第11話『あなたには失望しました』

【東京都 赤羽 デルフォニウム本社前】


「うぉー……本当にABAWORLDの建物と丸っきり一緒だ……」

 板寺三河イタデラソウゴは目の前に広がる白い大きな建物に思わず感嘆の声を漏らした。

 一度も訪れたことが無い筈なのに妙な既視感がある。

 あの巨大な樹木も、ガラス張りの入口も、この間見た物と完全に一緒だった。

 違うところと言えば大勢のの社員が往来していることと、青空ではなく少し濁った灰色の空が広がっていることだった。

 敷地内を進んでいくとこれまた見覚えのある扉が見えた。

(ゆーり~さんが顔押し付けてた扉か……)

 ガラス張りの扉の向こうでは大勢の人たちが忙しなく働いている。ソウゴが扉の前に進み出ると自動で開いた。

 ABAWORLDの時とは違い、映像ではなく実際の社員たちが大勢そこにはいた。

 清潔な服装に身を包み、如何にも優秀と言った様子の社員たち。皆それぞれがハキハキと自分の仕事を行っている。

(うひゃー……これは住む世界が違うって感じ……)

 あまりにも整然とした社員たちの様子に狼狽えつつもソウゴは社内を歩いて行く。

 一応、事前に連絡を入れて来社を伝えておいたから、アポ無しの突撃という訳でも無い――ただそれをどこに伝えれば良いのかが分からなかった。

(受付とか無いのか……?)

 左右を見渡してそれらしい物を探すが見つからない。

 代わりに至る所でホログラム映像が投影されており、広告のような物が流れている。映像技術の宣伝だったり、その中には見覚えのある映像もあった。

(……これABAWORLDだ。しかもアババトルの映像……戦ってるのは――)

 ホログラムに近付いて覗き込む。

 映像の中ではカボチャを頭に被ったアバと緑色の肌をした獣戦士が戦っている。二人のアバはチェーンソーと斧を激しく打ち付け合い、火花が散っていた。

 幾度もお互いの武器をぶつけ合い、相手の隙を伺い、相手に隙を見せずに攻撃を仕掛ける。

 まさに歴戦の戦士同士の戦いと言った様相で非常に見ごたえがある。思わずそのホログラム映像に見惚れてしまった。

 画面に表示されている文字などが完全に英語なので海外の映像のようだ。良く見ると日本語で注釈が書かれていた。それを心の中で読み上げる。

(北米ABAWORLDで開催されたワールドチャンピオンアバ決定戦の映像――凄い、これ世界大会ってヤツか……滅茶苦茶強そうなバトルアバたちだなぁ)

