終幕

「鈴花……⁉」


 駆けてくる鈴花の後ろから朔が保護者のような歩調で歩いてくる。

 驚いたリカルドだが、すぐに表情を引き締めた。


「驚いた。二人ともどうしたの?」


「リカルドさんを探しに来たんです。黙っていなくなっちゃうなんてひどいじゃないですか」


「……あのね」子どもみたいな言い訳に苦笑してしまう。「家族ごっこはもう終わったんだよ、鈴花。俺はきみたちといる目的を果たしたし、じゅうぶんな謝礼も置いていったはずだ。まさか、俺を追いかけるための旅費に使ったなんてばかなことは言わないよね」


「使いましたよ? もう、大変でした。わたしたち、警察に目をつけられて浩戸の屋敷を出ることになりましたし、リカルドさんが長ヶ崎にいるって確証もありませんでしたし」


 警察に追われたって何事だ。


 リカルドの興味を引こうとしているような口ぶりと、しれっとした顔で話す鈴花は、本当に良い『タヌキ』になった。人の良さそうな顔で、食えない態度をとるようになったあたり、一緒にいたリカルドに似てきてしまったのかもしれない。


「……だから、何? 勝手に出て行ったことは謝るけど、探してくれとは頼んでないよ」


「そうですね」


「朔まで一緒になって何をやっているんだい? わかっているならとっとと帰ってくれ」


「嫌です。わたしはリカルドさんと一緒にいたい。……どこにも行くところがないのなら、一緒にいた方が幸せになれると思いませんか」


 孤独と孤独は惹かれあう。


 三人暮らしは確かに悪くないものだった。


 しかし、鈴花や朔はもっと真っ当に生きられるのだ。リカルドなんかに関わらず、とっととどこかで幸せになって欲しい。


「思わない。きみたちのことなんて、どうでもいい」


「……っ、てめえ、ふざけんなよ!」

 カッとなった朔が声を上げた。

「もういい、帰ろうぜ。鈴花」


「朔さ……」

「お前のことは、……俺が、幸せにするから……!」


 うつむいた鈴花の手を取り、朔は歩き出す。


 リカルドも引き留めなかった。これで、お別れだ。


 そう思って歩き出すと。


「おいっ⁉」


 切羽詰まったような朔の声。


 思わず振り返ると、鈴花が口から真っ赤な血を出して膝をついた。

 指の隙間からこぼれる鮮血。

 気づけば、リカルドは鈴花に駆け寄っていた。


「鈴花っ!」


 噎せている細い両肩を掴むと目が合う。


 彼女と目を合わせるのはひどく久しぶりな気がした。

 ふふっ、と小さく鈴花が笑い声を上げる。


「……嘘つき。どうでもいいなんて言うくせに、ちゃんと、わたしのこと心配してくれるじゃないですか」


「当たり前だろう!」


 リカルドは何も考えられずに声を荒げる。


「どこか悪かったのか? 早く病院へ。っ、苦しいところは……」


「大丈夫ですよ」


「大丈夫なわけないだろう!」


 吐血しているんだから大丈夫なわけがない。

 しかし、鈴花はぐいっとこぶしで口元を拭ってみせた。


「……ごめんなさい、リカルドさん。これ、血糊です」


「――は?」


 ぽかんとしてしまう。


「朔さんの奇術道具から借りました。……えーと、もしかしたらリカルドさんの気をひけるかなーって思ったんですけど、なんか思ったより勢いよく出ちゃって」


「水飴が少なくて粘度が足りなかったのかもな」


「すみません、思いっきり噎せちゃった」


 血みどろで笑う鈴花に、呆れた顔の朔。


「血糊、って……」


 二人に一杯食わされたとわかったリカルドはその場でくずおれた。


 突然吐血した少女に周囲は騒然となったが、鈴花がけろっとした顔で笑って口元を拭っているので、遠巻きにしつつ通り過ぎていく。


「……なんだそれ……」


 手妻が成功した時のような顔の二人が憎らしい。


 ああ、でも、鈴花という少女は妙に大胆な所があった。見ず知らずの叔父夫婦の家に転がり込んでみたり、他人の病室に押しかけて手妻を披露してみたり。大人しそうに見えて、目的のためなら手段を選ばないという性格は思ったより厄介なんじゃないか。


 後先考えずにそんな真似をして。血みどろの格好でどうやって帰るんだ。


「俺が足を止めなかったらどうしてたの? 病院に運ばれる演技を続けてた?」


「足を止めてくれるって信じてたので、そんな心配はしていませんよ。リカルドさんは優しいですもん。わたしや朔さんのことだって、利用するつもりで拾ったのかもしれませんけど、律儀にあんなにたくさんのお金を残してくれるなんて、わたしたちのこれからを心配してくれたんでしょう?」


 鈴花が微笑む。


「リカルドさん。……探していた宝物は見つかりましたか?」


 ミス・クラウンに隠した宝の鍵は、ただのごみになった。日本に滞在する理由も、イギリスに帰る目的もない。


「……いいや。見つからなかった」


「そうですか。わたしは見つけましたよ。リカルドさんが隠した鍵を探した日々は、わたしにいろんなことを教えてくれました」


 恋も友情も家族も、与古浜や帝都で燻っていたら知らないままだったという鈴花。リカルドは手を伸ばし、頬に飛び散っている血糊を拭ってやる。


「だから……」


「だから?」


「……一緒に帰りましょう。帰って、三人でケーキを食べましょう!」


 そのケーキはもちろん朔が作るのだろう。


 平和すぎる答えに呆れてしまう。

 ――でも、負けた。


 鈴花の言う通り、穏やかな暮らしはリカルドにとっても代えがたい日々だったから。こんなところまで追いかけてきてくれる粘り強さに免じて、俺も一緒にいたいと認めてあげる。過ごした十年余りに何の価値もなかったと考えると虚しいが、手に入れたものはちゃんとあったのだと思えた方が幸せだ。


「……それ、長ヶ崎まで追いかけてきて、血まみれになってまで言うようなこと?」


 どうせなら好きだから帰ってきてくださいと言われたかったな。


 憎まれ口を叩きながら触れた唇は、水飴の甘い味がした。


「帰ろうか、……俺たちの家に」






 ◇◇◇





 朔が不当に逮捕されそうになったことは、リカルドが浩戸警察に厳重に抗議した。


 警官が異人街をうろつくことに抗議の声も上がっていたらしい。


 結果的に朔が捕まることはなかったが、謝罪があったわけでもなくうやむやになり、朔は見世物小屋での仕事は辞めた。どうするんですかと心配する鈴花を前に、


「金出せよ、パトロン」


 居丈高にリカルドに手を突き出した朔は、大きな額を請求した。それは迷惑料で金をぶんどってやろうというわけではなく、朔からの提案だった。パトロンとして、自分に投資してくれないか、と。

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