第10話『ワン!』
【ABAWORLD MEGALOPOLIS 軌道エレベーター前広場】
吸い込まれそうな青空。そこに突き刺さるように聳える遥か空高くまで伸びる塔のような建築物。
電磁射出方式軌道エレベーター。
現実世界ではまだ建築計画が打ち出されただけで存在しない筈のその超構造建築物は、仮想現実であるABAWORLDでも一際存在感を放っていた。
そしてそのお膝元と言える場所をミカたちは歩いていた。ミカが歩きながらブルーへ尋ねる。
「その……『ゲン』ってアバが探している人なんですか?」
「あぁ。フォーラムでお前の姉ちゃんの名前知ってるヤツ尋ねたら、一人だけまともな反応返して来たヤツ。だから待ち合わせ頼んでみた。で、さっき検索してメール送ったらここで来いって言われたわけ」
「でも……そのアバの人……信用出来るんですか?」
「んー……まぁ普通のアバなら眉唾だとオレも判断したんだけど……返事してきたアバのゲンってそれなりに有名なヤツだから。会うだけあってみよって判断したわけ」
「有名……?」
「かなり個性的なヤツだよ。悪いヤツでは無いんだけど」
「個性的……――ん?」
その時、どこからかタッタッタッタっと足音が聞こえた。ミカが音のした方へ振り向くと一人のアバがこちらへ向かって手を振りながら走ってくる。見覚えの無いハンチングを被った地味目の恰好のアバだった。側頭部から生えている白い獣耳が申し訳程度に獣人の意匠を感じさせる。そのアバは遠くからでも聞こえるような声で呼びかけてきた。
「おーい! そこの二人ー! 待たせたねー!」
あまりに親し気なその様子にミカは思わず隣のブルーへ尋ねた。
「あれが……その……『ゲン』さんですか?」
「いや違うぞ。誰だアレ?」
そのアバはブルーとミカの前まで来るとにこやかな笑顔を向けてきた。
「さぁ、ミカくん! 今日はよろしく! っね!」
そう言ってそのアバは右手を差し出してくる。ミカは陽気なその声に覚えがあった。まさかと思いつつもそのアバに尋ねる。
「もしかして……ゆーり~さんですか……?」
「そのとーり! モフモフーきゅ~ん♥」
その場でクルッとターンし全身を見せ付ける。その動き、完全に先程無駄な激闘を繰り広げた【ゆーり~♥♥もふキュート♥】と同一だった。
「え、でもその姿は……」
明らかに別人と言えるその姿に困惑するミカ。しかしブルーは一人納得した様子で口を開いた。
「ほーん。サブアバ持ってたのかあんた」
「そう! これが歌って踊れて戦えるアイドル【ゆーり~♥♥もふキュート♥】の世を忍ぶ仮の姿! 【ゆーり~(オフモード)】です! モフ!」
「サブアバ……?」
ミカが首を傾げているとブルーが説明し始めた。
「メインのアバとは別のアバだな。デルフォに申請しとけばワンボタンで切り替え出来る」
「モフッと変身!」
ゆーり~がその場でまたターンするとパッと見覚えのあるあのモフモフなアイドルの姿へ変わる。まさに変身と言った感じだった。ミカはその変わり身の速さに感嘆の声を漏らす。
「おぉ……! 凄い……」
「バトルアバは結構サブで通常のアバ持ってるヤツ多いな。普段使いにはバトルアバ面倒だし」
ゆーり~は再びターンすると地味目なアバの姿へ戻る。そしてブルーへ同意しながら言った。
「モフ~やっぱり常にバトル申請されるのを警戒しないといけないのは大変だからねー。お仕事中ならまだしもオトモダチと遊んでる時とかにも申請されると、ね……」
「なるほど……」
ミカはその言葉に頷く。バトルアバの規約がある以上申請されたら絶対に戦わなければいけない。通常のバトルアバならまだしもアイドル活動との二足の草鞋のゆーり~の場合だと結構面倒だろう。そんな事を考えているとブルーがゆーり~へ尋ねた。
「良いのかよ、ファン放って置いてきて。まだあの馬鹿騒ぎ終わってねえだろ?」
「それは問題無いモフ。ちゃんと早引けをファンのみんなには伝えてきたからね! それに今日はゆーり~充分目立ったから後は他の子に出番を譲らないと」
「へぇ。それもアイドルの処世術ってヤツ?」
ブルーが少々意地の悪そうな顔を浮かべつつ、そう聞くとゆーり~は別段気にした様子も無く答える。
「そう思って貰っても構わないモフよ~? でも単純に疲れたってのもあるモフけどね……ミカくんとのバトルは激しすぎたモフー」