「名前なんて言うんだろ……?」

「そちらのバトルアバは『PUMPKIN・HEAD(パンプキンヘッド)』様と『ゾルガ』様です。どちらのバトル・アバも大会常連の強豪ですよ」

「え?」

 背後から声が聞こえる。女性の声だった。

 振り返るとそこにはスーツを着た若い女性がいた。胸に社員証を付けており直ぐに社員だと分かる。

 その女性は軽くこちらへ会釈してから尋ねてきた。

「ご連絡頂いた、板寺三河イタデラソウゴ様ですね?」

「あっ……! はい! そうです。板寺です」

 彼女はこちらの名前を確認すると懐から電子結晶を取り出し、何やら操作を行った。電子結晶が紫色に発光し、電子音を鳴らす。

「――はい。確認を取りました……お待ちしておりました、板寺三河様。私は片瀬椿カタセツバキと申します。この度は来社有難うございます――」

 女性社員は深々とソウゴへ頭を下げてくる。日本人に染み付いた性か釣られてソウゴも軽く頭を下げてしまった。

「ど、どうも……片瀬、さん……?」

 片瀬椿と名乗った女性は顔を上げ、告げる。

椿ツバキで構いません。皆そう呼びますので」

「そ、そうですか。よろしくお願いします、椿さん」

「それではこちらへどうぞ」

「こちらって……?」

「立ち話もなんですから。お部屋を用意しました」

「あっ。そういうことですか」

 椿は先導するように先だって歩き出す。ソウゴはその後を着いて行った……――。




 白いテーブルと幾つかの椅子が置かれただけの簡素な個室に案内される。促されるままに席へ着いた。

 椿も反対側に座り、合い向かう。彼女はテーブルの上に幾つかの書類の束を並べながら喋り始めた。

「板――三河さんからご連絡頂いた内容ですが……当社に在籍している板寺寧々香イタデラネネカ、という方は居ませんね」

「……そうですか……」

 その返答に思わず落胆する。やっぱりというか当然というか……予想していた答えではあるけどいざ実際に聞くと気が沈む。

(これでまた振り出しに戻ったわけか……姉さん……)

 ソウゴの肩を落とした様子に何かを察したのか、椿が慰めるように声を掛けてくる。

「心中お察しします。ご家族の方が行方不明となると心配でしょう。当社としても出来る限りの協力を行わせて頂きます」

「……有難う御座います」

「そこで……コンプライアンスに違反してしまうので、ユーザーの個人情報を詳細に話す訳にはいきませんが――こちらを御用意させて頂きました」

 椿は自身の電子結晶を取り出すとテーブルの上に置いた。そのまま電子結晶の表面へその細い指を這わせる。

「……あっ!」

 机の上にホログラムが表示され、そこに一人のバトルアバが表示されていた。

 思わず身を乗り出してそのホログラムを見た。

 軍服を着用した長身の女性のアバ。その服装には見覚えがあり、自分の――ABAWORLDでの自分の着ている服装と似ている。これはもしかして……。

「こちらがバトル・アバ『ネネカ』様です。三河様――いえバトル・アバ『ミカ』様の前の姿と言うべきでしょうか」

「こ、これ姉さんのアバですか?」

 椿はソウゴの問いに何も答えなかった。あえて沈黙しているようだった。その対応を変に思ったが直ぐに理由へ辿り着く。

(あっ……そうか。一応これも個人情報だから答えられないのか……大変なんだなぁ)

 バトルアバ『ネネカ』と姉さん……板寺寧々香は間違いなく同一人物。だけどそれを会社側から漏らすのは不味いのだろう。

 ソウゴが納得していると椿は再び電子結晶へ指を滑らせた。するとホログラムに幾つかの情報が表示される。彼女はその情報を眺めつつ説明し始めた。

「バトル・アバ『ネネカ』の所有権は正式に板寺三河様へと譲渡されていますね。今はバトル・アバ『ミカ』として再登録されています」

「譲渡……?」

「バトル・アバはその特性上、通常のアバと違って各スポンサー様に所有権があるので。ユーザー変更などで使用者が変わった場合は譲渡契約を行ったという形を取らせて頂いています」

「なるほど……」

 よくよく考えれば……今まで好き勝手にバトルアバを使っていた。幾ら知らなかったとは言えバトルアバの特殊性を知った今だとかなり不味い事なのではと思い当たる。

(俺が勝手に使ってたのヤバイんじゃないか……? 企業の持ち物って事だろ……これ)

 こちらが不安げな顔をしているのを察したのか椿は補足するように続けた。

「当社としては正式に譲渡契約が行われ、再登録されたのを確認出来ているため三河様のバトル・アバ使用に問題は無いと判断しております。ご安心ください」

「そ、そうですか……良かった……」

 椿の発言に胸を撫で降ろしつつ、安堵する。

「バトル・アバはスポンサー在りきの存在ですが、無所属で活動している方も少数ですが存在しています。この場合は使用者本人がスポンサー様、と言えるでしょうね。但しその場合は――」

 椿の説明を聞きつつ、表示されている姉さんのアバの姿へ視線を移す。そのアバは現実の姉さんのように長い髪をしており、顔の雰囲気もどことなく姉さんの面影があった。

(……でも姉さんってもっと優しい顔しているよな。このアバの顔はちょっと性格がキツそうだなぁ――あれ?)

