亡霊
「え?」
聞こえた声に振り返る。
ガタン、と鈴花の身体が揺れた。
ガタン、と規則的に響く振動音。
三度目のガタン、に息を飲めば。
眩しい光に目が眩む。
華奢な肩。美しい髪。意志の強そうな瞳。頬にえくぼを刻み、彼女は笑う。
『恋をしているのね、すずちゃん』
「……鈴花ちゃん……?」
本物の矢代鈴花が目の前に座っていた。与古浜駅を出発した列車の中、『私の名前は矢代鈴花』と名乗った彼女が、すずの目の前に座り、まるで今までずうっと長い会話をしてきたかのようにそこにいる。
『好きなら好きって伝えなくちゃ。人は、恋の炎を燃やして生きるものよ』
すずも、お喋りの延長線のように口が動いた。
「でも、彼はわたしのことなんて相手にしていないの。子ども扱いされてるってわかっているわ」
『だったら、もっと決定的に振られた方が諦めもつくんじゃない?』
意地悪くニヤッと笑われてぐうの音も出ない。
「……振られるのは怖いわ。それなら、ひっそり想ってるだけでも……、じゅうぶんでしょう?」
『そう? 物分かりの良い女のふりしても損するだけなんだから、わたしだったら徹底的にあがいて、あがいて、あがくわ』
その勝気な言い草に笑ってしまう。
「鈴花ちゃんって、知佳子ちゃんと友達になれそう」
『知佳子ちゃんって誰?』
そして気づく。鈴花はもうとっくに亡くなっていて、この会話は――夢? それとも本物の鈴花がすずを責めているんだろうか。
どうしてあなたが生きているの? わたしの名前で勝手なことしないでと言いにやってきたのだろうか。電車の中は鈴花とすず以外には誰もいない。列車は徐々に減速していく。鈴花が立ち上がった。
『この線路、長ヶ崎までずうっと繋がっているんですって。いつか、外国とも線路で繋がれる日が来るのかしら。シュウクリームやカステラみたいな甘いお菓子がもっと色々伝わってきたら幸せよね』
女学生のような他愛のない話をしながら、失われてしまった彼女の日常に心を痛める。
「鈴花ちゃん、ごめんね。……美味しいもの、もっといっぱい、食べたかったよね。やりたいこといっぱいあったよね。鈴花ちゃんならきっと、きらきらした未来が待っていたかもしれないのに……」
『やだ。どうしてすずちゃんが謝るの? あれは事故だったのよ。誰も悪くない。すずちゃんが生きていることを責める人は誰もいないよ』
停車した列車の扉が開く。鈴花は『わたしはここで降りるね』と行ってしまい。
「鈴花ちゃん、待って」
もっと話したいことはたくさんあるのに、鈴花は元気いっぱいに列車を下りてしまった。袴の裾が西洋のスカートみたいに可憐に翻る。
「どこに行くの? わたしも降りる」
『だめだよ。すずちゃんの目的地はここじゃないでしょ』
「いやだよ、この列車。誰も乗ってないじゃない」
誰もいない列車で、行き先もわからぬ旅なんて嫌だ。
それなのに、すずは列車から降りることは出来なかった。けたたましくなる発車のベルの音と共に扉が閉まっていく。手を振る鈴花の顔はぼやけて、消えて。ちゃんとその顔を覚えておきたいと思うのに、見えなくなっていってしまう。
『いってらっしゃい、
「……どうした? ぼうっとして」
ぱっと目の前が明るくなる。
女装した朔が燭台を手に立っていた。
真っ暗だった鈴花の部屋があたたかみのある橙色に照らされ、鈴花は夢から覚めたような心地になる。
「明かりがいるかと思って持ってきたんだが……、荷物はそれだけでいいのか?」
「……はい」
「じゃあ、行こう。今日はどこかの宿に泊まって、今後のことだけど――」
「朔さん、わたし、長ヶ崎に行ってこようと思うんです。だから、朔さんとは一緒に暮らせません。ごめんなさい」
唐突な謝罪に、朔が言葉を詰まらせた。
――なんのために与古浜の街を飛び出したんだろう。ずっと、考えていた。
漠然とした将来への不満。やりたいこと、したいことがきっと見つかるはずと思って飛び出して。だけど、鈴花の名前で生かされているのならと従順ないい子になることで罪悪感を消そうとして。そして、リカルドたちに出会って――……
リカルドさんのことが好きだ。
明日、どうなるか分からない人生なのだから、後悔しないように生きたい。
そう思った。
「長ヶ崎って……、いったい、何しに……」
「わたし、リカルドさんはイギリスに帰っていないような気がするんです」
「……根拠は?」
「ないです。ただの勘みたいなものなんですが」
欲しがっていた鍵を手に入れても全く嬉しそうではなかったリカルド。
びりびりに破かれた手紙。
おそらく、祖父はもう亡くなっているのだ。
財宝とやらは既に遺産分配されたかで、彼にとっての目的はなくなったのではないかと推測している。イギリスへ帰る目的を失っているのなら――もしかしたら、彼にとって第二の故郷と呼べる場所にいるのではないかと考えたのだ。
「で、いるかいないか分からない長ヶ崎まで探しに行くって?」
「はい」
「無駄足になるかもしれねえのに?」
「それでもいいんです。わたしは、諦めがつくまで追いかけてみます」
どうせ振られているんだから、とことん諦めがつくまで頑張ってみよう。
「……朔さん、これまで本当にありがとうございました」
朔は長い長い溜息をつくと、自分の髪の毛をくしゃくしゃに掻き回した。怒っただろうか、と不安になったが、
「あーっ、もう! わかったよ! 俺も長ヶ崎まで行く」
そんな言葉が飛び出したので驚く。
これは鈴花のわがままでそうしたいと思っているだけで、朔には何の得もない。だから、ここでお別れだと思って切り出したつもりだったのに。
「わたしなら平気ですよ? もし、心配して頂いているのなら、お気持ちだけ……」
「あんたのためじゃない。俺は、俺の意志で行くからいいんだ。どのみち浩戸にはもういられないんだから、どこに行ったって同じだし」
「朔さん……」
女一人旅に不安がないかと言えば嘘になるので、朔がついてくれるのなら心強い。けれど、本当にいいのだろうか?
心配する鈴花に対し。朔は吹っ切れたように笑ってみせた。
「これっぽっちの報酬じゃ足りない。もっとパトロンから金をせびってやる」
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