高1 ずっと好きだった
ある早朝、自室で身支度を調えていたら、スマホに知らない番号から着信があった。出てみたら玖路山くんだった。
「亜美から番号教えてもらった。こんな時間に悪い」
「別にいいよ~」
むしろ嬉しかった。久しぶりに玖路山くんの声を聞けて、なんだかほっとする。ずっと息を止めて泳ぎ続けていたのが、やっと息継ぎできたみたい。というか、今までお互いの番号を知らなかったんだなって今さら気づいた。この機会にアドレス登録しておこう。
「今日の放課後、会って話したい」と玖路山くんは言った。
何の用件なのかを私は聞かない。これまでだって聞いたことはほとんどないはずだ。だって玖路山くんが「話があるんだけど」などと言って私を呼ぶときは、玖路山くんにとって大事な用か、もしくは私にとって大事な用なのだ。聞くまでもなく答えはイエス。
だけど、予定が合わないこともある。
「ごめん、今日はバイトの日なんだよね」
「じゃあ、それ終わってから」
「いいけど、結構遅い時間になっちゃうよ。大丈夫?」
「平気。どうしても今日がいい。多分明日になったら決心が鈍るし」
「そっか」
決心って。なんらかの事件の予感がした。
「遊園地の近くにあるカフェ、Green Garnet Cafeだっけ、あそこで待ってるから」
「わかった。バイト終わったら急いで行くね」
遊園地でのバイトを終えた私は、約束どおり急いでカフェへ向かった。
時刻は夜9時すぎ。玖路山くんの家はここから結構遠いから、あまり待たせたら悪い。
Green Garnet Cafeは、うちのバイトリーダーが言うには、歩き疲れた人たちを癒やすというコンセプトで作られたカフェらしい。つまり遊園地帰りの客をターゲットにしているのだ。そういうわけで、バイトリーダーからは「遊園地の小判鮫カフェ」と呼ばれている。さすがに言い過ぎでは……。
このカフェは、あたたかみのある木製の建物で、ゆったり座れるソファ、落ち着いた照明、けだるい音楽、チルアウト系っていうんだっけ、まさに疲れている人をターゲットにしたカフェだった。そして営業時間は遊園地よりちょっと長い。だから、ごくたまにだけれど、私もバイト帰りに寄ることもあった。バイト先で変なお客さんに絡まれた日とかに。
ここはグリーンの名のとおり観葉植物がテーブルとテーブルの間に配置され、遠目には園芸ショップか植物園の温室のようで、私は好きだった。
重い木のドアを開け、店内を見回した。
大きなモンステラの植木鉢に挟まれたテーブルに玖路山くんはいた。制服姿だ。私もだけど。学校から直接来たのかな。何か本を見ていたみたい。けっこうサイズが大きい本だ。画集かな?
「玖路山くん!」
私に気づいた玖路山くんは、本を鞄にしまい、再び私を見て、険しい顔をした。
「んっ? どうかした?」
戸惑いながら、向かいのソファに腰を下ろした。
「そのアザ……、誰にやられた?」
静かにガチギレしているのがわかる。目つきがしゃれにならない。
しまった! アザのことをすっかり忘れていた。大分薄くなってきていたから油断していた。まだ、殴られたところがうっすらとまだらに紫がかっている。
「これ、あの、女子とタイマンしちゃって」
私がそう言うと、張り詰めた空気がふっとゆるんだ。
「高校生にもなってタイマンとか呆れるんだけど……」
「お恥ずかしい……」
「で? 勝った?」
「もちろん」
玖路山くんは笑った。その笑顔を見た瞬間、世界が一変した。
「やったじゃん。でももうやるなよ」
「う、うん」
そっか。ああ、私が欲しかったのって、こういうのだったんだなあ。玖路山くんの笑顔を見て、やっとわかったよ。ずっと目の前にあって、すぐ近くにありすぎて見えなかった。
一緒にいて、私が私でいられる人。
「ちょっと、なんで泣いてるの」
「うう……なんでだろ。わかんないけど、私、玖路山くんのことが好きなんだと思う、ずっと」
「……は?」
「ごめんね、急にこんなこと言われても困るよね。きょうはもう帰る」
「ちょ、は? 待って!」
「もう涙がとまらないし、鼻水でてくるし、ゴホッ、うっ、なんか咳も出てきたし帰らせて」
もはや前も見えない。
「えっと、いや、え?」
玖路山くんは混乱しているようだ。そりゃそうだろう、突然わけわからん流れで告白されたんだから。私だって大混乱だ。
何も注文せずに帰るのもお店に悪いと思って、チーズケーキをテイクアウトして帰ることにした。レジカウンターでお金を支払っていると、玖路山くんが隣に立って、話しかけてきた。
「あのさ、さっきの……」
「お待たせしました」店員さんがチーズケーキを箱に入れて持ってきたので、玖路山くんの言葉は最後まで続かなかった。
「ごめんね。話があったんだよね、また明日でいいかな」
私がそう言うと、少しの沈黙のあと、「家に帰ったら、僕があげた本のブックカバーを外してみて」とだけ言われた。
どういうことだろう。わけがわからないけど、言われたとおりにしてみようと思った。玖路山くんのことだ、きっと意味があるはずだ。
帰宅後、お風呂に入って落ち着いたのち、私は本棚からスイカ柄の文庫本を取り出した。ああ、この本をもらったときは夏休み中だったんだな。今はもう冬だ。あれから半年もたったんだなあ。