 表示されている情報欄。そこの名前欄の下。恐らく所属しているスポンサーなどが記載される場所。そこに『Delphinium』と英語で表示されている。

(これってデルフォニウムって読むんだよな……? ここ……この会社の事、か? スポンサー欄に書いてあるって事は――)

「あの……すみません」

「どうしましたか?」

「ここ……これってこの会社の事ですよね? ね――ネネカのスポンサーってデルフォニウムだったんですか?」

「――……あっ!?」

 ソウゴが表示されているホログラムのスポンサー欄を指差しながらそう指摘する。すると椿は驚いた様子で声を上げた。

 先程までの冷静な様子が嘘のように動揺しており、目が泳いでいる。

「あの……大丈夫ですか?」

 流石にあまりの変わりようから心配になって声を掛けた。しかし椿は答えず何か思案するかのように目を閉じ、そして――。

「――……あー手が滑りましたー」

 物凄い棒読みと共に物凄いわざとらしい仕草で自らの電子結晶を右手でテーブルの外へと弾き飛ばした。衝撃でホログラム映像が歪み、結晶は滑るようにテーブルの下へと落下していく。そしてガシャンッという音と共に床へ叩き付けられた。

 二人は暫く黙って床に落ちた電子結晶を見つめていた。

「……少々失礼致します」

 呆気に取られて動けずにいるソウゴを余所に椿は椅子から静かに立ち上がる。そして落ちた電子結晶の元へと屈みこみ、それを拾い上げ、眺めた。

「……申し訳ありません。結晶が故障してしまったようです」

 そう言って椿は割れた結晶をソウゴへと見せた。綺麗にヒビが入っており、使用出来ないと分かる。彼女はそのまま席へと戻ると壊れた電子結晶をテーブルの上に置き、まるで何事も無かったかのように再び話し始めた。

「……話は変わりますが」

「あの……さっきのは……?」

「話は、変わりますが」

「うっ……はい……」

 これ以上の追及は許さぬと言わんばかりの椿の言葉に押し切られ、ソウゴは仕方なく頷く。その姿を見て彼女が続けた。

「板寺三河様はバトル・アバ『ミカ』様として活動していますね。今のところ……スポンサー様との契約を行っていないようですが――契約のご予定はありますか?」

「いや……あの……今のところは無いです……」

「この機会にスポンサー様を探してみるのはどうでしょうか? 活動の幅が広がりますよ」

「活動……」

 正直なところ活動と言われても、困る。姉を探してABAWORLDへ足を踏み入れたソウゴとしてはあまり目立つ行為は避けたかった。何故か何度も戦う羽目になってしまったが……。

 椿は書類を一つソウゴの前へ出すとそれを見ながら喋り始めた。

「スポンサー様が居れば活動の支援などが受けられますし、更に大会への出場なども可能になりますよ」

「大会?」

「はい。年に一度開催される大規模アバ・バトルの大会です。優勝者には賞金と名誉、そして世界大会へのチケットが与えられます」

「そ、それは何か凄そうな大会ですね……」

「興味がありましたらこちらをどうぞ――」

 彼女がソウゴの方へ書類を渡して来た。

 ソウゴは受け取り眺める。

 そこには【日本チャンピオンアバ決定戦】と大きく題字されていた……――。



【ABAWORLD MINICITY HANKA庄陦?エリア】



 ヒュゥー……ベシャッ!


 ABAWORLDへログインするなり、顔面からビターンと冷たい地面へ叩き付けられる。最早恒例になり声を上げることもせずただ地面で大の字になって伸びていた。

(これ……何回目だ?)

