中2 我こそは正義の鉄槌<ジャッジメント>なり

「待って」

 肩を落としてとぼとぼと川沿いの道を歩いていたら、背後から声をかけられた。

「あれ? 玖路山くん」

「長田ってやつのところに行くんだ?」

「うん、そう。村木くんから聞いたの?」

 玖路山くんは頷いた。

「僕も一緒に行く」

「えっ、なんで? 長田くんと付き合いあったっけ?」説得に協力してくれるのだろうか。

「長田とか知らないけど、何かあったら困るから」

「何かって?」

「長田って頭おかしいって聞いてるし」

「あっ、心配してついてきてくれるんだね。珍しい、優しい」

「珍しくはない。もともとめちゃめちゃ優しい」


 そういうわけで二人で並んで歩いた。

「えっと、玖路山くんはどこまで聞いてる?」リンチとか松本さんの売春とか。

「全部聞いてる」

「そっか」

「長田ってどんなやつ?」

「ええと、クラスではわりと嫌われてるかな」

「なんで」

「感じ悪いことを言うからじゃないかな。本人は悪気なさそうだけど。それより、長田くんって松本さんのことが好き、なのかな?」

「そんなわけない。好きなら変な噂を流したりするはずがない」

「だよねえ」

「それ、どこ情報?」

「村木くん。長田くんは松本さんのことが好きなんだろうって」

「……」

 玖路山くんは黙ってしまった。どうしたんだろう。



 しばらく歩いて長田くんの自宅についた。住宅街の中でも川近くのエリアに建つその家は、庭が広くてニワトリが放し飼いにされていた。

 呼び鈴を押すと、お母さんが応対してくれて、すぐに部屋に通してくれた。


 長田くんはベッドに腰掛けたまま、私たちを迎え入れてくれた。

「体の具合はどう?」

 一応そう声をかけてみたものの、見るからに元気そうだった。大きな怪我はしていなさそうだ。ただ、頬にアザができて、唇の端が切れているようだ。

「ええと、リンチされたんだって?」

 私がそう言うと、長田くんは顔を歪めたが、唇の傷が痛んだのか、うめき声を上げた。

「くそっ、あいつら絶対許さねえ」

「何があった?」と玖路山くん。

「なんだよ、おまえ」

「事情を聞きに来た。場合によってはおまえに協力してやってもいいから全部話せ」

「……昨日の夜、隣のクラスのやつらに公園に呼び出されて、いきなり殴られた。許せねえ。警察に被害届けを出してやるんだ。診断書はもう取りに行ったし、明日にでも警察に行ってやる」

「なんで殴られたの?」

「俺のことが気に食わないとか、ふざけんなとか言ってた」

「殴られるようなことをした覚えはないのか」

「あるわけねえだろ。俺は何も悪いことはしてない」

「待って待って、長田くんは松本さんの噂を流したんでしょ」私は思わずそう言わずにはいられなかった。

 すると、長田くんはちょっと考え込むような顔をした。

「そういや、あいつら何かそんなこと言ってたな、松本がどうのこうの」

「おまえは松本さんが売春してるという噂を流した、それは本当か」

「ああ。だってあいつ売春してるんだ。本当のことを言って何が悪い」

 ええっ、あっさり認めた……。私は長田くんをにらんだ。

「長田くん、最低」

「なんで!」

「そもそも何を根拠に売春は本当だと思ってるんだ?」と玖路山くん。

「あの女、財布に1万円札を入れてたんだ。俺は見たんだ」

「……」

「……えっ、それだけで?」

 嘘でしょう、長田くん。

「ほ、ほかにもあるぞ。あいつ可愛いからってモテない男を見下してるだろ。男の内面を見ないで金や顔だけ見てるんだ」

 私は松本さんと話したことがないので長田くんの言うことが本当かどうかわからない。というか、モテない男を見下すという話と売春がどうつながるのか全くわからない。

「松本さんがそういう人だという話は聞いていない。むしろ誰にでも優しく接するタイプだと聞いているが」と玖路山くんが冷静に反論した。

「それはおまえがイケメンだからだろうが! あの女はイケメンには優しいんだよ!」

 長田くん、なぜキレてるの。

「はあ? 人から聞いた話をしているだけだ。僕は松本さんと会ったことはない」きっと村木くんからの情報なのだろう。

「しかし、わかってきたぞ。おまえ、松本さんから冷たくされたんだな」

「……っ、ああ、そうだよ。あいつは非イケメンを見下してるからなっ。ろくでもない女なんだから売春ぐらいやってるだろ。世の中そういう女は多いらしいからな」

 どういう理屈なの!?