言われたとおりカバーを外してみた。
主人公の女の子が剣を構えた格好いい表紙イラストが出てきた。これが一体なんだろう? よくわからない。
何気なく外したブックカバーのほうも見た瞬間、私は頬が熱くなるのを感じた。きっと鏡で見たら真っ赤になっているに違いない。
本当だったんだ。本当にそうだったんだ。どこか信じられない気持ちでいたけれど。
ブックカバーの裏には、「時子へ 好きです」と書いてあった。
そのわずか5秒後のことである、村木くんから毎晩恒例のおやすみコールがかかってきたのは。
私は震えた。ど、どうしよう。パニックになりながら、とりあえず電話に出た。ああ、出てしまった。
「こんばんは」
「こ、こんばんは……」
どう切りだそうとか、なんて言ったらいいだろうとか、そういったことを何も考える時間もなくて、私は正直に打ち明けるしかなかった。
「村木くん、私、言わないといけないことがあるんだ」
だって、こういうことを隠すのは好きじゃない。
「なに?」
「今日、玖路山くんに告白した」
「……どういうこと?」
意外なことに村木くんの声には怒りがにじんでいた。むしろ歓迎してお別れを言うのではないかと思っていたのに。
「ごめん……」
「ちゃんと説明してくれる?」
そうだよね、村木くんの疑問に答える義務が私にはある。本当のことを言わないと。言いづらくても。逃げるわけにはいかない。
「私、玖路山くんのことが好きなんだと思う」
「気のせいだよ」
即答された!
「気のせいじゃないよ。きっとずっと好きだったよ、玖路山くんのこと」
「そうなんだ。じゃあ、俺のことはどうだったの?」
「憧れてたし、尊敬してた」
たぶんこれが私の本当の気持ち。私の憧れ。夢のような人。みんなに優しくて、頭が良くて、人知れず誰かをフォローするような人。私はそんなふうになれないから、だからこそ尊敬した。
「へえ……。それって好きってことじゃないのかな」
「……好き、だったよ。玖路山くんへの気持ちに気づく前までは」
好きだけれど、一緒に歩いて行く人ではなかったと気づいた。村木くんと一緒にいると、私はドキドキする。ドキドキして、嫌われたくなくて、自分を見失って、流されていく。それは心に正直に生きるのとはちょっと違うと思う。私は自分の心に正直に生きていきたいのだ。
どんなに好きでも、譲り渡せないものが私にはある。
「随分と勝手なことを言うね」
「自分でもそう思う……」
ひどいことを言っている自覚はある。勝手に片思いして、勝手に裏切ってる。罵倒されても仕方がないと思う。
「それで、どうしたいの? 俺と別れたい?」
……ん? 別れるってどういうこと?
「私たちはまだ付き合ってなかったよね」
村木くんの告白に対してまだ返事はしていない。返事をずるずると先延ばしにしてしまったのは申し訳なかったが、付き合っていないのは事実なのだ。
「俺は付き合っているつもりだったし、別れるつもりもないけど」
何かがおかしい気がする。話がだんだん変な方向へ向かっていってる気がするのだが。軌道修正しないと!
「む、村木くんは私がタイマンしたから幻滅したでしょう? 嫌いになったよね?」
「まさか。俺は鐘山さんの性格を知ってるんだから、その程度で嫌うわけがない。ただ、守ってやれなかったことを反省してたんだ。自分の欲望に正直になったせいで引き起こした結果に落ち込んでいた。こんなことを二度と起こさないよう、これからは自分を抑えていこうと思ってただけだよ。自分の欲望を優先して、鐘山さんを傷つけないようにね。もしかして俺がぐいぐい押すのをやめたから寂しくなって、玖路山くんになびいちゃった?」
「そ、そういうんじゃないけど……」
「またぐいぐい押したら戻ってきそうな気がするね」
村木くんはくすくすと笑った。
「そんなことない!」
「じゃあ、試してみようか」
ひっ、なんか怖い!
「略奪愛か。まあ、いいよ、俺はそれでも」
「待ってよ、何の話をしているの」
「俺のことまだ好きだよね」
「す、好きじゃないよ」
「嘘。声が高くなってる」
「高くなってないよ!」
くすりと笑う声が妙に怖い。だめだ、また村木くんのペースで話がおかしな方向へ進んでいる。
「ねえ、やっぱり俺の部屋に来てほしいんだけどな。アルバムを見せたいんだ。俺たち4人で写ってる写真も多いけど、枚数が一番多いのは鐘山さんの写真だから。小学生の頃からずっと好きだったって、そのアルバムを見てくれたらわかってもらえると思うよ」
ひぇっ。私も大概重いから、自分のことを棚に上げて申し訳ないが、村木くんって重い。というか怖い。
「あの、とにかく、私は玖路山くんに告白したんだから!」
それだけ言って、電話を切った。怖いので電源もオフにした。なんだかドキドキするけれども、これはときめき的なやつではなくて、山でオオスズメバチに遭遇したときのドキドキだ。
ああ、村木くん。
ほんとうに私の理解を超えた存在だ。
<つづく>
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