中1 失恋未満でオタクになった

 村木くんが私を避けるようになったのは、いつからだろう。

 小学6年の2学期までは仲よくしてくれていた。12月までは普段どおりだった。

 だが、3学期の途中ぐらいから避けられていたような気がする。だから、2月から3月の間に、何らかの心境の変化があったのだ。


 同じ市立中学に入学後も、私はずっと避けられていた。

 別のクラスになった村木くんとはめったに会えない上に、たまに見かけても、ふっと逃げられてしまうのだ。


 ついさっきも廊下を歩く村木くんを見かけたのだが、目が合うか合わないかの微妙なところで方向転換して去っていった。また避けられた気がする。最後に彼の顔を正面から見たのはいつだろう。今は9月下旬。去年の今ごろは仲良く遊んでいただなんてとても信じられない。かれこれ数十年ぐらい村木くんに避けられているぐらいの悲しい気分だった。

「村木くん~」

 私が机につっぷして嘆いていたら、オタク仲間の結城さんがやってきて、私の頭をノートではたいた。

「もう、いつまで自分をフった男のこと気にしてんの」

「告白以前にお断りされているので、フラれていません。そこまで到達しておりません」

「はいはい。とにかくノート。ベルちゃんの番だよ」

「えっ、もう回ってきたんだ。今回はペース早いね」

 私は身を起こして、ノートをめくった。

「今期アニメが多いね。ゲームネタは今回少ないね」

 このノートは、私たちオタ女の間で行われていたオタ交換日記である。そのときにハマっている漫画やゲーム、アニメについて、1人につき1ページ使って熱く語るという、相互に沼を布教し合うためのノートであった。

 通常メンバーは4人だが、たまに知らない生徒がゲストとして参加してくることもあった。誰かのお姉ちゃんが耽美なジャンルの作品を布教してくることもあった。そういったイレギュラーな要素も含めて、私はこの日記を楽しみにしていた。

「ベルちゃんはゲームのイラストとか? それともずっと推してるファイブ〇ター物語?」

「それはまあ、お楽しみにってことで」

「なあ、いまファイブ〇ター物語って聞こえたんだけど」

 しまった、オタトークがちょっと声が大きかったか。反省したときにはもう遅い、クラスの嫌われ者の長田くんがこっちを見てニヤニヤしていた。

「それじゃ、私、席に戻るわ」

 結城さんはそそくさと帰っていった。ああ、そんな殺生な……。

「俺もFSSって好きなんだよね。ファティマって細くて可愛くていいよな。足が細い女ってぐっとくる」

「あー、えっと、そうなんだね、あはは……」

 長田くんはオタクなのだが、どうも私をオタ仲間だと思っているフシがあり、私は対応に困っていた。男性の萌えトークを私にされましても。そういうのは男性のオタク同士でやってほしい。

「そういや鐘山さんさあ、最近太ったよな?」

 うわあ、ほんともう長田くんときたら、これだから。たぶん本人は悪気がないのだろうけれど、どうしてこうも嫌なことばかり言ってくるんだろうか。

「胸が大きくなったのはプラスに評価してやるけど、彼氏が欲しいならもう少し痩せたほうがいいね」

 長田くんは、自分は良いアドバイスをしてやったぜ! とでもいいたげな顔をしている。なんかもう……。

「はあ……、あっ、村木くんだ! むっ、村木くん~」

 再び廊下に村木くんを発見した私は、これ幸いと村木くんに駆け寄った。


「あっ」

 村木くんの前に回り込むと、彼は驚いた顔をした。わあ、正面から見ると、昔より男の人っぽくなった気がする。色白でまつげが長くて、驚きのため薄い唇を軽く開いている。麗しゅうございます……。

 村木くんは中学の制服を着るようになって、ぐっと大人っぽくなった。女子人気は今のところさほどでもなさそうだが、人当たりのいい態度で品行方正なので、まじめ系女子には評判がいい。ああ、どうか女子からの好感度が友情でとまってくれますように。間違っても恋愛系に行かないでほしい。

「あの、久しぶりだね!」

 私は思いきって話しかけてみた。くぅ、心臓がどんどこ言ってる!

「うん、そうだね。半年ぶりくらいかな?」

 そう言って微笑んでくれる。ああ、だけど胸が痛い。私は振られる未満の身である。

「そうかもね、うん。えっと、ちょっと見かけたから声かけただけ。それじゃあね!」

「うん、それじゃ」

 後ろ髪引かれる思いで、私は廊下をずんずん歩いていった。行先は知らない。私の足にでも聞いてくれ。



 歩き回っていたら、予鈴が鳴った。そろそろ昼休みも終わりか。歩き回ったおかげなのか精神的に落ち着きを取り戻したので、そろそろ教室に戻ろうと向きを変えたら、ばったり亜美ちゃんと出くわした。

 亜美ちゃんは鞄を持っていた。

「あれっ、今からどっか行くの?」

「うん、ちょっとね」

 亜美ちゃんはマスカラを塗った目をぱちぱちさせながら、はっきりとは言わず濁した。もともと目鼻立ちがはっきりした美人の亜美ちゃんは、化粧をすることでさらに派手な顔つきになっていた。昔は後ろで一つに結んでいた髪を、今は結ばず肩に遊ばせて、毛先を少し染めているようだ。