そう言ってゆーり~は大げさな動きで肩を竦める。ミカもそう思う気持ちは何となく理解出来た。。
「……疲れますもんね……バトル。実際に身体動かしてるわけじゃないのに。終わるとぐったりしますし……」
「ホントモフー。楽しいけど一日一回が限度モフー」
同じバトルアバ同士、妙なところで共感しあう二人。そのまま二人揃って首を垂れていた。
「……お前らが通じ合うのは構わねえけどさ。そろそろ待ち合わせの時間なんだけど。帰っちまうぞ目的のヤツ」
「あっ……すみません……」
「それじゃ急いでレッツゴーモフよー!」
「え? お前着いてくるの……?」
ブルーが困惑しながら尋ねるとゆーり~は見事なサムズアップを見せてくる。
「当然モフ! 何故なら今日のゆーり~はミカくんの一日ガールフレンドだから! どこまでも着いて行きます! モフ!」
「えぇ!? 何ですかそれ!?」
寝耳に水な発言にミカは驚く。ゆーり~はさも当然と言った様子で胸を張りながら続けた。
「ゆーり~にアババトルで勝った特権モフ! ドキドキ!! オフのアイドルとデート権をプレゼントするモフ! 拒否権は無いモフよ! 最近オフ無くて脳みそがモフっとしてきてたから、それを解消するためにもたぁぁっぷりエスコートしてもらうモフ!」
「……お前もしかして仕事サボりたかったから、理由こじつけてきただけじゃねえだろな。まぁ……良かったな、ミカ。アイドルとデートとかファンが嫉妬で(ピー)しに来るだろ。じゃオレ先に行くから……ちゃんと後から着いて来いよ」
ブルーは最早付き合いきれないと言った様子を見せつつ、はしゃぐゆーり~と困惑するミカを置いて一人だけ歩き出す。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! ――あっ!?」
いつの間にかゆーり~が満面の笑みでミカの腕を掴んでいる。その細腕からは想像も出来ない力で、振りほどくことが出来ない。
「大丈夫モフ。傍目には女の子二人にしか見えないからきっとファンにバレても炎上しないモフ――多分。」
「い、嫌だー! そんな醜聞に巻き込まれるのはー!」
「さぁ行くモフよー」
ミカはゆーり~に無理矢理腕を組まれるとそのまま引き摺られるような形でブルーの背中を追わされた。
「因みに何しに行くモフ~?」
「……それは色々と積もる話がありまして……――」
【ABAWORLD MEGALOPOLIS 軌道エレベーター完成記念碑前】
「すげえ。REXとバトったことあんのか」
「国際交流で呼ばれて戦ったモフよ。中々大変だったねー」
「あいつ、米軍所属だから普通はバトルやらねえんだよなぁ。あー裏山……どんな奴だった?」
「まさに軍人って感じだったモフ。鬼強かったモフねぇ。……一曲歌い切る前に空中でお手玉されて気が付いたら負けてた記憶しかないモフ」
「良いなぁ。その時の動画とかないん?」
「残念だけど無いねー配信禁止だったし。SSすらNGだったモフ」
「マジかぁーオレも見たかった……あいつのバトル見た事無いんだよなぁ」
ブルーとゆーり~の二人は広場に置かれた巨大な卵型の記念碑に寄りかかりながら仲良さそうに会話をしていた。
(ブルーさんってホント、アババトル関連の話には直ぐ喰い付くなぁ……あの偏屈気味なブルーさんと平然と会話するゆーり~さんのコミュ力が凄いのかもしれないけど……)
ミカはそんな二人を見つめつつ、近くで所在無さげにしゃがんでいた。
ブルーの言っていた待ち人。ゲンというアバに指定されたこの場所。軌道エレベーター建造記念碑前。青空の下、そこで三人は肝心のゲンというアバが現れないせいで待ちぼうけを喰らっていた。
「どんな人なんだろ……ゲンさんって」
「ワン!」
「わん……?」
突然、場違いな犬の鳴き声ががミカの背中に掛けられる。振り向くとそこに【犬】がいた。
白い毛をした大型犬。ちょっと抜けた顔をしているけどそこに居たのはまぎれもなく犬だった。こちらに向かって下を出しながら息を荒く吐いている。
「ワン!」
犬がその場から動かず座ったままもう一度吠える。まるでミカを呼んでいるようだった。ミカは立ち上がると犬へと近付く。近くで見るとその犬はリアルな犬とは違ってどことなくカートゥーンみたいな抜けたデザインをしていた。
