩き出した。
いま見たものは、一体何……? 見間違い? 人違い?
ああ、なんだかお腹が痛くなってきた……。
ファミレスには私が先に到着した。
テーブル席のソファに腰掛けて、混乱した頭を抱え、村木くんが来るのを待った。
座って深呼吸していたら腹痛はおさまった。でも心のモヤモヤは晴れない。
それから10分ぐらいして村木くんが店内に入ってきた。さっき駐車場で見た村木くんと同じ服だ。ああ、見間違いじゃなかったのか。そうだよね。私が村木くんを見間違えるわけないもんね……。
「ごめん、待たせてしまったね」
「う、ううん」
村木くんは、私の隣に腰掛けたので、私はちょっと驚いた。こういうときって、向かいのソファに座るんじゃないだろうか。なぜ隣。
私は壁に向かって、じりりと移動した。すると、村木くんもこっちに寄ってきたので、なんだか狭苦しくなった。
「あの、村木くん。さっき……」
「なに?」
「えっと、女の子と一緒にいなかった……?」
「いや、ずっと一人だったけど。見間違いじゃないかな」
「そ、そっか……」
見間違いではないと思うのだが。しかし、それ以上の追及を許さない圧を感じて、私は黙った。なんだろう、この圧。優しい村木くんにはこれまで感じたことのない圧。
店員さんがオーダーを聞きに来たので、二人ともドリンクバーを頼んだ。が、村木くんが蓋をしている状態で私は出られない。
「何にする? 取ってきてあげる」
「え、ええと、じゃあ、アイスティーがいいな」
「わかった」
村木くんが立ち上がって、ドリンクバーまで歩いていった。私はほっとして姿勢を緩めた。が、アイスティーとコーヒーを手に戻ってきた村木くんは、再び隣に座った。肩と肩がぴたりとくっつく。これは一体どういうあれなんでしょうか。
ファミレスで借金取りが話をするとき、お金を借りている人が逃げられないよう、ソファの奥の席に座らせるという話を本で読んだことがあるけれど、それみたいなもんだろうか。もちろんその気になればテーブルの上を走って逃げられるんだから、本当に逃亡を阻止できるわけじゃない。だから、物理的な逃亡防止策ではなくて、心理的に圧を与えるための借金取りのテクニックなのだろう。
で、だから何なのか……。
私は村木くんに借金をした覚えはないのに、どうしてこんなに隣に迫ってくるのか。
気分を落ち着けようとアイスティーを一口含んだら、
「俺と付き合って欲しい」
いきなりそんなことを言われて、私は思わずむせた。
え、今なんて? ものすごく違和感のある言葉が聞こえた気がしたけれども。
今日の村木くんはどうかしている。
「む、村木くん、ちょっと変じゃない?」
「どうして? 変じゃないよ」そう言って村木くんは微笑む。
確かに口調そのものは昔と同じなのだけれども、どうも雰囲気が違うというか、圧があるというか、違和感があるのだ。なんだか違う人みたい。駐車場でのこともあるし。どうも変。
「変だよ。それに急だよね。今まで私のこと別に好きでもなんでもなかったでしょ?」
「そんなことないよ。ずっと好きだった。本当に」
おかしい。
「だったら、どうして私の気持ちに応えてくれなかったの。私が村木くんのことずっと好きだったの気づいてたでしょ?」思わず本音が口をついて出た。
「鐘山さん、俺のこと好きだったんだ。全然知らなかった」
村木くんは嬉しそうに笑った。嘘だな、と直感した。昔の私なら村木くんの言うことなら何でも信じたかもしれないが、私もいつまでも馬鹿のままではない。
村木くんは、さらに密着してきたので、私は壁に体をぴったりとくっつけることになった。
「村木くん、狭いよ。私の座るスペースがなくなっちゃう」
「そう? じゃあ、俺の膝に足を乗せていいよ」
「乗せません」
もう普通に怖い。
私はテーブルの下にもぐり込んで、反対側のソファへと移動し、村木くんの真っ正面に座り直した。村木くんは気を悪くするかと思ったが、むしろにこにこしている。
「どうもだめだな。やっと好きだって言えると思ったら気持ちが暴走してしまう。鐘山さんが嫌がることをするつもりはなかったんだけど。ごめんね。確かに今の俺は変かもしれないね」
「そ、そうですか……」
私はあらためて村木くんの顔をまじまじと見た。色白で、まつげが長くて、でも、思い出にあるより面長に見えた。鼻が高くて、口は大きめで、唇は薄い。私にとっては最高に好きな顔のはずだが、今日は怖い。どうして好きだって言うの。強引にくっついてきたりして一体何を考えているの。
「は、腹を割って話そう! 何か事情があるんだよね」
とりあえずそう切り出してみたが、
「好きなだけだよ」と返ってきた。不覚にもときめいてしまう。くぅっ、口で勝てる気がしない。これが物理的な喧嘩なら勝てたのになあ……いや、小学生の時ならいざしらず、もう今は勝てないかな。村木くんも随分と背が高くなった。玖路山くんより高いかもしれない。
「今から俺の家にこない? 今日は親もいないし、ここから近いんだ」
村木くんはさらに追撃してきた。もう私は大混乱だ。一体どうなっているの。
「行かない。話ならここでもできるよね」
家に行ったら完全に村木くんのペースにのまれる気がする。村木くんはほほ笑みを浮かべたまま、私を見つめ、
「ねえ、行こう?」
と甘く低くささやいてきた。私は全身が麻痺したようにじんとした。怖いのに、何か変だと感じているのに、ついて行きたいと思っている自分がいる。
しかし、流されてはいけない。
「帰る」
私は自分の心に正直に生きているが、欲望に身を任せて生きるのはごめんだ。私は席を立つと、ファミレスから足早に立ち去った。
帰宅して気づいた。ドリンクバー代、払ってないや……。
<つづく>
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