 そんなことを考えながらソウゴ改めミカは顔を上げる。降りた場所は人通りならぬアバ通りの少ない路地だった。

 身体を起こして服の埃を払う。

(毎度思うけど……なんで俺だけ毎回着地失敗するんだろうな……他の人は失敗してるとこ見た事無いぞ)

 愚痴っぽく思いながら辺りを見渡した。

「あれ……?」

 周囲の光景に妙な違和感を覚える。何時もの煌びやかなHANKAGAIと何かが違う。壁が妙に薄汚れているし地面にも空き缶やビニール袋とかの雑多なゴミが散らばっていた。

 何というか……現実の繁華街のような汚さがある。

(ログインするとたまに開始位置がズレる事あるってブルーさんが言っていたけど……ここHANKAGAI、なのか……?)

 見知らぬ場所に放り出されたような気持ちになり、急に不安を感じてきた。

(と、取り合えず誰かに連絡を……確かフレンドリストってので連絡出来た筈――)

 ウィンドウを出現させて右手で操作した。そしてフレンドリストを表示する。しかし――。

「げっ……誰もいない……」

 フレンドリストに並ぶ友人たちの名前は皆暗くなっており、彼らの不在を知らせていた。

(今日はまだ昼だしなぁ……もう少しすればブルーさん辺りはログインしてくるだろうけど……いっつもいるらしいし)

 デルフォニウムからリニアレールで帰って来て、用事も無かったから、普段より早い時間にABAWORLDへログインしたのが仇になってしまったようだ。こんな事なら夕飯でも買いに行って時間を潰しておくべきだったかもしれない。

「あっ。リンク使って移動すれば良いのか」

 そう言えばリンクで別のところへ移動出来るのを忘れていた。何時も誰かのリンクで移動していたばっかりにすっかり失念していた。

 ウィンドウの画面を切り替えてリンクの画面を開き、適当な場所へのリンクを右手で押した。

【リンク移動禁止エリアです。別エリアまで移動してから再度使用してください】

「は?」

 移動不可を告げる無情なシステム音声に思わず声を出してしまう。

(この間のメトロポリスみたいにリンク出来ない場所なのか……ここ。面倒なことになったなぁ……)

「うーん……歩いてれば見慣れた場所へ出る、かな……?」

 そう思って仕方なく恐る恐る歩き出す。妙に湿った地面をブーツで踏むと、ペタっと張り付くような嫌な感触が靴底越しに伝わってきた。

(うぇーこんなとこまで再現されてんのか……)

「はぁ……さっさとここ出よ」

 溜息を吐きながら路地を進み始めた。静けさもあってかペタペタという足音が響く。

「結局、姉さんの手掛かりは無かったしなぁ……」

 デルフォニウム本社での姉さん探しは空振りに終わってしまった。

 ただ椿さんはあの後「我々に出来ることなら協力致しますので、何なりとお申し付けください」と連絡先をくれた(ABAWORLDではなく現実の)。

(デルフォニウムの人と知り合いになれたし……一歩前進とポジティブに考えた方が良いよな……)

 何だかんだABAWORLDに来てから姉さんの足跡自体は途切れず辿れている――と思う。今のところ判明しているのはABAWORLDでの名前と姿。全くの徒手空拳のだった最初と比べれば一応進展はあった……多分。

「せめて姉さんの知り合いでも見つかれば良いんだけど――ん?」

 視界の先。路地の行き止まりに何かがあることに気が付いた。ピンク色の淡いネオンで装飾されているこじんまりとした店舗。店先には看板などは出ておらず、ぼんやりとした明かりの中に誰かが立っているのが見える。

「なんだろあそこ……?」

 止せばいいのに誘蛾灯に惹かれる羽虫のようにそのピンク色の光へと近づいてしまった。

 その店舗へ近付くにつれミカはその店の様相をはっきりと確認する。そして近付いたことを後悔した。

(こ、これって……このお店は……所謂……その――)

 古式ゆかしい言い方をすれば……遊郭。今風の言い方をすれば……風俗店。

(ABAWORLDってそう言うのもあるのか……!? 仮想現実なのに!? た、確かに歓楽街みたいなとこだけどこの場所――い、いやでも再現しているだけで中身までそういうお店じゃ無い……よな?)

