忠告

「……好きに……って……」


 一瞬何を言われたのか分からず、一拍遅れてじわっと頬が赤らむ。


 朔から見たら、リカルドの容姿に惹かれて居候している勘違い女なのだろうか。お前なんか相手にされるわけがないんだからと釘を刺されたようで、鈴花は慌てて反論した。


「……なりませんよ! そこまで図々しくありませんし自惚れてもいません。だ、第一、リカルドさんみたいな人、どこへ行っても女の人が放っておかないでしょうし」


「ああ、その通りだ。あいつはどの地へ行っても上手くやる。特に、女はすぐコロッと騙される」


「わたしも騙されている一人だって言いたいんですか?」


 勘違い女の烙印を押されそうでむっとしたが、朔は真顔だった。


「さっきだってそうだ。あいつは『ゆっくりしていればいい』なんて、お前に居心地のいい場所を提供しておきながら、オルゴールがハズレだったと言って――あんたは追い出されるんじゃないかとギクッとしただろ」


「し、しましたけど……」


「そうやってリカルドの都合のいい行動をさせるんだ。やらされている本人は自分の意志だと思い込む。けど、実際はリカルドの手の上で転がされてんだよ」


 鈴花も、しばらく世話になるのだから出来ることがあれば協力したいと思った。いや、思わされたのか。


 早く出て行けと言われたら、協力するなんて言わなかったかもしれない。


「あいつは日本での用が済んだら、多分、あんたのことも俺のこともあっさり捨てて出ていく。利用されて捨てられる前にさっさと自分の身の振り方を考えた方が良い。……あんたのためを思って忠告してるんだからな」


 朔は食事を再開したが、鈴花の方は一気に食欲を無くしてしまった。


「朔さんはリカルドさんのことを信用して側にいるわけじゃないんですか?」


「俺はあいつに恩がある。金も貰ってる。仮に騙されて捨てられたとしても納得できるからいいんだ」


 本当に?

 だったらなぜ、列車の中で「一人でやっていけるでしょ?」と突き放された時、傷ついた顔をしたのだろう。


 家族でもない三人が一つ屋根の下で暮らしている。端から見たらおかしな関係かもしれないが、孤独なもの同士が寄り集まれば寂しくない。朔もそう感じているから、なんだかんだでリカルドや鈴花の世話を焼いてくれているのではないだろうか。



 ◇



「そうやって二人並んで料理してると新婚さんみたいだねえ」


 夕食の支度をしているとリカルドが帰ってきた。


 ぎこちない手つきでじゃがいもの皮を剥く鈴花の隣で、素晴らしい包丁さばきでにんじんを千切りにしていく朔。どちらかというと兄妹や師弟と言われたほうがしっくりくる気もするが……。


「おかえりなさい、リカルドさん」


 前掛けで手を拭き、リカルドの上着を預かろうとすると、彼はポケットから取り出したものを鈴花に渡した。


「はい、鈴花にお土産」


 薄桃色のリボンだ。


「わっ、可愛い……! 貰っていいんですか?」

「もちろん。結んであげよう」


 朔から借りた黒い紐で結っていた髪の結び目に、くるくるとリボンを巻きつけて蝶々結びにしてくれる。


「うん。かわいいかわいい」

「あ、ありがとうございます」


 ニコニコ笑うリカルドの笑顔を見ていると、やっぱり犬猫を拾ったような感覚なんじゃないかと思わなくもない。


「朔、興行の仕事をとってきたよ。本町の大通りにある見世だ。明日、下見に行こう」


「わかった」


 朔は短く返事をする。


「……浩戸でも奇術師のショウをするんですね?」


「もちろん。大事な情報収集の場だからね」


 意味ありげにリカルドが微笑む。収入を得るための場所、ではなく情報収集か。


「鈴花はどうする? ついてきてもいいし、私や朔がいなくても平気なら街を見て回る?」


 朔の忠告に従うのなら、仕事を探すなり、今後の鈴花の生活に繋がりそうな伝手を見つけるなりしたほうがいいのだろうが……。


「一緒に来るなら……、そうだな、奇術師ジョーの弟子ということにして男装してもらうことになるけど。ほら、ジョーには女性客がつきやすいから、若い女の子がくっついていると目立ちやすいんだ」


「男装は平気です。一緒に行ってもいいですか?」


「もちろんだよ」


 一人であちこち出歩けるほどの土地勘がないため、ひとまず同行させてもらうことにした。ちらりと朔を窺ったが、彼は何も言わない。


(ああ、また人の顔色を窺ってしまっている……)


 気をつけなくては、自分で何も判断できなくなってしまいそうだ。一時的なこの暮らしが終われば、鈴花はこの先一人で生きていかなくてはならないのだから。


「ああ、そうだ。鈴花、外に出たら私のことはリッツと呼んでくれ。この街にいる間の私の名前はリッツ・オルブライトだ。この屋敷もオルブライト邸で通っている」


「リッツさん……。……偽名ですか?」


「うん、そう」


 にこやかに微笑まれたが、もしかしたら『リカルド』も偽名?


「朔のことはジョーでいい。いや、弟子だから『師匠』とか『兄さん』とかでもいいか」


「兄さん……」

「気持ち悪っ」


 朔から嫌がられてしまったので、ジョーさんと呼ぶことにした。リッツさんとジョーさん。リッツさんとジョーさん。何度か頭の中で繰り返す。


「あ、わたしも名前が必要でしょうか? 男装するのだから『鈴花』ではまずいかと思うのですが」


「鈴雄でいいだろ」


「えっ、嫌です」


 それはちょっと安直すぎるし可愛くない。

 鈴花の即答にリカルドがククッと笑った。


「朔さんは、どうして『ジョー』なんです?」


「サク・イチジョウが本名だから、私が付けたんだ。異国人っぽくていいだろう?」


「……なるほど。じゃあ、わたしはシロと名乗ります。スズカ・ヤシロなので」


「シロぉ~? 犬かよ」


「む。じゃあ、コウシロウとかセイシロウとかにします」


「似合わね」


「失礼ですね!」


「まあ、なんでもいいけど、名前を聞かれた時にすぐに答えられるようにしておきなさい。きみのあだ名はシロ。帝都の下町で暮らしていた商家の三男坊。うーん……、その見た目で十六だと細すぎるから……十二、三歳ってところかな。偶然見たジョーの奇術に感動してくっついてきた、と。こんなところかな?」


 リカルドはすらすらと鈴花の偽の経歴を作っていく。


 まるで芝居の役柄でも決めるようだな、と思った。彼はこうして『リカルド』や『リッツ』として振る舞っているのかと思うと、どこにリカルドの真意が分かりづらい。いつでもかりそめの皮を脱ぎ捨ててどこかへふらりと行ってしまいそうな気さえする。


 出会ったばかりの鈴花でさえそう感じるのだから、朔の懸念ももっともだと思った。


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