(変な顔だけど結構可愛い……)
「どこから来たんだー? お前?」
「ワン!」
声を掛けると犬が三度目の鳴き声を上げる。ミカはしゃがみこんでその犬の頭を撫でた。ちょっと固めの毛の感触が手に伝わる。その固さがむしろ本物の犬っぽさを出していた。まるで現実の犬みたいだ。
「クゥ~ン」
撫でられた犬が目を細めながら気持ちよさそうに喉を鳴らす。こんなところまで再現されている事を素直に感動した。
「この犬ってNPCかなぁ……? 流石リアルさを売りにしてるだけあって凄い良く出来てる……あぁ~良いなぁー!」
ミカは実はかなりの犬好きだった。だが不幸にも人生の中で犬を飼う機会には恵まれていなかった。そのため我慢できずに抱き着き、その毛を存分に堪能してしまう。頬を押し付け、顔を毛皮に埋めた。フカフカの触感を肌で感じ、更にうれしくなった。
「幸せ……」
「あー……ミカ?」
いつの間にかブルーがすぐ隣まで来ていた。犬へ抱き着いているミカを見て非常に気まずそうな表情をしている。
「あっ! ブルーさん! 見てくださいよ! この犬! 可愛いですよねぇ。こういうNPCも居るんですね。知らなかったなー毛とかもホント良く出来てて――」
「そいつ……NPCじゃないぞ」
「は?」
犬に抱き着いていたミカが固まる。ブルーが続けた。
「中身、人間入ってるれっきとしたアバだ。というかそいつが待ち合わせしてた【ゲン】だぜ」
「うぇぇぇええ!!!???」
ミカは驚きのあまり両手を勢い良く離すと殆ど飛び退くようにして犬から離れた。相変わらず犬の方は荒い息を吐きながら座っている。騒ぎを聞き付けてゆーり~も覗き込んできた。
「へぇ~獣人型じゃなくてホントに獣型のアバって珍しいモフね」
「ひ、人が入ってるなんて……!? さ、触っちゃいましたよ!? ガッツリと!」
ミカは衝撃の事実に動揺して思わず両手をブンブンと振り回す。ブルーは哀れなレベルで動揺しているミカへ同情的な視線を向けながらも犬へと話し掛けた。
「あんたがフォーラムで返事くれた『ゲン』だろ?」
ゲンと呼ばれた犬が荒い息を吐くのをピタっと止める。そして先程まで鳴き声しか出さなかった口から人間の言葉を喋り始めた。
「はい。私がそうです。ゲンと申します」
妙に知的さを感じさせる男性の声だった。それが犬の口から聞こえ、物凄い違和感がある。そのゲンと名乗ったアバは続けて口を開いた。
「B.L.U.Eさんとはフォーラムでお話しましたね。そちらのお二方は……お初のようです。どうもよろしく」
ゲンは座ったまま頭をミカとゆーり~へ下げてくる。
「よ、よろしくお願いします」
「よろモフー!」
挨拶を返す二人を余所にブルーはゲンのアバを上から下まで眺めていた。一通り眺め終えてから喋り出した。
「話には聞いてたけどマジで四つ足タイプのアバ使ってんだなぁ。非人型アバって超絶動かしにくいんだろ?」
ブルー言葉にゲンはまたコクンと頷く。
「はい。このアバを使ってそれなりの期間が経っていますが……まだ上手く動かせませんね」
ゲンはそう言って前足を上げようとするがその動きはどことなくぎこちない。直ぐに諦めて足を降ろしてしまった。
流石に気になることが色々とありすぎたが取り合えずもっとも気になったことをミカは思わず質問でぶつけてしまう。
「あの……どうして犬のアバを使っているんですか?」
「それは研究のためです。イヌ科動物の動作の検証ですね。このアバの3Dモデルとボーンも本物のサモエド犬から骨格をトレースして作っています」
「な、なるほど……?」
ミカが何とか半分くらい理解しながら頷くとゲンは続けていく。
「人間と四肢動物は基本的に骨格の作りが違うため、その差異の研究も兼ねていますね」
「作りってどういうことモフ?」
ゆーり~の疑問を受けてミカの方へ視線を向けてくる。そして何故かこちらに指示してきた。
「ミカさん。ちょっと四つん這いになって貰えますか?」
「え? 私ですか……?」
「はい。両手は地面に立てて、両膝はちゃんと地面に付けてください」
「えっと……――こうですか?」
その有無を言わさぬ物言いに流されてミカはその指示に従った。地面に四つん這いになり、顔だけ上げてゲンの方を見る。
