偽物

「気づいたら病院のベッドに居ました。わたしの枕元には汚れた巾着があって、ベッドの名札は『矢代鈴花』。あの子に乗り移ってしまったのかな、なんて馬鹿なことを考えてしまった事を覚えています」


 帝都から出るための列車に乗り、リカルド、朔と向かい合って座りながら、わたしは話を続けた。







 わたしの額には包帯、顔のあちこちにはガーゼが貼られていて人相もわかりにくくなっていたらしい。


 病院と警察は持ち物から身元を照合した。


 助かった者の中に矢代夫妻はおらず、軽傷で済んだ若い女性は皆身元の確認がとれていると言われた。鈴花の荷物を持っていたわたしは『矢代鈴花』だと勘違いされたのだ。


 身元不明の少女の遺体は顔にひどく傷を負っており、……もしも一命を取り留めていたとしても可哀想だっただろう、と後に関係者が話しているのを耳にした。


 遺体。


 わたしに優しくしてくれた鈴花はもうこの世にいないのか。


 甘くとろけるようなシュウクリームの味。

 えくぼのある可愛らしい笑顔。

 儚い夢みたいに消えてしまうなんて、そんなの嘘だ。


 ベッドの上で大泣きしても誰も咎めなかった。周囲の者は皆、親を亡くした悲しみ故の涙だと思っただろう。違う。どうしてあの子が亡くなってしまったの。どうしてわたしが生き残ってしまったの。座る場所が違っていたら、生死を分けていたかもしれなかった。






「だけど、与古浜から飛び出してきたわたしに、治療費を払うあてはありませんでした。だから記憶喪失のふりをしていたんです。顔の傷が治ってもしばらくの間はガーゼと包帯で隠し続けていたんですけど、さすがに帝都の叔父叔母が迎えに来たときはばれるだろうなあと思ってたんですよね」


 いっそ、「お前は誰だ」と糾弾されることを期待してさえいた。


 だが、叔父夫婦は遺産にしか興味がなく、十年以上鈴花が別人だとは気が付かないまま引き取られることになってしまった。入院中に与古浜の屋敷は売り払われ、業者を雇って金目の物は運び出させたそうだ。


 その時に彼らが写真一枚でも手元に残しておきたいと言えば、鈴花が偽物だとすぐに気づいただろうに。


 優しくされていたら、きっと素直に白状して許しを乞うたかもしれないが、彼らは鈴花に冷たかった。両親を亡くしたばかりの娘にこんなに辛く当たるなんて、ひどいんじゃないか。


 女学校に通わせてくれない? 使用人同然の扱い?


 上等だ。いじめられてうつむいて暮らすなんて『鈴花』らしくない。


 わたしは絶対幸せを掴んでみせる。この帝都で『鈴花』として新しい人生をやり直すんだ。


 ――そう思って暮らしていたけれど、罪悪感は常にまとわりついていた。


 鈴花をいじめる叔父夫婦は最低だが、鈴花の人生を乗っ取ったわたしも最低だ。そして結局逃げ出してしまった。


 色町で暮らす生活からも、望まぬ見合いからも逃げた。逃げて、逃げて。わたしは一体どこに行きたいのか。何がしたいのか。答えは見つからない。


「どうしてこのオルゴールが必要なのか、聞いてもいいですか?」


 美しい細工の箱をリカルドに差し出しながら問う。


 オルゴールだけ取られてハイさようならをされる可能性もあったので、列車に乗るまでは渡さなかった。


『同行させて欲しい』と申し出たが、朔の言う通り、リカルドたちがどこへ行くつもりなのかも何も知らない。着の身着のまま飛び出してきた面倒な娘を連れて逃げることを了承してくれるくらい、リカルドにとっては価値のあるものということだ。


