伍、愛を信じない男と愛を知りたい男と愛に気づいた女

入手

「おい、袖から布が見えてんぞ」


「えっ、あっ……」


 佐々木に指摘された鈴花はハッとする。手妻のタネである仕掛けが見えてしまっていたら失敗したも同然だ。病室には佐々木しかおらず、茶化してくれるような人はいない。


 ……実は、病室に着いたとき、知佳子と父親が言い争っていた。


 病室に近づいた時点で、「お父さんのわからずや!」「いい加減にしなさい知佳子。父さんはお前のためを思って」「勝手に縁談を決めるなんて」と廊下まで聞こえる声に気づき、鈴花は中に入るのをやめたのだ。


 しばらくして知佳子は走って出て行き、後を追うように父親も出て行った。


 同じ病室にいたもう一人の男は退院したようだ。ベッド周りは片付けられている。取り残された佐々木だけがぽつんと小さく見えた。


 その寂しさにつけ込んで、今日こそはオルゴールを譲ってくれないだろうかと思ったものの――結果は失敗続き。出て行った知佳子たちのことや、リカルドや朔のこと。あれこれ考えてしまってうまく笑えない。


「おめえ、やる気あるのか。心ここにあらず見てぇな顔しやがって」

「す、すみません」

「そんなんじゃ立派な手妻師だかキジュツ師だかになれねえぞ」


 厳しい励ましにきょとんとしてしまうと「なんだ、その顔は」と睨まれた。


「いえ、わたしは奇術師を目指しているわけではないので」

「じゃ、なんのためにやってるんだ」


「それは」佐々木に取り入る口実として披露しているに過ぎない。「佐々木さんに楽しんでもらうためですよ。その対価としてオルゴールを頂きたいと思ってるんですから」


「それにしちゃあ、本気でこのオルゴールを欲しがってるようには見えねえんだよ。ただの手慰みで来てるんならもう来なくていい。こんなジジイに披露するんじゃなくて、家族との時間だとか、やることはあるだろうが」


 正論すぎて項垂れた。


 このまま三人で暮らしていきたいなという思いから、どうしてもオルゴールを手に入れなくてはいけないと必死になることも出来ない。


「……なんなんだ、まったく。もしかしておっかさんの具合がよくねえのか」


 鈴花の母が入院しているという設定で病院に通っていたため、もっともな心配をされてしまった。


「母は元気ですよ。ただ、その……、家族って難しいなって思って……」


「はあ? ……なんだ、もしかしてさっき、ここでごちゃごちゃやってたのを聞いてたのか」


「……はい」


 血のつながりのある知佳子と父親ですら行き違うのだから、他人同士である鈴花とリカルドと朔が分かり合える日なんて来るのだろうか。


 あの日以来、三人の関係はぎくしゃくしていた。


 表面上はこれまでと何も変わらず、朔もリカルドも普通に会話をする。


 けれど、あくまで「必要だから話している」だけで、リカルドの理想とする適切な距離感と関係そのままだった。お互い、私情に踏み込んだりはしない。


「放っておけ。よその家族の問題に首を突っ込むことじゃねえぞ」


 放っておけ。あの時、リカルドも部屋に帰る朔の背中を見てそう言った。


「じゃあ、家族同士なら何を言ってもいいんですか?」


 むっとした口調で返すと、佐々木は口をへの字に曲げた。


「……誰もそんなこと言っちゃいねえよ。家族だから心配だし口うるさくもなる。娘のことを心配してるからこその行動を責めるつもりもねえし、知佳子の主張だって別に否定しねえよ」


「…………」


「何だ、その顔」


「いえ。佐々木さんはいかにも『このわからずやの小娘が!』とかって言いそうなので少し意外だなと思って……」


「ああん?」


 睨みを効かせた佐々木は、ふっと真顔になった。


「……まあ、手前てめえの息子には出て行かれてるんだけどな。……反物屋なんて継ぎたくねえ、俺の決めた大店の娘とも結婚しねえって言って、どっかの女と駆け落ちしやがった。……もう三十年以上になる」


「……息子さんから、連絡は……」


「来ねえよ。とんだ親不孝もんだ」


 吐き捨てるように言いながらも、佐々木の顔には後悔が滲んでいた。


 会いたいですか? 鈴花が尋ねると、僅かに逡巡した後に首を振る。


「幸せに暮らしてりゃそれでいい。だが、俺は自業自得だが、家内にはかわいそうなことをした。結局、息子と連絡がつかないまま死んじまったよ」


 佐々木は枕元に置いてあるオルゴールを手に取ると、表面を優しく撫でさすった。


「こいつは家内の形見だ。身体を壊しちまって寝たきりの生活の慰みになればと思って買ったんだが……、家内が死んじまってからぱったりと音もならなくなっちまったよ」


 そのオルゴールを、無造作に鈴花の方へ押しつける。


「持ってけ。そんで、もう二度と来るな」


 顎で入口の方をしゃくられる。鈴花は慌てた。


「待ってください。大切なものだったんじゃないんですか?」


「いらねえのかよ。欲しかったんだろうが」


「欲しかったですけど、そんな、奥さんの形見なんて受け取れませんよ」


 意地悪で鈴花に渡さなかっただけではなく、本当に大切にしていたからこそ「譲れない」と言っていたのではなかったのか。


「いいんだよ、もう。先が短い俺が持っているより、若い娘が持っていた方が家内も喜ぶだろ」


「でもっ……」


「男に二言はねえ。……俺ァ喋り疲れた。もう寝る」


 そう言ってわざとらしく頭から毛布を被られてしまう。


 蓋を開けても鳴らないオルゴールを手に、鈴花は立ち尽くす。


 大切なものを貰ってしまったと言う罪悪感と、三人暮らしが終わってしまうかもしれないという不安。手にしたオルゴールはずっしりと重かった。


 ◇


 冷たい指先に息を吹きかけながら屋敷に帰ると、テーブルの上に朔の書き置きがあった。帰りが遅くなることと共に、魚の煮つけと茶碗蒸しの作り方が書いてある。


「朔さん……」


 几帳面な字で書かれた『茶碗蒸し ※リカルドの好物』の文字は鈴花のやる気を出させるのに十分だった。よし! と気合いを、書き置きとにらめっこしながら手を動かした。『魚は煮崩れるから鍋に入れたら触るな』『卵はざるで漉すこと』などの注意書きも朔らしい。


(リカルドさんって茶碗蒸しが好きだったんだ。知らなかったな……)


 一つ屋根の下で暮らしていたのに、知らないことはたくさんある。


 もっとよく知りたかった。


 好きな食べ物だけじゃなくて、紅茶にこだわりがあることや、春になったら庭の花壇に何か植えたらどうかという話や、またミルクホールにも行ってみたいこと。したいこと、やりたいこと、とめどなく溢れてくる想いに涙がこぼれる。


 部屋はストーブであたためているのに、どうしてこんなに寒々しいの。


 誰かが必ず帰ってくる家にいることが幸せなことだと教えてくれたのはリカルドたちだ。かりそめでも、ここは確かに鈴花の家だった。


 佐々木から受け取ったオルゴールはテーブルの上に置いてある。いっそ、自分の部屋に隠してしまおうかとも思ったが、鍵がない可能性だってあるのだ。


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