小6 好きの始まり

「じゃあ、電話するよ」玖路山くんが急にまじめな顔をした。私はちょっと不安になった。

「えっ、ほんとうに電話する? 十分楽しかったし、もういいのでは?」

「そうだよ、やめよう」村木くんも同調してくれる。声のトーンが本気の制止モードだ。さすが村木くん、引き際を知っている。

「だめ、ここからが一番面白いんじゃん」亜美ちゃんは電話したいらしい。

 口論する私たちをよそに、玖路山くんはポケットから取り出したメモを見ながら電話をかけてしまった。

 受話器を少し傾けてくれたので、コール音が漏れ聞こえた。私たち4人は頭をくっつけて耳をすませ、電話から聞こえる音に集中した。村木くんと頭がくっついて、ちょっとどきっとした。私は村木くんが好きなのだ。

「……もしもし」

 出たぁ! 男だ。とりあえず今は村木くんのことは忘れて電話に集中しなくては!


「あの、きのうの人だよね?」

「……ん、そう……」

 玖路山くんは声のトーンを抑えて、つぶやくようにそう言った。うまい。女になりきっている。演技派だ!

「今夜会える?」

「……ん……」

「〇市に住んでるんでしょ。俺いまから行けるけど。どこで待ち合わせる?」

 玖路山くんが至近距離で私を見た。目の動きで助けを求めているのがわかった。待ち合わせ場所? そんなの考えてなかった。

 私はジェスチャーで電話を切れと伝えたが、玖路山くんは首を振った。

「あの……ローソンで……」

「……は?」

「ローソンの前で待ってる……」

 そう言うと、玖路山くんは電話を切った。



 みんなしばらく黙っていた。やがて亜美ちゃんが笑い出した。

「ローソンってどこのだよ? 市内に幾つあるのよ、ローソン」

「いっぱいあるねえ」私も笑ってしまった。

「そもそも大人ってローソンで待ち合わせしないと思うよ」村木くんまで笑い出した。

「だって、とっさに思いつかなかったんだ」玖路山くんは悔しそうだ。

「あの人、これからローソン行くかな」

「どうだろう、行かないんじゃない?」

「ちょっとローソン行ってみようか」

「ええー。もうやめようって」


 私たち4人は最寄りのローソンの前でしばらく張ってみた。大学生風の男性を見るたび、こいつか? こいつが出会い系をやってる悪人なのか? と疑いの目を向けた。


 結局近所のローソンではそれっぽい人を見つけることはできず、私たちはからあげ君を買って分けあって食べ、そして解散した。



 これが卒業前に4人でやった最後の遊びとなった。






 卒業を控えた2月の終わり頃。

 放課後、夕日を浴びて金色に輝いている校庭、その隅っこの土俵で、私はひとり「あっえっいっうっえっおっあっおっ」と発声の練習をしていた。冷えた空気に声がよく響いて気持ちがいい。校庭には誰もいなかったから、何の遠慮もなく声を出せた。


 しばらく練習していたら、玖路山くじやまくんが顔を真っ赤にして通学路を走っているのが校庭のフェンス越しに見えた。どうやら校門のほうに向かっているようだ。


 ――もしかして、泣いている?


 私が呆然と見守る中、玖路山くんは校門を抜け、校庭のほうへ走ってきた。が、発声練習中の私に気づき、きびすを返してまた校門に向かって走り出した。背中のチョコレート色したランドセルが上下に揺れた。

「えっ、玖路山くん、どうしたの?」

 私は慌てて追いかけた。どうも様子がおかしい。

 全力疾走したら私の方が速いことを知っているからか、玖路山くんは走るのをやめ、立ち止まった。

「玖路山くん」

 背中に問いかけても返事はない。前に回り込んで顔をのぞき込む。玖路山くんはぐっと口をつむんで、顔を赤くしていた。とても辛そうで、これまで一度も見たことのない顔をしていた。


 私は玖路山くんの手を引き、土俵に座らせた。自分も隣に腰掛ける。手はつないだままだ。離したら逃げられてしまいそうな気がしたのだ。玖路山くんの膝小僧に泥がついていたので、反対の手で払いながら、私は尋ねた。