 動揺しながら店の前で立ち止まってしまう。店舗の入り口には赤い暖簾のような物が掛かっておりその奥には小上がりが見えた。

 伝統を感じる造りをしているのがわかる……いかがわしい方面の伝統だけど――。

 呆けたように店の外観を眺めていると店の中で立っていた人物が暖簾を潜ってミカの前へと現れた。

「……お客さんですけえ?」

「の、のっぺらぼう!?」

 そこにいたのは顔が真っ白……いや顔の無いアバだった。

 というよりも全身が真っ白の人型のアバ。ただ人型をしているだけで服とかそう言った物は何も身に着けていない。マネキンのような感じ。声からして中身は年配の男性のようだった。そのアバはミカの姿を見て不思議そうに首を傾げる。

「ありゃ……珍しい。女のアバがウチの店に来るなんてねぇ。まぁウチは男型でも女型でも、それこそ非人型のお客さんでも楽しめるようにしてるから安心してくだせえ」

「い、いやあの……」

「料金はドルでも円でも元でも払えますぜ。なんなら仮想通貨コインでもお支払いオッケーですんで――ん? あれ……あんたバトルアバですかい?」

 そのアバは改めてミカの全身とジロジロと視線を送ってくる。目は無いけど。一通り眺め終えてから肩をすくめてミカを窘めるように口を開いた。

「ダメですよ。バトルアバさんがこんなとこ来ちゃ。ウチ……いやここらのお店は普通のアバのお客さんにしか商売しとりませんけえ。悪い事言わんからはよう帰りんさい。誰かに見られたら面倒なことになりますけえ」

「その……わ、私……ログインしたら何故かここに出てしまったんです。それで元のHANKAGAIエリアへ戻る道を探してて……」

「ありゃ迷い猫ってわけですかい。HANKAGAIならここ真っすぐ行けば戻れますけども……」

 そう言って店員のアバは店の左の方を指差した。今まで気が付かなかったがそこにも通りが続いていた。

 更に左右に沢山の店が並んでいる。しかもこのお店と似たような感じの……いかがわしい店ばかり。完全にそっち系統のお店の通りとなっていた。

 先程までの閑静な路地と違ってそこは何人ものアバが歩いており、店を覗いたり客引きのアバに話し掛けられている。

「こ、これは……」

「そこ通ると客引きだらけでバトルアバさんも大変やろねぇ。傍目にはバトルアバとわからんやろうし……あっ。そうだ。これ持って行きんさい」

 店員が右手を翳すとポンッという軽い音の後、何かを握った。そしてミカへと渡してくる。

「ぺろぺろ……キャンディー……?」

 渡されたのは渦巻き状に飴が成型された棒付きのキャンディーだった。ただ非常にデカイ。一メートルくらいの大きさがある。

「それ持ってると客引きの人、話し掛けてこんから。道出るまでは構えときんさい」

「何故に飴を……? しかもこんな大きな……」

「そう言う決まりなんですわ。ほら! さっさとお行きんさい! 何時までもあんたみたいな真っ当なのがここいたらあかんよ!」

「わっ!?」

 そう言って店員はミカの背中を強引に押す。勢いのまま通りへと進み始めたミカはキャンディーを抱えたまま一応振り返って礼を言った。

「あ、あの! 色々有難うございます!」

 店員は軽く手を振ってミカを見送っていた。

 ミカが通りの雑踏へと消えていくのを見届けてから、店員は首を傾げて呟いた。

「あのバトルアバ……どうやって裏街に入ったんだろうねぇ。ここは氏族以外入れん筈けえのう……?」




「あっ……!」

 あの店員から飴を渡されてから、三本くらい路地を通り過ぎた時、見覚えるある光景が少し先にあるのが見えた。

 先程までの退廃した場所から、明るく清潔感のあるいつものHANKAGAIが見えてくる。

(や、やっと出口に……!)