「それではその状態で腎部を上げて、膝を地面から浮かせてください。更につま先立ちを意識してください」
ミカは言われた通りにお尻を上げて膝を地面から離す。そしてブーツのつま先を立てて下半身を支えた。すぐさま下半身を負荷が襲う。
「これが基本的な犬の骨格になります。人間とはかなり差異があるでしょう?」
「ちょ、ちょっと待って! こ、これキツイです! あ、足がががが!」
ミカは全身をプルプルさせながら想像以上の負荷に悲鳴を上げた。つま先立ちな上に腰を上げているせいで非常にバランスが悪い。体勢を保つのが非常に難しかった。生まれたての小鹿のように震えているその姿を見てブルーが関心したように呟く。
「なるほどな……犬って人間で言えばこんな感じのスタイルだもんな。そりゃアバでも人間の骨格動かすのと仕様が違う訳だ」
「ミカくん……人のいるところでしちゃいけない恰好になってるモフ……色々と見えちゃってるし……」
「え!? どわぁっ!?」
ゆーり~の言葉に驚いて体勢を崩したミカはそのまま地面へと倒れ込んだ。ゲンは倒れたミカに一瞥もくれず話を続ける。
「人間は足が長く伸びるように進化しましたからね。バランスの問題で四肢動物と同じ体勢を維持するのは難しいのです。相当な訓練を積まないと人間が完璧に四肢動物の動きを仮想現実で再現するのは難しいでしょうね。AIで補助入れれば可能かもしれませんが、それだと本末転倒ですし」
ゆーりが地面で伸びているミカへ手を差し出す。
「大丈夫モフ……?」
「ど、どうも……すみません」
ミカはその手を取り礼を言いながら立ち上がった。フラフラと身を起こすミカを傍目に見つつブルーが改めてゲンへ尋ねた。
「それで本題なんだけど……例の『ネネカ』ってアバの情報。教えてくれるって話だったよな?」
「あぁ。そういう話でしたね。遂、熱が入って語ってしまいました。脱線して申し訳ない」
ゲンはのったりとした動きでお座りの体勢を取る。
「立ち話も何ですからこれを使ってください――ワン!」
ゲンが一度吠えるとその場に白いレジャーシートが敷かれた。犬の顔が沢山プリントされている妙に可愛いデザイン。三人はそのレジャーシートへ思い思いに腰掛ける。全員が座るのを待ってからゲンは語り始めた。
「フォーラムでもお話しましたがその方と出会ったのはデルフォニウム本社前でした。本社と言ってもABAWORLD内で再現されている建築物ですがね。そこで何時ものように私がアバの動作の練習をしているとその方が現れたのです」
ゲンはミカの方へ顔向けてくる。そして鼻を少し鳴らした。
「その方はあなたのように私の毛皮を小一時間ほど堪能していました」
「……血は争えないようだな。なぁミカ?」
ブルーが片眉を上げながらミカを見る。ミカはその視線から逃げるように目を逸らした。
(――姉さんも犬好きだからなー……絶対我慢出来なかったんだろうな……)
ミカがそんなことを考えているとゲンはまた鼻を鳴らし口を開く。
「その方は去り際に強めに私を撫でると足早に去って行きました」
「どこへモフ?」
「デルフォニウム本社の建物です。なんと建物内へ入って行きました。だからこそ私も印象に残っていたので覚えていたんです」
「おいおい……そりゃどうなってんだよ」
「変モフねぇ。それは……」
ブルーとゆーり~が二人で顔を見合わせる。如何にもあり得ない事と言った様子だった。
「あの……それって何が変なんですか……?」
事情を理解出来ないミカが尋ねると二人の代わりにゲンが答えた。
「デルフォニウム本社の建物は一般アバは入れないようになっているんですよ。そもそも内部へ移動するためのリンク自体が無いので入るとか以前の問題なのですけどね。そこに彼女は入って行ったので私もアレ? と思ってその姿を記憶していたのです」
ゲンの言葉にゆーり~が口を挟んでくる。
「多分見た方が早いんじゃないモフ? メトロポリスにデルフォの本社あるしここからならリンクで本社前に跳べるモフよ」
「それもそうですね。それでは跳びましょう」
「え――」
ミカが反応するより早く三人と一匹の身体はその場から消えた。
【ABAWORLD MEGALOPOLIS デルフォニウム本社前】
ヒュー――ボチャンッ!
