高1 襲撃

 文化祭も終わり、学校がだらけた空気になった11月のこと。


 私はバイトの研修が終わり、ついにデアデビルの担当としてお客様の前に出ることが許された。

 本物のお客様に対して「地獄を見せてやろう」と何十回も言う日々が始まったのだ。幸せすぎる。

 アトラクションの操作はまだ任せてもらえなくて、しばらくはお客様の誘導やポーズを決めて台詞を言うのが私の主な仕事だった。


 それ以外にも、アトラクションに乗るときお客様の手荷物を預かるという仕事もあった。「お客様、風船を持って地獄に行くのは危険ですので、こちらでお預かりいたします」とか「お客様、お食事しながらの地獄行きは少々無理がございますので、そちらのクレープは一旦こちらで預からせていただきます」とか言って、いろんなものを預かりまくった。

 中には奇妙な預かり物もあった。ノートパソコンとか書道セットとか野菜とか。なぜこんなものを持って遊園地に? そう思わないでもないが、お客様にもいろいろ事情があるんだろう。人は他人からは想像もつかない背景があるものなのだ。私はまた一つ見識が広がった気がした。



 村木くんとは時々電話で話した。村木くんは毎晩おやすみコールを掛けてくれたし、私から掛けることもあった。ただ、会ってはいなかった。次に会ったときに村木くんとのことを決断すると決めているのだ。ちょっと慎重になっていた。


 それでも、いつまでも先延ばしするわけにはいかない。

 そう思っていた矢先のことだった。



 日曜日の朝、バイトに行こうと家を出ると、つやつやキューティクルのボブカット美少女が立っていた。うちのインターフォンを押そうとした姿勢のまま、驚いて目を見開いていた。この人には見覚えがある。村木くんの元カノの桃子さんだ。近くで見るとほんとうに可愛い。小柄で背が低いのも可愛い。もう嫉妬心すら起こらないレベルで可愛い。


 桃子さんは大きな瞳をキっとつりあげて、私に詰め寄ってきた。

「あなたが鐘山時子さんね」

「はい、そうですが」

 えっ、これは一体なに。修羅場?

「村木くんと別れて」

 いきなりそんなことを言われて、私は思わず吹き出してしまった。すごい、何これ、ドラマみたい。

「な、何で笑うのよ」

「済みません、なんか面白すぎて」

「はあ? あなた頭がおかしいんじゃないの」

 桃子さんは桜の花びらのように可憐な唇を尖らせた。

「こっちは真剣な話をしてるんだけど」

「はあ……ふ……ふふ」

 だめだ、笑いのツボに入ってしまった。

「もう何なの、あなた!」

 桃子さんはキレている。

「頭おかしいんじゃないの! ねえ、別れてよ。村木くんを返して」

「ふ……ふふ……だめだ、止まらない、ふふ、はははは」

 私は我慢の限界に達し、声を上げて笑い出してしまった。

「ほんと頭おかしい!」

 そう罵倒して、桃子さんは帰っていった。


 桃子さん、結局何をしに来たんだろう。



 その日の夜、いつもより早い時間に村木くんから電話がかかってきた。

「今日そっちに桃子が行ったみたいなんだけど、会った?」

「うん。会ったよ。うちに来てた」

 村木くんの舌打ちする音がした。ダークサイド村木、本日も健在である。

「大丈夫だった?」

「特に何もなかったよ」

「刃物とか出されなかった?」

 は、刃物!