 あの店員から飴を渡されたお陰か客引きに声を掛けられずには済んだ。

 しかしその代わりに物凄い好奇の視線に晒されてしまった。

 まぁあんなに巨大なぺろぺろキャンディー抱えていれば当然とも言えるかもしれないけど……ただあの視線は畏怖に近い視線だったかもしれない。妙に皆引いていた。

 何はともあれ、これで脱出できることは確かだ。ぺろぺろキャンディーをストレージへ片付ける。早速駆け出して一気に路地から出ようとした。

「やったー! 脱出だ……ぁ? ――あぁぁぁぁ!?」

 地面を蹴っていたブーツが突如、空を蹴る。今まで踏みしめていた地面がいきなり消失した。

 少々の浮遊感の後、身体が落下を始める。ミカは叫び声を上げつつ、そのまま落下していった。

「なんで毎回落下するんだぁああああ!!」

 そのまま落下しビターンッと地面へ叩き付けられる。今回は走り出した勢いのせいか、そのまま地面をゴロゴロと転がって行った。

(あぁ……これ、現実だったら骨の二、三本持ってかれてるだろうな……)

 地面を転がりながらそんなことをふと思う。幸いなことにここは仮想現実だから痛みは無い。あっても困るが。

 暫くしてから助走と落下によって生じた運動エネルギーを消費し切ったミカの身体は、ABAWORLDの物理演算に従って動きを止めた。

「……うぇぇぇ……」

 色々と限界に達したミカはうつ伏せの状態のまま地面に突っ伏し、呻く。やっと変な場所から脱出出来たと思ったらこの仕打ちだ。最早起き上がる気力も無い。

(何か今日は色々とロクでもない気がする……もうログアウトして日を改めようかな……)

 大体こういう日は不運が続くモノだ。さっさと帰って明日の準備でもした方が良いのかもしれない。

「おーい。そこのチビ、大丈夫かぁ?」

 不意にどこからか声を掛けられる。どうやら地面に伸びていたせいで他のアバに心配されてしまったようだ。

 ここはさっきの場所とは違う。他のアバたちも大勢いる何時ものHANKAGAIエリアだ。こんなところで寝転んでいたらまた変に注目を集めてしまう。慌てて顔を上げて平気なことを伝えようとした。

「す、すみません。大丈――」

 声を掛けてきたアバたちの姿が視界に入る。それを見てミカは思わず固まった。

 見事に伸びたリーゼント、明らかに校則違反(?)の改造が行われている長い学ラン、そして見る限りワルそうなその身のこなし――既に現代では絶滅した筈のツッパリたちが、そこにいた。

 ※ツッパリ 所謂不良行為少年たち。

 何故か十人近いツッパリたちがミカの周囲を囲んでいる。まるで抗争前のようにガンを飛ばしながら全員がミカを注視していた。

「急に落ちてきたけどよぉ。"天空ソラ"でも飛んでたかぁー? テメェー」

 ミカの横で一際立派なリーゼントをいきり立たせているアバがヤンキー座りをしながらドスの利いた声で話し掛けてくる。着用している黒いグラサンから鋭い眼差しが薄っすら見えており、非常に威圧感がある。見た目からして明らかにリーダー格のアバだった。