「――ぐぼっ!? ゴボボボボ!?」
空中から落ちてきたミカは何故か水面に叩き付けられる。そのまま全身が水中へと沈み込み大量の水に包まれた。バシャバシャと水の中で悶え両手を振り回す。
(み、水!? お、溺れ――あっ)
誰かが水中で藻掻いているミカの首元の襟を掴む。そのままミカの身体は引っ張られ、水上へ引き出された。
「ぷはっ!」
水から解放されたミカは自分の状況を確かめた。自分が落水したのはどうやら噴水のようだ。それなりの深さがあるせいでミカの全身が沈み込んだらしい。
ミカが首だけ回して後ろを振り返るとゲンが服の襟を口で噛んで掴んでいた。そのまま彼は噴水の縁までミカの身体を引っ張っていき、噴水から引き揚げられ、側の地面へとべちゃっと降ろされた。
「大丈夫ですか? どうも複数人でリンクを使用したせいで座標がズレてしまったようですね」
「だ、大丈夫です……うぅ……服がビショビショに――って濡れてない?」
ミカは濡れてしまった服の裾を持ち上げる。水へ落ちた筈なのに乾いたままだった。
「そりゃそうだろ。リアルじゃねえんだから。そこまで再現出来てたらビビるぞ」
いつの間にか隣に来ていたブルーが呆れ気味にそう言う。ブルーの言葉にミカは自分の身体の見回して確かめた。どこも濡れてはいない。どうやらそこまでは再現されていないようだった。有難いと言えば有難い仕様だ。
「おーい! みんなー! ここモフよ~!」
ゆーり~の声が聞こえる。声の方向を見るとそこには大きな白い建物があった。
見るからに綺麗なガラス張りの建物で中央の広場にはとても大きな大樹が植えられている。それは建物全体を覆うように枝葉を伸ばしており、影を作っていた。ゆーり~はその建物の入口でぴょんぴょんと飛び跳ねている。
「じゃん! こちらが我々の生活しているABAWORLDの開発を行っているデルフォニウムさんです! モフ!」
「……お前はバスの添乗員か」
何故か観光地を案内するように解説を始めるゆーり~。だが妙にそれっぽい雰囲気を出しており、呆れるブルーの声も気にせず彼女は解説を続けた。
「この本社は現実に存在するデルフォニウムの社屋が可能な限り再現されていますモフ! 実際ゆーり~も一度本社さん行ったことあるけどそっくりです! 凄いモフ!」
「凄い……これが現実にもあるんですね」
ミカはゆーり~の解説を聞いて感嘆しながら建物全体を見渡す。その敷地の広さからでも大企業という事が伺えた。
「因みにここはバトルアバお披露目でも使われたりするのでテストルームと同じ仕様になっておりますモフ! ということで変! 身!」
ゆーり~がクルッとターンし普通のアバからバトルアバの姿へ一瞬で変身する。その姿を見てゲンがつぶらな瞳を大きくした。
「おぉ。あなたもバトルアバだったんですね」
「そのとーり! 更に! エクステンド! モフ!」
ゆーり~の姿が光に包まれ全身がモフモフとしたファーで覆われた。完全に戦闘状態へと移行した彼女は解説へと戻る。
「左手に見えますのが、デルフォニウムの社名にも使用されております社樹の『デルフォニウム』モフ! こちらは人工的に生育された樹木になっており、AI制御で活動が設定されておりまーす! モフ!」
ゆーり~はそう言って大樹へ手を掲げる。幹だけでも十メートルはありそうな巨大な樹木。威圧感さえ覚えるその巨木が人工の物とはただただ驚きだった。
「デルフォニウム創業時はとっても小さくて可愛らしい木だったらしいモフ! でも研究と実験によってここまでドーン! と立派に育ったんですって! まさにデルフォニウム驚異の技術ですねー!」
「……何かお前。妙に詳しい上に説明慣れしてんな」
「……実は昔デルフォニウムの広報担当に応募したことあるモフ。書類選考で落ちたけど……」
「……そりゃ納得」
「さ、さて続きましては! こちらが社内への入口となります! ツアーのお客様はどうぞこちらへ来てね! モフ!」
