掃除
リカルドは出かけるらしい。朔もすばやく立ち上がった。
「……あんた、朝食の皿を洗っておいて。俺は今のうちに食材の買い出しに市場に行ってくるから」
「あ、はい。わかりました」
それくらいならお安い御用だ。
朔はさっさと出ていき、リカルドは一度部屋に戻ったのち、ジャケットにトップハットを被って出ていった。
あのめちゃくちゃな部屋の中から必要なものを探し出せるなんてすごい。お世話になっているんだから、リカルドさんの部屋も片付けたりしたほうがいいのかな……。でも、勝手に部屋に入ったらまずいよね……。
食器を棚に戻し終えても朔が帰ってこなかったので、鈴花は一旦物置部屋へと戻った。
上げ下げ窓を開けると、部屋の中の埃がきらきら反射して舞うのが見える。
きらきらの向こう側にあるのはおとぎ話のような風景だ。
「……綺麗な街だな……」
居並ぶ西洋建築の建物は趣向が凝らしてあって見ていて飽きない。
細かく格子をいれて分割された装飾窓が美しい家に、木材を爽やかな空色に塗装して造られた家。白壁に板を横に貼った
リカルドの所有している屋敷は周囲に比べるとこじんまりとしたものだが、玄関は吹き抜けになっていて開放感があるし、一階には広々とした居間、二階はリカルドと朔の部屋、それから鈴花が使っている物置と、「たまにしか帰らない」程度の住まいにしてはじゅうぶんすぎるほどだと思う。
さて、掃除を始めようかな、と思っていると坂道を登ってくる朔の姿が見えた。
両手いっぱいに食料を抱えているので、すぐに下に降りて手伝うことにする。
「朔さん。おかえりなさい!」
「……。リカルドは出かけたのか?」
「はい。夕食までには帰るって朔さんに伝えて欲しいと言っていました」
「……わかった」
朔は手際よく買い置きの食材をしまっていく。洗濯をするから先に簡単な掃除をしていろと言われ、鈴花は自室に戻った。
(うーん。……まだ警戒されている気がする……)
出会って数日の仲なので当然だが、一緒に生活していくなら仲良く出来たらいいなと思ってしまう。
凝った照明器具についた分厚い埃をはたきおとし、土埃で曇りガラスのようになっている窓を磨き、床の雑巾がけをしている頃に朔がやってきた。埃避けの布を被せて隅に寄せてあった家具を引っ張り出してくれる。一本足のテーブル。小さなチェスト。電球をつけて使えるようにしたランプ。ベッドはないがソファで眠れるので事足りている。
そうこうしているうちに時刻はあっという間に昼。居間から続くテラスの扉を開け、風に揺れる洗濯物を見ながら昼食を摂った。
朔が買ってきた
朔が無言で熱い紅茶を淹れてくれる。
カップを口元に持っていっただけで花のような香りが漂った。一口飲めば、これまで飲んできた紅茶とは比べ物にならないほど気高く芳醇な味わいがする。
「お……、美味しい……⁉ こんな美味しい紅茶、初めてです」
居留地育ちなので紅茶は手に入れやすい環境にあったものの、感激するほどの美味しさのものに出会ったことがない。矢代家で出る紅茶は――出涸らしばかり飲まされていたので取るに足らず。白磁に揺らめく
「茶葉はリカルドの伝手で手に入れてるから、質はそれなりにいいはずだ。……そこの戸棚に入っているから、気に入ったのなら好きな時に飲んでいい」
「えっ、いいんですか⁉ ありがとうございます!」
嬉しくて身を乗り出してしまう。
少し気安くなった鈴花は、仏頂面の朔に話しかけてみた。
「朔さんとリカルドさんって、付き合いは長いんですか?」
「本格的に一緒に行動するようになったのはここ一年くらいだ。出会ったのはもっと前だけど」
「どちらで出会ったんですか? 長ヶ崎?」
長ヶ崎にいたというリカルドの話を思い出し、何の気なしに聞いてみる。
「……リカルドがあんたに喋ったのか? そうだ、長ヶ崎の居留地だ」
朔も居留地に居たのか。
異国人のリカルドはともかく、日本人の鈴花と朔も居留地育ち。なんだか奇妙な縁を感じてしまう。
「……あのさ。リカルドがいないうちにあんたに話しておきたいことがある」
朔は食事を摂る手を止め、鈴花に向き直った。
真剣な顔をされ、こちらも自然と居住まいを正す。
朔は毅然とした顔で言った。
「あいつを信用しすぎるな。あいつにとってはお前みたいな女一人操るなんて簡単なんだ。間違っても好きになったりなんかするなよ」
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