友人
恋人って。せいぜい、知り合いなのかと聞かれるくらいかと思ったのに。
「あれ、違った? 奇術師にとって手妻の仕掛けって商売道具でしょ? だから、特別な関係なのかなって思ったの」
「ええと、たまたま知り合って、少し教えてもらったの。だから、恋人じゃないわ」
「そうなの? あ、心配しなくても言いふらしたりしないわよ。あんなに顔立ちが整っていたら、女の子たちのやっかみも凄そうだものね」
常連客のほとんどは若い女性だ。鈴花が女の子の格好で朔の周りをうろついていたら壮絶な睨みが飛んできただろうと予想できる。
ざっくばらんな知佳子の口調に、鈴花は笑みをこぼした。
「本当に、恋人でも、想い人でもないから大丈夫。……でも、他の人に知られて他の女の子から誤解されたら嫌だから、わたしが佐々木さんの前で奇術を披露してることは内緒にしてくれる?」
「もちろん」
さりげなく口止めをすると、心得ているとばかりににんまりと笑われた。まだ特別な相手ではないかと邪推されていそうだ。
「えーっと……、知佳子さんは、特別な相手はいるの?」
恋の話を楽しみたくて追いかけてきたのかと思った鈴花は、知佳子の方に水を向ける。
しかし、知佳子は首を振った。
「いないよ。実はね、縁談もぜーんぶ断っちゃったの。そしたらお父さんが激怒してぎっくり腰になって。……で、病院行ったら別の病気も見つかったんだから、あたしに感謝してほしいくらいだよね」
「そ、そうなの。どうして断っちゃったの?」
「家は剣道道場であたしは跡取り娘なの。女でも実力があるから、あたしが師範になって道場を継ぎたいって言ってるんだけど……、お父さんは入り婿を師範に据えるつもりでいるから」
話についていけない鈴花の戸惑いを感じたのか、知佳子はあははと苦笑する。
「ごめんね、会ったばっかりの子にいきなりこんな話して。でも、お父さんからすずちゃんの話を聞いた時、会ってみたいって思って楽しみにしてたんだ」
「どうして?」
「手妻を披露する女の子なんてそうそう居ないじゃん! 変人仲間が出来た! って期待しちゃった。あ、ごめん、変人とか言って」
なるほど、仲間意識を持たれていたらしい。
西洋の文化が入り、女性たちも家の外に出る時代になってきたとはいえ、やはり世間の風潮は保守的だ。知佳子が道場を継ぎたいと言うのなら父親は反対するだろうし、もしかしたら友人たちにも変わった考えの子だと見られているのかもしれない。
そこへ現れた「少し変わった子」に興味を持ったのだろう。
驚かれるのは慣れているのか、知佳子は軽く肩をすくめて階段を下り始めた。日の当たらない階段の手すりはひんやりとしている。
「……ごめんね。わたし、奇術師を目指しているわけじゃないんだ」
「だよね。こっちこそ馴れ馴れしくしちゃってごめんね」
「ううん。そんなことないよ。……あの、知佳子ちゃんの夢も変じゃないと思う。わたしには目標とかやりたいことがないから、羨ましいよ」
その道にはほとんど詳しくない鈴花ですら、女性が師範になることは難しいことだと思う。結婚すれば夫、あるいは一番弟子が師範の座につき、いくら跡取り娘だとしても知佳子は奥方として道場の些事を担うことになるのが一般的な考えだ。
しかし、それを覆してまでいばらの道を歩こうとする知佳子の姿は、鈴花には眩しく思えた。リカルドたちと別れた後、いったいどうやって生きていくべきか……。鈴花のやりたいことはまだ定まっていないから。
「やりたいこと、かぁ……。『幸せな結婚をしたい』とかでも、あたしはじゅうぶん素敵な目標だと思うよ」
「ん……。うん、そうだね」
女の子なら誰でも夢見る幸せだ。
残念ながら鈴花には結婚願望もその予定もないため、曖昧に流すと、知佳子は何やらハッとひらめいたようだった。そうして鈴花の手をぎゅっと握る。
「すずちゃん、頑張ってね」
「……へ?」
「例えば……そう、障害が多かったり、反対されているような恋をしているんだとしても、あたしは応援するから」
多分、奇術師ジョーとの恋を応援されている。
「あ……、ありがとう?」
「佐々木のおじさんのこともね。あの人頑固者だけど、ああいう人って人情に弱いと思うから頑張って」
「うん。見送りありがとう」
病院の外に出ると明るい日差しが鈴花を照らした。後ろを振り返ると知佳子が手を振っている。鈴花もはにかみながら手を振り返し、帰路についた。
友達ができたみたいで少し嬉しい。
「あ、お嬢さん。この屋敷の人ですか?」
鈴花が屋敷に帰ると、ちょうど郵便配達員のお兄さんに声を掛けられた。
手渡されたのは大判の封筒だ。筆記体の流暢な横文字の下に、たどたどしい日本語でオルブライト邸の住所が記されている。どうやらリカルド宛のようだ。
手紙を預かった鈴花は、まだ朔もリカルドも帰っていないらしいことを確認する。
(夕飯の支度をしておこうかな)
見世物小屋の手伝いを免除されているため、鈴花は積極的に家事を手伝うことにしていた。何かしていないと肩身が狭いから――ではなく、世話になっているリカルドたちのために何かしたいと思うのだ。
(少し寒くなってきたし、おでんにしよう。付け合わせにごぼうのきんぴら……リカルドさん、この間食べていたから大丈夫だよね?)
朔が作る献立は洋食が多いが、リカルドは和食がダメというわけではないらしい。接待などで料亭に行くこともあるようだし、「ショーユ味は好きだよ」と言っていたから食べられるだろう。
たわしでごしごしごぼうを洗い、ささがきにして水桶で灰汁をぬく。
与古浜にいたときは食事は賄いが貰えたし、矢代家では家政婦が準備していたので、鈴花は料理があまり得意ではない。朝昼晩、朔の見様見真似でどうにか出来るようになってきたところだ。ぎこちない手つきで包丁を握る。
きんぴら用のにんじんは切り口が少し不揃いになってしまったが、自分にしては上出来だろう。味付けに自信がないので薄味を心掛ける。
(お料理ももっと勉強しなきゃ。リカルドさんたちと別れたら、自分で生活していかなきゃいけないんだし……)
佐々木のオルゴールに鍵が入っていたらこの生活は終わってしまう。
(入っていない方が嬉しい……とか、思っちゃいけないんだろうな……)
早く自分の身の振り方も考えなくては。
鍋が沸騰する寸前で、慌てて昆布を引き上げる。鍋の縁に触れてしまって「熱っ」と声を出してしまったところで、
「あれ? 鈴花?」
リカルドが帰ってきた。朔が料理をしていると思ったらしい。
「あっ、おかえりなさい! リカルドさん」
「ただいま。大丈夫? 今、火傷したんじゃない?」
リカルドに手を取られて、鈴花は大丈夫ですと慌てた。失敗を見られていて恥ずかしい。
「大丈夫じゃないでしょ。ちゃんと冷やして」
水桶に指先を突っ込まれる。冷たい水はあっという間に鈴花の指先から熱を奪ったが、引き上げるとリカルドが優しく握って温めてくれた。
(からかわれてる気がする!)
鈴花の気持ちはばればれで、かーっと頬が熱くなる。
そんな鈴花の反応をリカルドは楽しんでいるように見えるのだ。
……そうだ、郵便!
慌ててリカルドの手から指を引っこ抜き、先ほど受け取った封筒を手にする。
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