ゆーり~はそう言って建物の真ん中の方へ手招きした。導かれるままにミカたちはそこまで進み出る。ガラス張りの大きな扉があり、中を覗き込むと沢山の人たちが忙し気に働いているのが見えた。
「中では社員さんの皆さんが一生懸命働いておりますー! こうしてゆーり~たちの遊び場が作られているんですねー! それでは中へ入って下さいモフ!」
ミカはゆーりの言葉に促され、その扉の取っ手に手を掛け社内へ入ろうとする。
「あれ?」
手が扉に触れられない。空を切るようにスカっと通り抜けてしまった。その動きを見て隣でお座りしていたゲンが教えてくる。
「この建物自体は飾りみたいな物なんですよ、ミカさん。ここから見える社員も再現映像です。一応デルフォの提示しているロードマップだとその内、中も観光出来るようにするらしいですけどね。今はまだ中には入れません」
※ロードマップ アップデートなどの予定表。
「つーか多分建物の中身自体まだ作ってねえ筈。外人の解析で中身のモデルデータ無いの判明してたろ」
ゲンがブルーの言葉に黙って頷く。添乗員ごっこを終えたゆーり~も首を傾げながら頷いていた。
「ここはまだ未完成ってことモフ。だからここに入って行ったって言うのはまぁ……変な話モフね。あー本当ならゆーり~もここで働いてた筈なのにー……口惜しや」
顔を入口の扉に貼り付けながら恨みがましい視線を向けるゆーり~。
隣で現実なら警備に連れて行かれそうな迷惑行為をしているゆーり~を横目に、ミカは扉の向こうを覗き込むのを中断し、一斉に首を傾げている一人と一匹に疑問を投げかけた。
「でも……姉――ネネカってアバはここを通って中に入ったわけですよね……?」
「実際、見間違えたんじゃねーかぁ? 扉の前でリンク使って別の場所へ移動したのとさぁ。どうなん?」
足元のゲンへブルーが問い質す。しかしゲンは直ぐに顔を左右に振って否定した。
「間違いなくその方は扉をその手で開けていました。だからこそ私も驚いて記憶に残っていたのですから」
ブルーがその言葉に腕を組んで思案し始める。
「うーん……そうなると……可能性は二つか」
「二つ……?」
「一つはお前の姉ちゃんがABAWORLDのデータ弄って弄んでるチーターってこと」
「チーター……」
※チーター ゲームなどでデータの改竄を行い仕様外の動きを行うこと。基本的には歓迎されない存在。
幾らミカがネット関係に疎くてもその単語があまり良い言葉では無い事くらい分かっていた。
姉さんがそんなことをしていたとは考えたくは無いけど……。不安な気持ちになるミカを余所にゲンが付け加える。
「その可能性は私も考えました。ですが改造行為は基本的に自分のデータを改竄するのが中心です」
ゲンはまるで本物の犬のように後足で耳の後ろを搔いている。
「それに単に改造を行うだけならMODの使用が許可されている海外サーバーを使用すれば良いだけなので、わざわざデルフォニウムの本社のデータを弄るのも変でしょう。リスクも高すぎる上、得るものがありません。内部データ狙いのハッカーならそもそもABAWORLDを経由する必要がありません」
※MOD 主にパソコンゲーム用の改造データ。チートとの違いは……何時でも論争の元。
「そうなるともう一つ可能性だな。まぁぶっちゃけこれが一番確立高いわなーオレも薄々これじゃねーかと睨んでたけど」
「それは……一体?」
ミカの言葉にブルーとゲンが顔を一緒に見合わせる。ゲンが一度鼻を鳴らしてから答えた。
「つまりその方はGM……つまりゲームマスターだったということです」
「ゲーム……マスター?」
聞き慣れない単語に首を傾げるミカ。扉に顔を押し付けるのを止めたゆーり~がミカの方を向き、答える。
「所謂運営の人って事モフ。この場合だとデルフォニウムさんの社員さんって事だねー」
「社員……え!? 社員!?」
「ま、それが妥当なところだよな。それならミカのバトルアバがスポンサー無しとかも理由付くし」
ブルーが頭の上で腕を組みながら言う。一方ミカは混乱する脳内を整理するために自分の姉『
