参、家主と世話焼きと家出娘
屋敷
「う、ん……」
薄い毛布にくるまりながら寝返りをうとうとし――鈴花の身体はドサッと床に放り出された。物が散乱した床はお世辞にも綺麗とは言えないが、何も考えずに眠れるだけ幸せというものだ。ベッド代わりにしたソファの上に戻り、大きく伸びをする。
ここは
帝都を出てすぐ、鈴花は朔の着替えを借りて少年に変装することになった。
異国人のリカルド、付き人風の朔。洋装の男二人に少女が加わると非常に目立つ。
ワイシャツとズボンに着替え、髪はまとめて帽子の中にしまった。何度も折り返したシャツと華奢な体躯は十二歳ほどの少年といったところか。
……鈴花の嫁ぎ先が決まりかけていた以上、叔父たちだって帰ってこない娘を探さないわけにはいかないだろう。捜索願が出されたら面倒なため、逃げるように帝都周辺から離れるという、なかなか強行軍な旅だった。
途中、民宿にも泊まったが落ち着かず、この屋敷についた途端ぐったりだった。「部屋がないからとりあえず物置部屋のソファで寝て」と言われ、そのまま何も気が回らず朝まで熟睡してしまったらしい。
ぼさぼさの髪を手櫛で梳かす。今、何時だろう。
二階の物置部屋を出て階下に降りると、朔がキッチンに立っていた。足音に気づいたらしく、こちらに視線を投げかける。
「あ……。おはようございます、朔さん」
「……ああ」
朔には少し警戒されている気がする。
騙すのが本業の奇術師が、「家族に虐げられて暮らす大人しい少女」の正体に気づけなかったことが悔しいのだろう。道中リカルドにからかわれ、ずっと怒ったような顔をしていた。
道中、二人を観察しながら「パトロンと雇われ奇術師」というよりも、「放蕩ものの主人としっかりものの付き人」の関係に近いなと思っていた。
行き先を決めるのはリカルド、列車の時刻を調べたり、行程を考えるのが朔。
お腹が空いたときにお金を出すのはリカルド、弁当を買ってくるのは朔。
鈴花に対し、無責任に甘い言葉をかけるのがリカルドで、厳しいがなんだかんだで面倒を見てくれるのが朔。
「すみませんが、洗面所をお借りしてもよろしいですか?」
鈴花が尋ねれば、朔は面倒そうにしながらも料理の手を止めて案内してくれる。元々が世話焼きな性分なのだろう。
「シャワーも浴びたきゃ浴びていい。着替えは……、待ってろ、用意する」
浴室には大きな陶器のバスタブが置かれている。故郷、与古浜でも居留地に出入りしていたが、さすがに日本式じゃない風呂に入るのは初めてだ。朔からシャワーの使い方を教えてもらい、悪戦苦闘しながら身を清めた。
キッチンに戻る頃には良い匂いが辺りに漂っている。
「お風呂、ありがとうございました。なにか手伝うことはありますか?」
「飯出来たからリカルド起こしてきて」
追い払われるように二階を示されて少し驚く。
「……わたしがですか?」
「あんた以外に誰がいるんだよ。二階の突き当たりの部屋だから」
わかりましたと返事をしながら、少々複雑だ。
(一応わたし、未婚の若い娘なんだけどな)
一つ屋根の下。若い男が二人に、家出してきた少女が一人。
……世間的にみたらちょっといかがわしい。
みだりに男性の部屋に入ったり、ましてや寝ているところを起こしに行くなんていいのだろうか……と居候の分際で思ったりする。しかも湯上りだし。
朔は鈴花がキッチンに居座ったら邪魔だから、という程度で頼んだのだろうし、リカルドは……。彼にしてみたら犬猫を拾ったのと同じような感覚なのだろうか。そして朔は妹弟を世話する感覚なのか。
だとしたら、自分だけもじもじと意識するのも馬鹿みたいだ。開き直って部屋をノックする。
「リカルドさん、おはようございます。朝食が出来たそうです」
返事はなかった。
「リカルドさん……?」
何度かノックするが返事はない。朔のところに戻った。
「あのう、返事がないんですが」
「だから『起こしてきて』って頼んだんだよ。あいつ、寝起きとんでもなく悪いから、毎朝起こすの手間なんだ」
今日からお前が目覚まし役な、と命じられる。
シーツを剥いで蹴飛ばしてこいと言われた鈴花は、再び遠慮しながらノックをした。
「リカルドさん、鈴花です、……入りますからね?」
中を覗いて、うわっ、と声を上げてしまったが、ベッドの上の塊はぴくりともしなかった。
部屋の中は非常にごちゃごちゃとしており――失礼ながら汚い。足の踏み場もない。
積まれた本はあちこちで崩れているし、机の上に広げてある地図の上にはシャツが放り投げられ、ぱんぱんに膨らんだ旅行鞄から物を引っ張り出した形跡もある。
シーツの隙間から柔らかそうな茶髪が見え、鈴花は散らばった物を踏まないようにしながら近づいた。
「リカルドさん、朝です。起きてください」
強めにゆすってもうんともすんとも言わないし、被っているシーツを引っ張ってみるが離れない。
なるほど、これは手ごわい。
ぐいぐいシーツを引っ張り、大きな声でリカルドの名を呼んでいると……。
「……あー、うるさ……、誰……?」
なんとも失礼な言い草で、面倒くさそうに身体を起こされた。
はらり、シーツが落ちる。リカルドは裸だった。
「さ、さ、朔さん!」
きゃああああと叫びながら階段を駆け下りてきた鈴花に、朔はうっとおしそうな顔をしていたし、後からのそのそとシーツを引きずりながら出てきたリカルドの焦点は合っていなかった。
「服! なんで裸なんですか!」
直視できずに朔の方に訴えかける。
「……あんた、色町の出だって言ってなかった?」
「わたしはお客さんをとったりしてませんし、男の人の裸なんか見たことありません!」
「すぐ慣れる。毎日こうだから」
「慣れたくありませんっ」
リカルドは鈴花と朔の横を無言でふらふらと通り過ぎ、シャワーを浴びにいってようやく「起きた」。
服を着て「おはよう、鈴花」なんて爽やかに微笑んでくれたけれど、とんでもない汚部屋と寝起きの悪さを見せつけられた後だったので、ときめきなんてものは皆無!
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