「村木くん、元カノとどういう別れ方したの……」

「綺麗に別れてはいないね。ちょっとこじれたというか」

「ああー。そういうの良くない」

「うん、良くないね」

 全く反省していないのが声でわかる。

「はあ、どうしよう……」

 私は悩んだ。

「怖い?」

「怖くはない」

 村木くんは苦笑した。

「……だろうね」

「桃子さん、また来ると思うんだ。もしバイト先まで来られたら困るんだよね。遊園地に迷惑かかるし」

 家まで押しかけるような性格の人だ。バイト先にも来るのではないか。

「できればさっさとケリをつけたいな。3人で話し合うってのはどうかな」

「……それは、俺の彼女として、桃子と対決するってことでいいのかな」

「えっ」

 そうか、そういうことになってしまうのか。それってどうだろう。

「うーん。そもそも村木くんが桃子さんにきちんと話をしたらいいような気がしてきた。村木くんが誰と付き合うかを私と桃子さんが決めるのは違うよね。決めるのは村木くんなんだから」

「正論だね」

「綺麗な別れが、綺麗な出会いを生むんだよ、村木くん」

 私がそう諭すと、

「肝に銘じます」

 と全然そう思ってなさそうな声で言われた。

「明日、学校で桃子と話しておく。鐘山さんのところにも行かないようきつく言っておくよ。でも、万が一またあいつが会いにいったらすぐ俺を呼んで」

 そう言われたのだが……。



 翌日の朝、学校に行こうとドアを開けたら、桃子さんが立っていた。また来ちゃったかー。村木くんの説得は間に合わなかったみたい。でもバイト先でなくてよかったかな。

 その横には見覚えのある男性生徒がいた。たしか駐車場で桃子さんを引き留めていた人だ。

「ちょっと付き合いなさいよ」

 桃子さんからそう言われたので、

「えっ、でも学校あるから」と断ると、

「それぐらいサボりなさいよ!」と怒られた。ええー、理不尽。

 私が無視して学校に行こうとしたら、連れの男性から「ごめんね、今日だけ付き合ってやって」と拝み倒されて、しぶしぶ付き合ってあげることにした。

 桃子さんたちは村木くんと同じ制服だから同じ高校なのだろうが、ばりばりの進学校だろうに、サボりとか大丈夫なんだろうか。私が心配することじゃないけれど。



 制服姿で街をうろついても目立つので、二人を私の部屋に招待した。両親が出勤済みで良かったなあ。

 部屋に入ると、桃子さんは「へえー」と大変感じ悪い声を上げて、じろじろ無遠慮に室内を観察していた。無視無視。

「それで、ご用件は」

 私が聞くと、

「このカーテン、だっさ」

「いや、もう、用がないなら帰ってもらっていい? 私、学校行くんで」

 私が彼らを追い出そうとすると、男性が「本当ごめん。ほら、桃子」と話を促した。

「昨日も言ったけど、村木くんと別れてよ」

「なぜ?」

「村木くんは私のものだから」

「それって村木くん本人は認めてるの?」

「そんなのあなたに何の関係があるのよ!」

「ええー。私に関係ないなら会いにこないでほしい」

「あなた、本当に何なの!」

「桃子さんこそ急に訪ねてきたと思ったら言いたい放題でちょっと失礼だと思うな」

「な、何よ」

 失礼なことに自覚があるのか、桃子さんは言葉に詰まった。

「人に何かを頼むときって、そういう態度は違うんじゃないかな」

「あなたって本当に話が通じないわね!」

 そう言うと、桃子さんは鞄からカッターを出した。は、刃物だ!

「桃子、そういうのやめろって」

 男が桃子さんに近づこうとしたら、桃子さんは後ずさりながら、カッターの刃を出した。飛びかかってくるのかと思い身構えたが、桃子さんは刃を自分の喉に当てた。

「えっ?」

 どういうこと?

「村木くんと別れるって約束して。してくれないなら、この部屋で喉を切って死んでやるから」

「ええー……」

 そういうパターンか。

「桃子、よせって」

 男が近づくと、桃子さんはカッターをぐっと喉に押しつけた。赤いものが滲んだのが見えた。

「桃子!」

「ま、待って待って」私は慌てた。「とりあえず、この場はお開きにして、いったん学校に行って、また放課後にでも村木くんも呼んで話し合うってどう?」

「あんた馬鹿なのぉぉぉ!」

 逆上させてしまった。うーん、説得って難しいな。

「ねえ、別れるって言ってよ」

 目に涙を浮かべて、そんなことを言う。胸が締め付けられる。その涙に見覚えがある。私も幾度となく流した涙だ……。

「そんなに好きなんだね、村木くんのこと」

 つらい気持ち。よくわかるよ……。

「いや、そうでもないよな」

 と男性が言った。桃子さんも頷いた。はい?