(姉さんは普通の商社で経理をやっていた筈だから、デルフォニウムの社員なんてあり得ないとは思うけど……でも――)
「そう言えばミカさんって無所属なんですね。珍しい……というより初めて見ました。無所属のバトルアバ」
「こいつは野良バトルアバだからな。野良犬みたいなモンだよ、野良犬」
「その割に短期間でバトルの回数を重ねているので、フォーラムでもかなり騒がれています。劇場型バトルアバって言われていました」
「劇場型?」
「散々ピンチ演出してから逆転するタイプの戦い方って事です」
「……納得。いや演出してるつもりは本人にはねえけどな。間違いなく」
「ただ思っていた印象とはかなり違った方ですね。面白い方です……色々と」
ミカが悩んでいる間にブルーとゲンは他愛もない話を始めていた。既に彼らの中で問題の『ネネカ』はデルフォニウムの社員ということで決着付いているようだった。
彼らは姉さんの実際の職業知らないから当然の反応だろう。だけど弟である
(副業……ってことは無いよなぁ。デルフォニウムみたいな大企業がそんなバイトを雇うとも思えないし。そうなると姉さんは俺と母さんに嘘付いて別の仕事を……?)
「ミカくんって無所属モフよね? それならゆーり~の事務所に入って欲しいなぁ……」
「まだ諦めてねえのかそれ」
「だって同僚の子は誘ってもバトルアバやってくれないし……大変だけど楽しいのに……モフ」
「その大変が大変すぎるからやらねえんだろ」
(でも姉さんがそんな重要なことで嘘を吐くなんて……だけど何か理由があって嘘を……? あー……もうわからねえ)
「アイドルアバ出来そうなキュートな衣装してるのに勿体ないモフぅ……」
「そうか? まぁマニア受けは良さそうな恰好してるのは確かだな」
「私はエクステンド後の衣装の方が好みですね。動画でしか見た事ありませんが、ワンポイントとして優れていると思います」
「流石犬型アバ使うだけあってそっちの性癖かい……まぁあれもデザインした奴の趣味相当入ってるしな。あ、そういやオペレーターしてるから遠隔出来るか――」
(こうなったらやっぱり直接、デルフォニウムの本社に行って確かめてみるしか――)
そこまで考えて突然頭と尻に覚えのある感覚がした。何時もエクステンドしている時に感じるあのむず痒さ。ポンッという音と共にミカの身体にあの犬耳と尻尾が生えてきた。
「ぎゃんっ!?」
別なことに意識を集中させていたせいか予想だにしない刺激に驚き、変な声を上げるミカ。慌てて二人と一匹の方を振り返るとこちらを見て談笑している姿が見えた。
「何するんですか! 人が真剣に! 考え事している時に!」
「いやお前のエクステンド後の衣装見たそうだったから――っておい!」
「ここはテストルームと同じって言いましたよね……! なら!」
ミカが右手を掲げるとブルーたちのいる場所に大きく影が出来た。
「――落ちろ! 黒檜!」
ミカの怒りの声と同時に空から灰色の巨体が現れる。そして巨大な二対の履帯を唸らせながらそれは落下し始めた。しかしブルーとゲンは涼しい顔をしてその場に留まっていた。
「ハハッ。前に言ったろ。普通のアバにバトルアバの攻撃は当たらない――」
「モフ―!?」
絹を裂くような悲鳴がする。その方向を見るとブルーの視界に必死にその場から逃げ出そうとするバトルアバゆーり~の姿が映った。
「あっ」
どぅぅぅぅぅん……。
ゆーり~の悲鳴と同時に凄まじい落下音が鳴り響き、その巨体の大質量が生み出す衝撃でデルフォニウムの建物が揺れる。土埃が舞い、視界が非常に悪くなった。
「……そういやバトルアバ同士の攻撃は当たるんだったな」
未だに悪い視界の中で空を仰ぎ見るブルー。そこには黒檜の巨体に吹き飛ばされ宙を木の葉のように回転しながら舞っているゆーり~の姿があった……――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます