高1 恋が動き出す

 高校に入学した私は、版画に打ち込むようになっていった。

 リサーチ不足だったのだが、この高校には演劇部がなかったのである。なんてこったい。演劇部なんてどこの高校にもあって当然と思い込んでいた自分の愚かさを呪う……。


 ほかに打ち込めるものがなく、これといって部活もバイトもする気にもなれずにいた私に、美術の先生が版画を勧めてくれた。


 美術の矢野先生は非常に怖い男性教師で、生徒たちから恐れられていたが、指導は的確だった。矢野先生は、小さな形を組み合わせて大きな形にするデザインを好む方で、花を組み合わせて作ったアーチや、球体を組み合わせて奥行きを出した図柄を得意とされた。そういった先生のデザインを木板に転写し、私が彫った。何度か掘っていくうちに彫刻刀の力の入れ方のコツがわかってきた。



 3作品目を彫り終えた7月のある夜、亜美ちゃんから電話があった。


「久しぶりだね、中学以来だよね!」

 嬉しくて思わず声が大きくなった。

「うん。それより玖路山くんのことなんだけど」

 亜美ちゃんはいきなり本題を切り出したので戸惑った。

「私の友だちの友だちがね、玖路山くんと同じ高校なんだけど、玖路山くんに付き合ってくださいって告白したんだって」

 急に何の話だろうか。

「そ、そうなんだ」としか返事のしようがない。

「でも断られたんだって」

「そっか……」

「それでさ、フラれた理由を聞いたらしいんだ。だって納得できないじゃん」

 まあ、そうかも。

「そうしたらね、好きな人がいるんだって、玖路山くん、そう言ったんだって。

 小学生の時からずっと好きなんだって。もう言わなくてわかるよね?」

「わ、わかんない」

 スマホを持つ指先が震える。なぜ。

「あのさあ、いいかげん気づこうよ。玖路山くん、ベルちゃんこと好きなんだよ、ずっと」

「嘘だあ」

 信じられない。

「だって中学で3年も一緒だったのに、そういうの全くなかったよ」

「それはベルちゃんが村木くんに夢中だったからでしょ。それで告白するのは玉砕するの目に見えてるわけだし」

「えっ、なんで村木くんのことが好きって知ってるの」

 亜美ちゃんに話したことはないはずだ。

「いやいや……」

 なぜか亜美ちゃんは呆れたような声を出した。

「みんな知ってるよ。というか知らない人いないでしょ。ベルちゃん、村木くんと会うと好き好き好き~って態度をもろ出してるじゃん」

「うそ!」

「え、自覚ないとかいう」

「ない……」

「まじか……」

 全くない。そんなにバレバレだったのか。

「ということは村木くんにもバレてる……?」

「バレてる」

「あああああ~」

 バレてた。バレてるのに、村木くんはスルーした。つまり、お断りなのだ。ああ~。わかってたけど。わかってたけども~。涙があふれてとまらない。

「で、どうするよ。玖路山くん、まだ好きなんだってよ」

「そんなの、本人に言われたわけじゃないのに」

 告白を断る口実かもしれないし。

「そうかな? 私経由で話が伝わるのわかっていて、ベルちゃんのこと匂わせたっぽいけど?」

「それは考えすぎだよ」

「そうかねえ。まあ、そこはどうでもいいんだ。ベルちゃんがどうしたいかってことが大事なんだから」

 そんなこと言われても、どうしたらいいの。いや、そもそも私は玖路山くんのことをどう思っているんだろう。もちろん好きなのは間違いないのだけれど、異性として好きだと思ったことってあっただろうか?

「あと、玖路山くんだけど、最近バイトを始めたらしいよ。駅前の美月書店。誰から聞いたかは内緒ね。行くかどうかはベルちゃんの自由だから。それじゃあね~」

 電話が切れた……。


 玖路山くんの家はお金持ちだったように思うのだけれど。おうちの教育方針だろうか。労働の大切さを子供に教えるとか? なんて余計なことを考えたりして、つい現実逃避してしまう。

 玖路山くんが私を。そんなまさか。




 ――

 高校ではもともと苦手だった英語がさらに難しくなり、私はかなり危うい成績で低空飛行していた。もう文法がぜんぜんわからーん!

 このままでは赤点を取ることは間違いない。夏休みに補習なんて絶対嫌だった。クーラーの効いた部屋でアイス食べながら漫画読みたいのに。

 幸い英語が得意な友人ができたので、最近少し早めに登校して、特講を受けさせてもらうことになっていた。


「おはよう~」

 私が教室に入ると、先に来ていた凜兎りんとちゃんがリップクリームを持った手を振った。リップを塗っていたようだ。

「おはよ。じゃ、早速やりますか」

「よろしくお願いします」

 私は頭を下げて、英語のノートを出しながら、「そのリップどうしたの」と聞いてみた。

 凜兎ちゃんはちょっと恥ずかしそうに笑いながら、「お母さんが買ってくれたの」と言った。

「あれ、凜兎ちゃんって父子家庭じゃなかったっけ」

「そうだよ。お父さんと一緒に暮らしてる」

「ふーん。じゃあ、お母さんと会ったんだね」

 凜兎ちゃんは、ため息をついた。

「そうなんだけどさ……」

「どうかした?」

「うん、あのね、私、父子家庭だから、親戚とか知り合いとか、みんな私がお父さんを選んだって思ってるの。お父さんのほうが良いって思ってるんだって」

「違うんだ?」

「うん。私、お母さんのほうが好き。でも、お母さんは看護師になるって夢があるから。私が一緒にいたら足を引っ張るから。だから、お母さんについて行けなかったんだ。お父さんは家事できないから、私がやってあげなきゃってのもあったし。それなのに、私がお母さんを選ばなかったから、いい母親じゃなかったんだろうって言う親戚がいてさ」

「知りもしないで悪く言う人、やだねー」

「ほんと」

 凜兎ちゃんは深く頷いた。

「どっちの親についていくか、好きか嫌いかだけで選べないよ。それを他人がどうこう言うのほんと嫌」

 好きか嫌いかだけで選べない、そういう経験を同い年の子がしているというのが、私には軽くショックだった。

「凜兎ちゃんはすごくいろんなこと考えてるんだね」

「そんなことないよ、普通だよ」

 普通なのか。じゃあ、私が普通じゃないのかもなあ。私だったら好きか嫌いかだけで考えてしまいそうだ。なんだか自分の未熟さを自覚した朝となった。


<つづく>

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