「村木くんは彼氏だけど1番じゃないもん。私は可愛いから彼氏が3人もいるんだから。私は学校で一番モテるんだからね!」

「えっと、彼氏が3人いるのに、村木くんとよりを戻したいってこと?」

「そうよ」

 そうなんだー。あっさり認めたー。なんか急に腹が立ってきたな。そんなに村木くんのことが好きなのかなって、そういう意味では同士を見るような気持ちでいたのに。感情移入してしまった私の気持ちを返してほしい。


 しかし、村木くんって中学ではまじめ系女子に人気だったのに、どうしてまたこんなエキセントリックな人と付き合ってしまったんだろうか。

「とりあえず事情を説明してもらえる? 二人はどうして別れることになったの?」

「……そんなのあなたに話す必要ないでしょ」

「話すことで見えてくるものもあるんだよ」

「でも……」

「話してくれないことには、私も何も言えないよ」

「……」

「そうだ、お茶淹れてくるね」

 桃子さんは迷っているようだったので、ここはワンクッション必要かなと思い、私は一旦台所に行き、お茶を淹れることにした。


 部屋に戻ると、桃子さんはカッターを膝の上に置いて座っていた。寄り添うように男性も座っている。この人も彼氏の一人なのかな……。

 私がお茶を出すと、桃子さんはむすっとした顔のまま受け取った。男性はぺこっと頭を下げてお茶を飲んだ。

 桃子さんは湯飲みを持ったまま、ぽつぽつと語りだした。

「村木くん、入学式のときに新入生代表だったの」

 さすが村木くん。

「だから、桃子の彼氏にしようと思ったの。顔も悪くなかったし」

「へ、へえ……」しょっぱなから理解不能な話が始まってしまった。

「でも、普通に告白したら振られたから頭脳戦でいくことにしたの。村木くんは玖路山くんが好きみたいだったから、玖路山くんにいたずらされたくなければ付き合ってって言ったらOKしてくれた」

「うわあ、卑怯だね!」

 思わず叫んでいた。桃子さんはキっと私を睨んだ。

「あなたに何がわかるのよ」

「うん、全然わからない」

「な、何よ!」

「桃子、落ち着け」

 男が桃子さんの髪をなでると、桃子さんは男の胸に泣きついた。そのとき、のど元に血が滲んでいるのが見えた。あれってお風呂に入ったときに染みそう……。

「何で別れることになったの?」

 私が尋ねると、桃子さんは男にしがみついたまま、

「ちょっと玖路山くんと遊んであげようとして押し倒してみたら、めちゃくちゃキレられて拒否されて、それからもう怖くて玖路山くんに近寄れなくなったのが村木くんにバレた」と顔も上げずに言った。

 ああ、つまり桃子さんは玖路山くんにとって脅威にならないってわかったから、無理して付き合う必要もないと、そういう判断を村木くんはしたんだな。


 村木くん、馬鹿だなあ。

 賢いのに、この地域で一番頭が良い高校の新入生代表なのに、馬鹿だなあ。

 玖路山くんのために桃子さんと付き合うなんて、馬鹿だなあ。


 優しかった昔の村木くんはまだいるんだ、消えてないんだ、そんな気がして、胸がじーんとした。


 村木くんは仮面を被っていたと言っていた。優しい振りだったと。だからといって、優しいふりは嘘じゃなくて、彼の一部であると。その意味がやっと心で理解できた気がした。


「話はわかった」

 私はにっこり笑って提案した。

「それじゃあ、桃子さん、タイマンしようか」


<つづく>

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