「なんか嫌なことがあったの?」

 私が問いかけると、かすかに頷いた。

「ジジイが……」

「ジジイ?」

「あのジジイ、殺す」

 と言いながら、玖路山くんはぽろぽろと涙をこぼした。

 私はとっさに玖路山くんを抱きしめていた。何があったのかわからないが、強気な玖路山くんがこんなふうに泣くなんて、びっくりしてしまってどうしていいのかわからない。ただ、泣き顔を見ていられなくて、玖路山くんの頭を胸に抱え込んだ。

「えっと、手伝おうか? そのジジイ、殺すの」

 玖路山くんは鼻でふっと笑った。

「うん、手伝ってよ」

「いいよ~」私は安請け合いした。


 玖路山くんは首を振りながら身を起こした。顔は相変わらず真っ赤だけれど、顔つきはいつもの玖路山くんに戻っていたのでほっとした。

 玖路山くんは涙をぬぐい、事情を話してくれた。

 帰宅途中、通学路によく出没する変態ジジイにお尻を触られたらしかった。

 それでショックで思わず学校に引き返してきたらしい。

「そうだったんだね。じゃあ、りにいこう」

 そのジジイの自宅は割れている。このあたりじゃ有名な変態なのだ。以前から通学途中の子供たちに卑猥な言葉を投げつけるやつだったが、とうとう手を出してきたとは。それも玖路山くんに手を出すとは。許してはおけん。

 私が目に殺意を込めて立ち上がると、「待って。冗談だから」と玖路山くんは私の両手をつかんで引き留めた。

「もういいよ。あんたが犯罪者になっても困るし」

「ええ~。でも何もしないのも許せないよね。せめて家を燃やすぐらいはしようよ」

「先生にチクって社会的に死んでもらうからいい」

「わあ、知的なり方だね!」


 しかし、先生にチクっても、その変態は逮捕されるでもなく、警察から口頭で注意されただけで終ってしまった。学校も一時的な集団登下校を私たちに命じただけで、特にジジイに対して何かをしてくれた様子もなかった。


 納得できなかったが、玖路山くんがことを大きくしたくないようだったので、私は引き下がった。


「このこと、誰にも言わないで」

「わかってる」

「村木にも亜美にも内緒だからな」

「うん、約束する」



 ――


 この変態を成敗できなかったことが、小学校時代の私の唯一の心残りである。


 あ、嘘、もう一つあった。

 村木くんに告白できなかったのも心残りであった。うん。



 ――

 そもそも村木くんを好きだと思ったのは、いつだっただろう。


 小学5年生のときに村木くんは転校してきて、それで、いつの間にか好きになっていた気がする。



 6年2組の教室で、斜め前方の席の村木くんの後頭部を眺めながら、ぼんやりと考える。いつから好きなんだっけ?

 今は社会科の授業中。先生は水産業について説明しているが、まったく耳に入ってこない。


 中学でも村木くんと同じクラスになれるといいなあ。亜美ちゃんも玖路山くんも、同じクラスになれたらいいなあ。


「えーと、鐘山さん、先生の話を聞いてるかな? 銚子港で水揚げされる魚といえば?」

「イワシとぬれ煎餅です」

「港では獲れないものが混じってるね。イワシは正解」

 授業なんて聞いてなくても、この程度簡単だ。だって、村木くんは千葉県から引っ越してきたのだ。おかげで私はめっちゃ千葉には詳しい。村木くんとの会話に役立てようと思って、千葉について調べまくったのだ。


 しかし、いつから好きなのか、本当に思い出せない。


 ただ、きっかけというか始まりみたいなものはあった。


 あれは早い春の夕方のことだった。村木くんが転校してきたのが5年生の秋頃だったから、つまり6年生の初めごろだったと思うが、私は放課後に教室で寝てしまったことがあった。確か亜美ちゃんの飼育係のお仕事が終るのを待っていて、机につっぷしたまま気づいたら寝ていたのだ。


 ふと何かの気配を感じて目を覚ますと、自分の肩に誰かの上着が掛けられていることに気づいた。手にとって、これ誰のだっけ? と考え、ああ、村木くんのだって気づいた。そういえば今日はこんな色の服を着てた気がする。

 それで、寝ぼけていた私は、机に「むらきくん」と解答を書いて、これで100点間違いなしと思いながら、上着を抱きしめて二度寝した。テスト中の夢でも見ていたのかもしれない。


 誰かに名前を呼ばれた気がして私は目を覚ました。目の前にはなぜか正解の村木くんが立っていた。

「あれ?」

「もうそろそろ帰らないと暗くなるよ」

 と言われて、自分が教室で寝ていたことを思い出し、そうか、帰らないといけないのかと思いながら目をこすっていたら、机の上の「むらきくん」が目に入ってきて、私は一発で目が覚めた。

「わああああああ!」

 私は再び机につっぷして、落書きを体で隠した。なんだかめちゃくちゃ恥ずかしい。見られて何か勘違いされても困るし。

「見た? 見てない?」

 その状態のまま確認をとる。

「えっと……」

「どっち!?」

「……見てないよ」

「本当?」

 どうも怪しい気がして、村木くんを見上げる。

「本当」

 そうか、よかった……。

「私は亜美ちゃんを待ってるから。村木くんはもう帰ったほうがいいよ。ばいばい」

 私はこの机の落書きを消さないことには帰れない。というか、村木くんがいなくなってくれないと起き上がることもできない。

「一緒に帰らない?」

「えっ」

 そう来るとは思わなくて、とっさに言葉に詰まった。急に何を言い出すんだろうか。一緒に帰るとか、まるで付き合ってるみたいじゃないか。私はわけもわからず顔が赤くなるのを感じた。ほっぺが熱い。すると村木くんはくすりと笑って、

「ごめん、冗談。その上着って鐘山さんのじゃないよね。きっと誰かの忘れ物だろうから先生に渡してくるよ」

 と言って、机にへばりついている私と机の間から上着を引っ張り出して、教室を出て行った。


 それ以来、村木くんはあの上着を学校に着てこなくなった。自分のじゃないと言っていたが、あれは絶対に村木くんの上着だ。見たことあるもん。間違いないよ。


 そこから私は村木くんが気になり始めたのだ。


 そうして村木くんを観察しているうちに、クラスのいろんな人に優しくしていることがわかった。玖路山くんの無謀な行為を諫めたり、亜美ちゃんの宿題を手伝ったり、失言してしまい女子から集中砲火を受けている男子をフォローしたり、真鍋さんが全校集会で倒れかけたとき支えてあげたり。それがちっとも押しつけがましくなくて、全然たいしたことないって感じなのだ。

 藤島くんが大迫くんを怪我させたときも、ショックで固まる藤島くんの肩に手を置いて、それから大迫くんを保健室に連れていくのも見た。もしも私だったら何か言って、大げさに騒いでしまうに違いない。


 村木くんはなんて偉いのだろうと感心した。尊敬したといってもいい。


 その後、玖路山くんと亜美ちゃんが仲良くなって、そこに私と村木くんが加わって、4人で遊ぶことが増えていった。


 4人で地面を掘って化石を発掘しようとしたり、体育館に忍び込んで校長先生のモノマネを披露し合ったり、「変なもの」のイラストを描いて贈り合ったり、排水溝のヘドロを集めて泥人形をつくり、校庭のすみに設置したら異臭を放つようになり先生から怒られたりした。


 みんなでホラー映画を観に行って、物陰に殺人鬼が潜んでいそうな気がして怯えたこともあった。そのころは4人で下校するようにした。ふだんは各々好き勝手に帰るのだけれど。私は万が一殺人鬼に襲われたときのためを考え、3人を守るためにナイフを持ち歩くようにしたのだが、先生に見つかってしまい没収されてしまった。武器がないなら拳で戦うしかないなと思った。


 一緒に図書館に行って、借りた本を見せ合ったときは、亜美ちゃんが昆虫の図鑑、村木くんが演歌歌手の自伝、玖路山くんは世界遺産の写真集を借りていて意外性を見せた。私はファンタジー小説を借りていて、「イメージどおりすぎる」と亜美ちゃんに笑われた。村木くんは何も言わずに楽しそうに笑っていた。


 私と亜美ちゃんが大げんかして取っ組み合いの喧嘩をしたときも、村木くんは勝負がつくまで見守ってくれた。あとで玖路山くんには怒られたっけ。その後、4人で正拳突きの練習をしたりもした。ほかにはタイマンという喧嘩のルールを亜美ちゃんから学んだりもした。村木くんはそういう危ないことにはいつも反対していて、だけど付き合ってくれるのだった。


 そうやって一緒に過ごした思い出を重ねて、それで、気づいたときには村木くんを好きになっていたのだった。告白できないまま小学校を卒業し、同じ中学校に行くことになったけれど、私たち4人はすっかり関係が変わってしまった。



<つづく>


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