「よくわかんないけど!」

 私は声を張り上げた。

「冷たくされたからって、売春してるなんて言いふらすなんて最低だよ!」

「えっ、別に言いふらしてない……。ちょっと人に話しただけだろ」

「そのせいで松本さんは不登校になったんだよ」私はイライラしてきた。

「不登校って、なんで?」

「だから! 長田くんが、言いふらしたから! 長田くんのせいで、松本さんは不登校なんだよ! 誹謗中傷! 侮辱! いじめ! 長田くんはそういうことをしたの!」

 長田くんはやっと話が理解できたのか、急に慌てだした。

「で、でも、俺はそんなつもりで言ったわけじゃないし、悪気はないし……」

「長田くん最低、デマを流して不登校に追い込むとか人として最低」

「デマじゃない! 松本は売春してる!」

「はあああ? まだ言うか!」

「あんた、もう黙って」

 これが黙ってられるか。

「おい長田くん、いや、長田よ、よく聞け。松本さんが売春してるってのは長田の憶測に過ぎないんだよ。そんな不確かな情報で松本さんを不登校に追い込むなんてあんまりだよ」

 私がにらみつけると、長田はそっぽを向いた。

「長田が被害届けを出したら、松本さんの噂話がさらに広まることになるんだよ。つまり、もっと松本さんが傷つくの。だから、長田、おまえは泣き寝入りなさい」

「はあ? ふざけんな」

「じゃあ、被害届けを出すつもりなの?」

「当たり前だろ」

「それでどうなるっていうの?」

「俺に暴行したやつらに謝らせることができて、俺の気が済む」

「それで?」

「え、それで、えっと、それで十分だろ」

 なんなのこいつ。自分のことしか考えてないのか。

 玖路山くんは呆れたと言わんばかりにため息をついた。

「その結果、噂が街中に広がり、松本さんが悲しんで、おまえは今よりもっと嫌われ者になるが、それでもいいのか」

「なんで俺が嫌われるんだよ! 俺は被害者なのにおかしいだろぉ!」

「おかしいのは長田、おまえだよ!」

 私は叫んでいた。

「よく考えなさいよ長田。謝らせるだけなら警察はいらないんだから。長田が松本さんに謝ればいい。噂を流してごめんって頭を下げなさい。そうしたら、加害者たちも長田に謝るはずだよ」

 リンチした男子たちは松本さんのことを思って行動を起こしたのだから、松本さんのためだと説明すれば、応じてくれるのではないか。私は男子たちを説得するつもりだ。

「そんなの信じられるかよ」

「私が保証する。だから被害届けは出さないで」

「じゃあ、もし俺が松本に謝って、犯罪者たちが俺に謝りにこなかったら、鐘山さんが俺の言うこと何でも聞いてくれるか」

「おう、聞いてやるわい」

「ちょ、あんた、何言ってんの」玖路山くんがぎょっとした顔をした。

「いいの」

 村木くんから頼まれたのだ。なんとしても長田に被害届けを出させたくない。それに松本さんだって騒ぎが大きくなったら気の毒すぎるじゃないか。不登校が長引いたら進学にも影響が出てくる。

「それならいいぜ。被害届けは出さずに保留してやる」

「待て。そんなの僕は認めない」

「知るかよ、もう約束したんだ。口約束だって履行義務はあるんだからな。逃げんなよ」

「はあ? 長田こそ……」

「おまえら黙れよ!」

 玖路山くんに一喝されて、私と長田は言葉を飲み込んだ。


 しーんと室内が静まりかえった。


 不満げに顔をしかめた長田が口を開こうとしたら、玖路山くんに睨まれて、「な、なんだよぅ……」と、情けない声を出した。

 長田のやつめ、玖路山くんの怒りのオーラにビビってるな。実を言うと私もだ。昔から気が強いのは知っていたけれど、いつの間にこんなマジギレスキルを身につけたんだろう、玖路山くん。


 玖路山くんはため息をついて、ゆっくりと口を開いた。

「とにかく長田は松本さんに謝れ。あとのことは僕に任せろ」

「え、でも……」

「わかったな?」

「はい……」

「被害届けも保留にしておけよ」

「はい……」

 長田はもう逆らわなくなっていた。




 長田の家を出て、無言で歩く玖路山くんのあとを、私もついていく。

 ややあって、

「あんた馬鹿じゃないの」と、前を見たまま玖路山くんはつぶやくように言った。

「そうかも」

 私も反省した。ついかっとなって、おかしな約束をしてしまった。リンチした男子たちが長田に謝ってくれるとは限らないのに。

「どうしよう、何でも言うこと聞くって約束しちゃった」

「馬鹿」

「うう……」

 だけど、どうしても村木くんの期待に応えたかったのだ。それで冷静さを失ってしまっていた。玖路山くんはため息をついて、私を振り返った。

「あとのことは村木と相談してやっておくから、あんたはもう関わらないでいい。もし長田が何か言ってきたら、すぐ僕に言って」

「う、うん……」

 珍しく優しい。いや、違うか。本人も言うとおり玖路山くんはきっとずっと優しかったんだろうな。私が気づかなかっただけで。

「ごめん……」と昔より大きくなった背中に呟いた。



 その後、長田は松本さんに謝り、あんなデマなんて誰も信じてないよというクラスメートの励ましもあり、松本さんはなんとか登校できるようになった。


 リンチ犯たちは長田に謝ったので、私が長田から何か要求されることはなかった。


 <つづく>

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