パトロンと奇術師と帝都乙女 ーミス・クラウンの財宝を巡る憂愁ー
深見アキ
ミス・クラウンの財宝を巡る憂愁
壱、パトロンと奇術師と虐げられ乙女
紅葉
これはわたしたちの、いくつもの嘘から始まる物語だ。
「やあ、お嬢さん。今日の演目に興味がおありで?」
声を掛けられて振り返ったわたしは、そこにいたのが見世物小屋の客引きではないことに驚いた。
真っ先に目を惹くのは、空を溶かしたような青い瞳。そして、一つに結われている柔らかそうな茶色い髪だ。白いワイシャツにジャケットを重ねた――異国人の男性。年は二十代半ばだろうか。
整った顔立ちと微笑みは甘やかで、背が高いのに威圧感は感じない。
見目麗しい異国人にぽかんとしてしまう。まさか自分なんかに話しかけているわけがないと辺りを見渡してしまった。しかし、「あなたのことですよ」と流暢な日本語と共に優しく微笑まれて目を白黒させる。
彼はこの時、リカルドと名乗り、わたしは
季節は少し肌寒さを感じるようになってきた十月。紅葉舞う、午後のこと。
◇◇◇
鈴花さん、奥様がお呼びよ。
そっけなく囁かれた鈴花は、庭の掃き掃除をしていた手を止めた。
十六になる鈴花よりもいくつか年上の女中は、つんと澄ましながらもどこか気の毒そうな顔をして鈴花の手から箒を取り上げる。
「ここは私がやっておきますから」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
にっこり微笑んで箒を預けると再び微妙な顔をされた。
それもそのはず。鈴花はこの矢代家の主――貿易業を営み、帝都でもほどほどに立派な屋敷を構えている――とは叔父と姪の関係にあたる。両親を亡くした鈴花は、半年前に父の弟である叔父の家に引き取られたのだ。
本来なら女中の真似事をして働く必要などないのだが、ぼんやり過ごしていれば役立たずのごくつぶし扱いされてしまう。
使用人の中には鈴花を気にかけてくれる者もいたが、雇い主である叔父夫妻に面と向かって物申してくれるような人はいない。その結果、「お仕えするお嬢様でもなく同僚でもない、中途半端なお手伝いさん」として腫れ物に触るかのごとく扱われていた。
鈴花は大急ぎで居間へとすっ飛んでいく。着古した小袖の埃をぱたぱたと払い、
貿易業を営んでいるだけあって、この部屋の家具のほとんどは海外からの輸入品だ。脚を高くしたちゃぶ台の上に載ったティーセットは最近の叔母のお気に入り。卵のように透明感のある白磁に花の絵付けが施され、ソーサーとホルダーは銀で出来ている。
和装姿の叔母の手には女性向けの雑誌があった。鈴花が部屋に入ってきてもこちらを見もしない。
「お待たせしました、叔母さま」
明るく声を上げる鈴花に構わず、叔母は
「……あなた、
「はい。あの辺りでは有名な、美味しい和菓子のお店ですよね! 以前、近くまで行ったときにとても評判のお店があると聞いて――」
「注文してある干菓子を取りに行ってきて頂戴。お金は先に払ってありますから」
「……わかりました! では、行ってまいります」
一生懸命笑顔を作っても反応はない。それももう慣れたことだ。
前掛けを外し、余所行き用の上着を羽織った鈴花は急ぎ足で家を出る。なにせ、叔母が行って来いと言った店までは歩きで一時間以上かかる。人力車や路面電車を使えばもっと早く着くが、残念ながら余分な金を持たされていない鈴花が乗ることは叶わない。今は午後二時半を回った時分。……もたもたしていたらあっという間に日が暮れてしまう。
先ほど鈴花が掃いたばかりの玄関には、既に新たな落ち葉が舞い込んできていた。
「もうすっかり秋ねえ……」
ここにきたばかりの頃は桜の花びらが絨毯を作っていたが、今は落ち葉の絨毯だ。
カサカサ、と風で乾いた地面を這う音が何とも寂しげで哀愁を誘う。大通りに出ると打って変わり、真新しい店やアーク灯、
ほんの数十年前までは刀を差したお侍様が歩いていたなんて嘘のよう。
帝都は歩く度に道が変わるだなんて言われるくらい、文明開化と共に流行は目まぐるしく移り変わる。
今の若い女の子の流行りと言えば……。
菓子屋で重箱を受け取ると、阿佐草周辺はますます矢絣の女の子たちを多く見るようになった。六区にある通りには
「……いいなあ……」
本来ならば鈴花も女学校に通い、ああして友人たちと遊びに出かけたりしていたのだろうか。住んでいた
――鈴花は記憶喪失だ。
家族三人で乗っていた列車が事故に遭い、両親と記憶を失った。
大切な人を亡くした悲しみや、住んでいた土地を離れる悲しさを感じずに済んだのは幸いだったのかもしれない。病院のベッドにいる間に葬儀は済まされ、住んでいた屋敷は売り払われていた。歩けるようになって、ようやく叔父叔母と名乗る二人と対面したのだ。
父の弟だという叔父は、鈴花たち一家とは不仲で十年近く絶縁状態だったらしい。
祖父母は亡くなっていて、母方の親族とはとっくに縁が切れているらしく、仕方なしに鈴花を引き取ることになったと言われた。
……遺産をがっぽり持っていかれた時点でうすうす感じていたが、どんなに「いい子」にしていても、叔父たちは鈴花を女学校に行かせる気も、家族として扱うつもりもないらしい。
(でも仕方ないわよね。娘一人が生きていけるほどこの世は甘くないし)
屋敷に置いてもらえるだけでもありがたいと思うしかない。
せめて可愛げがないと思われないようにニコニコして、使いっぱしりだろうが、掃除だろうが、用を言いつけられれば全力でこなさなきゃ。
きっと数年もすれば手頃な家に嫁に出されるはず。それまでの辛抱だ。
……と、頭では分かっていても楽しげに歩く女学生の姿は羨ましく、ついつい目で追いかけてしまう。
「あの奇術師の男の子、とってもハンサムだったわね!」
「ええ。また見に来ましょう!」
なんてはしゃいだ声が耳に入ってくれば気にならないわけがない。つい先刻すれ違った別の女性二人も奇術師がどうたらと話していた。
(奇術師……?)
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