夕餉

「あの! リカルドさん宛てに郵便が来てましたよ」


「郵便?」


 宛先を確認したリカルドの表情が強張った。しかし、すぐに「ありがとう」と笑顔を見せる。


「……もしかして、英国から……ですか?」


「ああ、うん、そう。……受け取りありがとう。着替えてくるね」


 足早に二階に上がる背中を見送る。

 強張ったリカルドの表情は心配だったが……、ボコボコと鍋の沸く音に我に返った。


「ああっ、大変!」


 急いで具材を入れて、とあくせく動いていると今度は朔が帰ってくる。


「お、おかえりなさい、朔さん……」


「……ただいま。何やってんだよ、あんた」


「た、たまにはわたしが食事の支度でも、と思いまして……」


「見りゃわかる。……手伝う」


 手を洗った朔が隣に並んだ。ちら、と鈴花の顔を見たあと、よけておいた大根の皮を千切りにしはじめる。手元に集中するふりをしながらも、

「……変態がまた現れたりしていないか?」

 と気づかわしげに尋ねられた。


「はい。男装姿では出かけないようにしていますし、もう大丈夫です。朔さんは危険な目に合ったりしていませんか?」


「は? なんで俺?」


「わたしよりも朔さんの方が美人ですし」


「っ、気色悪いことを言うな! 馬鹿! つか、仮にそんな目にあったとしても、俺はぶん殴ってでも逃げられるからいいんだよ」


 ぞぞ、と鳥肌を立てた朔は小さな声で「無事ならいい」と付け加えた。心配してくれたらしいことが分かり、鈴花も小さく笑って礼を言う。


 コトコト煮込まれる鍋の音。

 出汁の良い匂いが部屋に漂う。


(……ああ、もっとこの人たちと一緒にいたいな)


 あたたかな居場所が出来たようで、鈴花の心はじんわりと和む。



 ◇



 鈴花が作ったおでんときんぴらに、朔が即席で作った大根の甘酢和えを添えて夕食になった。


 朔の隣では、神妙な顔つきで具材をつまんでいる鈴花の姿。どうせ不揃いで不格好だとでも反省しているのだろうが腹に入ってしまえば同じだ。


(思ったより落ち込んでいないみたいだな……)


 元気そうな様子にほっとする。

 鈴花が襲われそうになったと聞いた時は、あのとき自分がもっと周囲を警戒していれば良かったと後悔した。


 まさか男が男(の姿をした鈴花)の身体を狙っているなんて思いもよらなかったし、これまでもリカルドの素性を調べようとした人間が朔に声を掛けてきた事例は何度もあった。てっきりあの男もそうだと思い、何か聞かれても知らぬ存ぜぬで通せと助言しただけになってしまったが……。


(……リカルドが上手く慰めたのか……)


 空元気を出しているわけでもなく、本当に大丈夫そうだ。


「今日は寒いから身体があたたまるね」「この家に土鍋があったことに驚きました」と他愛のないやり取りをしている二人の話を何とはなしに聞きながら、ぽりぽりと漬物を齧る。


(……鈴花の奴、好きにならない、騙されない、とか言ってたくせに。コロッと騙されてるじゃねーか)


 向かいに座るリカルドにはにかむ顔。ほんのりと籠る熱に気づかないほど朔は鈍くはなかった。そしてリカルドの一人称が「私」から「俺」に変わっていることも。


 襲われた日に二人で遊びに出かけたらしいが、そこで二人の距離が近づいたらしい。近づいたと鈴花は思っているのだろう。


(馬鹿だよな。傷つくのは自分なのに)


 十四歳でリカルドと知り合ってから四年間、朔はリカルドが女性をどのように扱ってきたかをよく知っている。女性だけではない。どんな取引相手に対しても、美しい容姿と巧みな話術は有効だ。



『――ねえ、きみ。ちょっと私の小間使いとして働かないかい?』



 長ヶ崎の居留地で朔に声を掛けてきた時もそうだった。


 スリをして生きてきた孤児の朔にとっては、柔和な笑顔を浮かべる二十歳の青年など恰好のカモだと思った。商会で通事の仕事をしていると言ったリカルドの財布は見るからに厚く、仕事内容もようするに使いっぱしり。


 当初は、隙を見てリカルドの財布をスろうと思っていたが、『伝言を届けて』『指定の場所に荷物を届けて』と言った普通の仕事にしてはえらく金を弾んでくれたため、そのままリカルドの元に留まり続けてしまった。


 そうして朔が懐を潤わせていたある日、リカルドはこう言った。


『朔、実は探しているものがあるんだけど、手伝ってくれない?』


 それがなんなのかと訊ねると、イギリスにいる祖父の元から盗んできた金庫の鍵だと言われた。リカルドにそんな過去があったなんて知らなかった朔は同情したし、協力してくれるなら金は弾むと言われて同意した。


 朔は手先が器用だから、と奇術師に師事させてもらい、スリではなく真っ当に金を稼ぐ手段も得られた。生活能力のないリカルドの面倒を見ることによって、まるで本当に付き人になったかのような気持ちになった。鈴花が加わり、頼られる心地良さも知った。


 ――俺は、財宝なんかどうでもいいんだ。


 居心地の良いこの場所を失いたくない。

 鈴花がリカルドに踏み込もうとするたびに自分を重ねてしまう。親しくなればなるほど、跳ねつけられたときに辛くなる。


 そうわかっているからこそ、いずれ傷つくだろう鈴花を案じ、無責任に優しい態度を取るリカルドの姿に苛立った。


「――そう言えば朔、華族のご令嬢に迫られているんだって?」

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