 慌てて身体を起こすとミカは事情を説明し始める。

「あっ、あの! ちょっと変な場所にいまして!! それで急にここへ戻ってきたから何かその着地に失敗しただけですから!! 大丈夫ですから!」

「へぇ……まぁ無事ならいーけどよぉ……」

 ミカがしどろもどろに説明すると一応は納得したようにそのアバは頷く。その時、周りのツッパリたちの一人がリーダー格のアバへ話し掛けてきた。

「総長……この子、かなり"マブ"くねーすかぁ?」

「あぁ?」

 総長と呼ばれたリーダー格のアバはミカの顔を値踏みするようにジロジロと眺めた。

「――確かに。"激マブ"いな、このチビ」

「それに……"バトルアバ"っすよ、この子」

「"あぁ!?"」

「ヒィッ!?」

 急に総長と呼ばれたアバが大声を出す。その迫力にミカは思わず悲鳴を上げてしまった。再び総長がミカの方へ向き直り、繁々と眺めてくる。

「"本気マジ"じゃねェか……! こりゃ"最高サイコー"だ……! おい! チビ!」

「うわっ!?」

 急に総長はミカの両肩を掴んで来た。そして何故か嬉しそうに話し掛けてくる。

「てめー、今暇ならよぉ。これからオレたちと"サ店"でお話しねーか? ちょっと話てーことあんだけどよぉ」

「えぇ!?」

 突然のお誘いに困惑するミカ。周りのツッパリたちの様子も先程と変わり、何故か妙に照れている。まるで女性を誘う時のようなこれは――。

(こ、これはまさかナンパされてんのか!? 俺!?)

「いやあの……それはちょっとご遠慮したいんですけど……」

『"あぁ!?"』

 ミカが出来る限り穏便に断ろうとする。しかし周囲のツッパリたちが一斉に声を上げ、ズイッとミカの方へ近寄ってきた。その威圧感にミカは狼狽える。

(な、なんでこんなのに絡まれなくちゃいけないんだ……!? ホント今日は厄日かよ!?)

 直ぐにでもここから逃げ出したい気分だったけど、完全に周りはツッパリたちに固められている。とてもじゃないが逃げられるような状態じゃなかった。慌てて別の断り文句を考え早口気味に言い訳する。

「あ、あのですね! 私、中身男なんですよ! 男! 色々事情はありますけど! あなたたちはその勘違いをしてると思いますよ!?」

 ミカの言葉に総長とツッパリたちがお互いに顔を見合わせる。しかし直ぐに総長は向き直るとミカへ言った。

「随分と"古いオールド"な頭してんな、てめー……今時よぉ、そんなこと気にするヤツがいるとは珍しいヤツだぜェ」

 総長の言葉に他のツッパリたちも同意するように頷いていた。さも当然と言った様子で。

(そ、そういうモンなのかぁぁああ!?)

 ミカの方は最早完全に動揺しており、どうすれば良いのかわからなかった。

 万策尽きた。そう思っていると意図しないところから助けが来た。

「何をやっているんですか、あなたたちは」

 "!?"

 突然、その鉄火場のごとき状態になっているこの場にそぐわない静かな声が聞こえた。

 ツッパリたちは一斉に声のした方へ振り向く。ミカも釣られてその声の聞こえた方向を見た。

 そこには一人の小柄なアバがいた。特徴的な紫色のとんがり帽子。ゆったりとしたこれまた紫色のローブ。肩まで伸びた真っ白な長髪。そしてその髪に隠れて見える紫の鋭い瞳。その姿はまるで――。

(――魔女……?)

 そう魔女、或いは魔法使いと言うべきだろうか。ハロウィーンに良く見るような魔女みたいな恰好したアバ。小柄な体格と合わさって魔女っ子と言った様相だった。彼女は静かにミカたちの方へ近付いてくる。そして――。

「あなたには失望しました」

 その魔女のような姿をしたアバは冷徹に総長へ向けてそう言い放つ。

「バトルアバ申請を行っている新団体と色物バトルアバに絡んでいると聞いて来て見れば……そうやって群れないと何も出来ない屑たちなのですね。底が知れます」

 非常に冷たい言い方で明らかに蔑みも混ざっている。言葉に混ざる棘に気が付いたのか総長も威嚇するようにそのアバへ問う。

「てめー……誰だぁ?」

「……紫紺龍パープル・ドラゴンバーバル『ガザニア』」

 静かに彼女はそう名乗った……――。

 

 


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