批難

「⁉」

 わたし⁉


 観客が一斉に振り返り、思わず「ひっ」と悲鳴を漏らしてしまった。


「すごいじゃないか、鈴花。行っておいで」

「で、でも、助手って」

「そんなに難しい事じゃないよ。荷物は私が見ていてあげよう」


 リカルドに見送られ、恐る恐るジョーの待つ舞台へと上がる。

 恥ずかしさにうつむくと最前列にいた女学生と目が合った。大きく目を見開き、驚いた顔でこちらを見上げているのは――


(さ、桜子)


 叔父叔母の娘で、鈴花と一つ屋根の下に暮らしている従妹だ。なぜこんなところにいるのだと言わんばかりの瞳を向けられて動転してしまう。


 うろたえる鈴花に構わず、ジョーは客の前に赤い紙を掲げた。


 正方形の紙を裏返し、「種も仕掛けもありませんね」と見せたのち、素早い手さばきで何かを折る。出来上がったのは薔薇のような形だ。


「お嬢さん、手のひらを上にして出してください」

「…………」


「お嬢さん?」

「は、はいっ!」


 ああもう、どうにでもなれ! だって今さら舞台から飛び降りられないもの。

 鈴花は言われた通りに両手を受け皿のようにして胸の前に出した。


「目を閉じて」

「はい……」

「このお嬢さんの手の上に、先ほど紙で作った薔薇をのせます。そして、こうして手で蓋を……。失礼、握りつぶしてはいけませんよ」


 ジョーの手が鈴花に触れ、驚きのあまり上げそうになった声を飲み込む。小柄で華奢に見えたがやはり男性。鈴花よりも頭一つ分高い位置から話しかけられ、吐息がかかる後頭部の辺りがぞわぞわした。


 手のひらに置いた紙の薔薇を挟み込むように微調整され、「それでは」ジョーが指をぱちんと鳴らす。


「今、お嬢さんの手の中で、先ほどの薔薇は本物の薔薇になっているでしょう。さあ、お嬢さん、目を開けてください。そして、ゆっくりと手を開いて……」


 鈴花は瞼を開け、恐る恐る手のひらを広げていく。


 すると――深紅の薔薇の花びらが数枚、ひらひらと零れ落ちた。おや、とジョーは苦笑しながら肩をすくめる。


「お嬢さんが照れ屋なので、薔薇も恥ずかしがってしまったようです」


 え……、失敗?


 戸惑う鈴花と観客をよそに、ジョーは舞台にこぼれた薔薇の花びらを一枚拾った。

 彼がふうっと息を吹きかけ、手を返すと、そこには真っ赤な薔薇の花冠部分が現れる!


 早技すぎて、すぐ隣にいた鈴花もジョーが何をしたのか見えなかった。


 ちょっぴり気障キザな奇術に客席からは指笛が鳴る。


「ありがとう、お嬢さん。これはお礼です」


 薔薇を手のひらにのせられ、鈴花は背を押されて舞台から降りた。


(すごい! 本物の薔薇だわ……!)


 花びらは艶やかで良い匂いもする。

 夢見心地になった鈴花だが、桜子と居合わせてしまったのはまずかった。今は叔母から言いつけられたお使いの途中なのだ。道に迷って遅くなりましたという言い訳も使えなくなる。


 笑顔で迎えてくれたリカルドの元へ戻ると、鈴花は頭を下げた。


「リカルドさん、本当にありがとうございました。今日のことは忘れません」


「急にどうしたの?」


「わたし、帰らなくちゃ……。せっかく小屋に入れてくださったのにごめんなさい。もしまたお会いすることがあれば、このご恩は必ず返します」


 再び勢いよく頭を下げ、風呂敷包みを抱えて飛び出す。ジョーから貰った薔薇の花は袖の中にしまった。


 リカルドが呼び止める声が聞こえたが、申し訳なさで振り返ることは出来ない。


(ああ、こんなところで桜子と会ってしまうなんて)


 どうして鈴花がこんなところに、と桜子は気にしているだろう。目立つ容姿のリカルドと話しているところを見られたかもしれない。


 お使いをさぼり、異国人男性と遊んでいたと報告されることを思うと、胃に石でも詰め込まれたかのような気分になった。とにかく一分一秒でも早く帰ろう。


 中座してしまったジョーにも、誘ってくれたリカルドにも申し訳が立たなかったが、きっともう会うことなどない。それよりも、毎日顔を合わせる叔母や桜子にどう言い訳すべきかを必死に考えた。

 


 ◇



 ――結果として鈴花の帰宅は間に合わなかった。


 干菓子が欠けることを恐れ、重箱を持って走れない鈴花よりも、路面電車に乗れる桜子の方が帰りは圧倒的に早い。


 玄関で待ち構えていた叔母に重箱を献上した途端、

「恥を知りなさい!」

 とバシンと頬を張られた。


 土間に倒れ込んだ鈴花を見下ろす叔母――そして、かまちを上がった奥では桜子がこちらを見ている。

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