不穏

 不意にリカルドから話を振られた朔は、ぼんやりとした思考の海から引きずり上げられた。


「ええっ⁉ 本当ですか?」

「すごいよねえ、熱心に奇術を見にきているんだろう?」

「……おかしな言い回しをするな。誕生日パーティーで奇術を披露してくれっていう依頼だろ」


 毎日通ってくるくらいなのだからどこぞのお嬢様なのだろうとは思っていたが、ショウが終わった後に「出待ち」までされているのは驚いた。


 その誕生日パーティーとやらには同じお金持ち仲間が集まるのだろうし、朔にとっては自分を売り込むような良い機会だ。おいしい話に朔が食いついてくるものだと思っていたらしい令嬢は、朔が断るときょとんとした顔をしていた。まさか、自分のお誘いを断られるなんて思っても見なかったらしい。


「自分の誕生日パーティーに来てくれって言うんだから、実質レディからのお誘いじゃないか。貞淑なご令嬢にしては思い切ったお誘いだと思うけどね」


「そ、それで、朔さんは行くんですか?」


「あほか。華族様の道楽になんて付き合ってられるかよ。断った」


「ええー……」


「ええーって何だよ。お前には関係ないだろ」


 お前は俺が訳の分からん令嬢の家に行って欲しいのかよ。


 がっかりした顔をされたことに苛立ち、鈴花のいる前で余計なことを言ったリカルドに内心舌打ちをする。


「でも、無下にしてしまったらご令嬢から恨まれたりしませんか?」


「一人の頼みを受けたら我も彼もと話が来ちまうだろうが。小屋だけで売り上げが出てるんなら、女から恨まれたって知った事か」


「お嬢様に取り入って婿入りでもしてしまえば良かったのにね」


「しねえよ。婿になんて入れるわけないだろ」


 どこの馬の骨とも分からない男なんかが認められるわけもない。


「でも、朔さんに憧れている女の子はたくさんいますよ。それこそ、お嬢様っぽい子たちも、たくさん」


「そうそう。華族相手だと難しいかもしれないけれど、そこらへんの大店の娘なら可能じゃない? そういう子をちょっと口説いてさ」


 朔は思いきり顔をしかめる。


 この手の話は好きじゃない。「お嬢様になんて興味がない」ときっぱり言い切り、話を切り上げようとした。食事を再開したところで、

「じゃ、どういう子が好み? 鈴花みたいな子?」

 リカルドの言葉に噎せる。


 鈴花は慌てたように手を振っていた。


「わたしみたいなのが朔さんの好みなわけないじゃないですか。朔さんにはいつもご迷惑をかけてばっかりだし、対象外ですよ」


「そうかなあ。二人並んで料理をしているのを見ると、結構似合いだと思うけどね」


 笑うリカルドに、鈴花は一瞬言葉を詰まらせていた。


 ――リカルドって、本当、こういうやつだ。


 鈴花が好意を寄せていることに気づいているくせに、平気で谷底に突き落とす。自分はそのうちイギリスに帰る身で、お前たちといつまでも一緒にいるつもりはないんだよと遠回しに人の心を殴るんだ。


「俺と鈴花がくっつけば、お前は気兼ねなくイギリスへ帰れるもんな」


 思わず強い口調で言ってしまい、はっとする。


 しまったと思ったが口から出た言葉は今さら撤回できない。


 リカルドはきょとんとした顔をした後、すぐに微笑みを浮かべた。


「そうだね。二人が一緒になってくれたら、俺としても安心だなあ」


 最低だな。なんで鈴花を前にしてそんなこと言えるんだよ。お前が手を差し伸べて連れて来た女だろうが。


 無責任な態度に苛立った朔は席を立つ。


 鈴花が呼び止める声が聞こえたが、無視して部屋に閉じこもった。



 ◇



「怒らせちゃったね」


 リカルドは悪びれもせず、しれっとした顔で大根をつついた。出て行った朔の後姿に、鈴花は顔を曇らせる。


(朔さんが怒ったのってわたしのせいだよね)


 鈴花の世話を押し付けられそうになったのが気に食わなかったのかもしれない。


「放っておきなさい。明日には機嫌も直っているよ」


 怒らせた張本人であるリカルドはあくまで他人事で、それもまた鈴花としてはもやもやとする。


 というか、わたしだって結構傷ついた。自分がリカルドにとっては恋愛対象外だとわかっているつもりだったが、ああもはっきり「朔と一緒になれば?」と言われるなんて。


「……リカルドさん、本当にイギリスに帰っちゃうんですか? ……その、鍵が見つかったら、ですけど」


「帰るよ。だって、それが日本にいる目的なんだから」


 当たり前のように突き放される。


「さっきのイギリスからの手紙はなんだったんですか?」


「定期連絡だよ」


「じゃ、どうして手紙を受け取った時に驚いた顔をしていたんですか?」


「……。……鈴花がそんなに詮索してくるなんて珍しいね。朔に忠告されてるんじゃないの? に深入りするなって」


 一人称を私に戻され、一線を引かれたように感じた。


 その一線に必死で食い下がる。


「言われましたよ。でも、わたしがリカルドさんを心配しちゃだめなんですか?」


 例え片想いだとしても、リカルドの力になりたいという気持ちは本物だ。何か良くないことが起こって気にかかるなら、愚痴を聞く相手でもいい。心の曇りをとるのに協力したい。


(リカルドさんがあんなふうに朔さんに八つ当たりするくらいだもの)


 八つ当たり。先ほどの朔とのやり取りは鈴花にはそう見えた。


 一見すると、朔のほうがリカルドの方に寄りかかっているように見える関係だ。リカルドの世話焼きに自分の存在意義を見出している。だけど、本来の朔はリカルドに寄りかからなくても生きられる、強い人なのだ。


 朔の神経を逆なでし、怒らせるくらいには、リカルドの心もささくれ立っている。


 リカルドは箸を置いた。


「心配なんて必要ないよ。世話になっているからという理由なら気遣いは不要だし、私のことを好きだというのなら楽しい思い出を作ってあげることだけなら出来るけど、それ以上は踏み込まれたくない」


 ごちそうさま、と立ち上がったリカルドは、鈴花の頭を優しく叩く。


「……楽しくやっていこうよ、鈴花。お互いの事情には首を突っ込み過ぎない。協力者同士、適切な関係でさ」


 鍋から上がる湯気は温かいのに、部屋の温度はぐっと下がったように感じた。


 寂しい者同士が一つ屋根の下で一緒にいるのに、わたしたちの心の中はみんなばらばらだ。リカルドに拒絶された鈴花は、小鉢に入ったきんぴらに箸を伸ばす。


「まず……」


 しょっぱくて苦い。大失敗だ。

 リカルドと朔の小鉢はそれぞれ完食されていた。



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