「あの、亜美ちゃんはお昼食べた?」

「えっと、まだ」

「そっかー」

「うん」

 会話が途切れる。なんとなく距離を感じて、私は寂しくなった。

「えっと……」

「亜美、行くよー」

 派手な化粧をした女子たちが、亜美ちゃんを手招きしている。亜美ちゃんはぱっと明るい笑顔を浮かべて、そちらに走って行った。


 そっか。


 そっかー……。



 放課後になった。

 私は部室に向かった。「演劇部」と表札のかかった空き教室のドアを開けると、先輩方がスカートをまくり上げて、あぐらをかいて床に座っていた。うちの部は15人のうち14人が女子なので、もはや男子の目なんて存在しないものとして先輩方は大胆に振る舞っていた。むしろ1名の男子のほうが、先輩のパンツ丸見え状態なので気の毒なくらいであった。アニメなんかだと男子はこういうとき喜ぶものだが、現実ではただただ迷惑、そんな感じだった。正直セクハラだと思うし。しかし先輩には逆らえない。

「お疲れさまです」

「はい、お疲れちゃん。じゃあ、ランニング行っといで」

「はーい」

 私は衝立の裏で手早く体操服に着替えると、今度は校庭に向かった。1年生は部活前に校庭を10周走るのが決まりであった。1年が走り終えて、それから部活が始まるのだ。部室に戻るのがあまり遅くなると先輩からねちっこく叱られるので、さっさと走ってこなければならない。


 しかし、その日は運悪く職員室前で先生から呼び止められてしまった。

 印刷物のホッチキスどめを手伝えとのことである。最初は断ろうかと思ったけれど、私の下心が「ベルよ、引き受けなさい」と脳内で語りかけてきた。「村木くんと会えるチャンスかもしれないわよ」と。何せ村木くんは学級委員長をやっているのだ。こういうお手伝いはきっとよくやっているはずだ。


 頼む、いてくれよ、村木くんと思いながら職員室に入ると、いたのは玖路山くじやまくんで、村木くんはいなかった。そういえば玖路山くんも別のクラスで学級委員長をやっていたんだっけ。

 私の学年は3クラスあり、玖路山くんと亜美ちゃんは同クラスで、あとはバラバラだった。ちなみにうちはクラス替えがない学校だから、卒業までずっとこのままだ。


 中学に入って、私は玖路山くんともあまり話さなくなっていた。クラスが違うのもあるが、なんだか話しかけたときの反応が悪いのだ。手応えがないというか。それで話しかける機会が減ったし、玖路山くんから話しかけてくることもほとんどなくなった。


 村木くんは徐々に好感度を積み上げていくタイプだったが、玖路山くんは入学当初から女子にキャーキャー言われていた。その評判はカッコイイというより可愛いという声が多かったが、強気で威圧的な態度が知れ渡るにつれ(私たち4人で遊ぶときはお茶目な性格なのだが)、可愛いけどカッコイイに評判が変わった。玖路山くんから冷たく睨まれると喜ぶ女子もいるほどだった。


「玖路山くんも書類のホッチキスどめを頼まれたの?」

「そうだけど。あんたは何やってんの、体操服じゃん」

 玖路山くんは相変わらず私をあんたと呼ぶ。

「ベルちゃんって呼んでって~。体操服なのは部活中だからだよ」

「じゃあ、部活してきたら」

「先生に頼まれちゃったんだよね。まあ、さっさと片づけよう」

 それからはお互い無言となり、ホッチキスで書類をとめ続けた。先生方は机で事務作業をしていて、しゃべる人のいない職員室内は静かだった。ホッチキスのぱちんぱちんという音だけが響いた。

 一緒に並んで作業をしていて気づいたのだが、玖路山くんと私は身長が同じになっていた。小学校のときは私のほう背が高かったのに。玖路山くんも成長しているんだなあ。ちらりと横顔をのぞき見てみた。昔は女の子と間違われたりしていた玖路山くんも、ずいぶんと男の子っぽくなったなあ。

「あんた、遅すぎる」

「えっ?」

 見ると、玖路山くんは自分の分のホッチキスどめを全て終えていた。私はまだ半分ほど残っている。

「それ僕がやっておいてやるから、部活に行ってこい」

「えっ、いいの?」

 あまり遅くなると先輩がにこにこ笑いながら「あらあらあら、どこで油を売ってらしたのかしら、この出来損ないの後輩ちゃんは~。お仕置きが必要ではなくて? おほほほほほ」とよくわからない芝居が始まってしまうのだ。多分何か元ネタがあるのだろうが……。いや、そんなことを考えている場合ではない。

「玖路山くん、ありがとうね!」

 校庭を10周するために、私は職員室を飛び出した。



 私たち小学生時代によく遊んだ4人組は、中学に上がるとまったく遊ばなくなっていた。たまに校内で会えば挨拶をする程度だ。それぞれの毛色に合った友人グループに所属して、過去の友人関係とは距離ができていた。


 玖路山くんは遊びも勉強も両立させるようなグループ、村木くんは優等生で勉強一本のまじめグループ、亜美ちゃんは不良グループに入り、私はオタクグループで交換日記に励むというぐあいだった。


<つづく>

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