 リカルドはオルゴールの表面を撫でた。


「……この中に、宝物の在処が隠されているんだよ」


「宝物」


「そう。イギリスで暮らしていた時――祖父が大切にしていた金庫の鍵を、子どもの私は盗み出したんだ。で、輸出船の中にあったオルゴールに隠した」


「お、怒られたでしょう⁉」


 大切な金庫の鍵を盗んだ挙句、国外にいく船に乗せるなんて――子どもの悪戯にしては度が過ぎている。リカルドは意味ありげにふふふと笑って蓋を開けた。


 チロン、と微かな旋律は列車の音がうるさくてほとんど聞こえない。


 覗き込んでみたが鍵らしきものは見当たらなかった。


「工具がないと探せないようにしてある。簡単に取り出されて紛失されたら困るからね」


「……その鍵が見つかったら、リカルドさんはどうするんです?」


「ん? 開けに帰るよ。だから、私がきみに同行できるのはイギリス行きの船が出るまでということになるね」


「……ああ……、だからわたしがついていくのを了承してくれたんですね……」


 国に帰るまでの間なら面倒を見てもいい、という軽い気持ちなのだろう。


「朔さんもイギリスに同行されるんですか?」


 鈴花の何気ない問いに、朔はわずかに返事を躊躇った。


「……俺は……」


「朔は俺がいなくても、ジョーとして奇術で食べていけるでしょ?」


 リカルドの微笑みはどこか突き放しているようにも見える。


 朔は「ついてくるな」と言われた犬のように視線を彷徨わせたのちに、ああ、と硬い声で返事をした。


 ……どうやら彼も期間限定でリカルドに同行しているだけらしい。


「鍵が見つかっても、そんなに大急ぎで帰らないよ。鈴花が今後の身の振り方を考えるくらいの時間はある。……ああ、そういえば、これからはなんて呼べばいい?」


 矢代鈴花の名前を借りて生きていたのだ。

 本名は? と訊ねられて、苦笑した。


「すず、です」


「すず? 鈴花とそっくりな名前だね」


「はい。……病院に運ばれた時に『あなたの名前は、すずか?』って聞かれて、朦朧とした頭で『はいそうです』って返事しちゃったのがそもそもの原因だと思うんですよね」


「きみの名前の一部が入っていたんだね。不思議な縁だ」


 名前の一部か。

 リカルドの表現に二つの名前が溶け合っていくような感覚を覚えた。


 わたしは『すず』であり、半年間『鈴花』でもあったんだ。


「図々しいとは思うんですが、これからも『鈴花』と名乗らせてください。鈴花ちゃんが本来歩むはずだった人生とは程遠い道だけど、彼女の名前と一緒に生きて行こうと思います」


 彼女と出会ったことを忘れたくない。


 だからわたしは、ついた嘘を抱いて生きよう。


「そう。……一応言っておくと、『鈴花ちゃん』って、きみが思っているような人柄とはずいぶん違うみたいだったけどね」


「……へ?」


 感傷的になっていた鈴花に、しれっとした顔でリカルドは続けた。


「一応調べたんだよね。鈴花ちゃんが通っていた与古浜の女学校。上級生にも食ってかかったりする強気な性格で、ご両親とはずいぶん仲が悪かったそうだよ」


「……いえ。すっごく仲良さそうでしたよ! にこにこ笑って、家族三人でシュウクリームを食べて……」


「うん。人前で不仲な家族の姿を見せないようにしていたみたい。ご主人も奥方も浮気していて、仮面夫婦ならぬ仮面家族ってやつ? 現に、彼女は家族団らんごっこに嫌気が差して、きみのいた席の方へ逃げてきたんだろ」


 違う。あれはわたしが一人だったから、彼女が気を使ってくれて――あの天使みたいな子が両親を非難しているところなんて想像できないし。今さら本当はどんな子だったかなんて確認するすべもない。鈴花はもうこの世にいないんだから。


 だけど、ほんのちょっぴり親近感は湧いた。


 すべてを持っているような幸せそうな子にも悩みがあったんだ。純真無垢そうな笑顔の裏にしたたかな一面も隠し持っていたんだ。


「……『鈴花』って意外と逞しい子だったんですね」


 もしも彼女が生きていたら、矢代家で桜子と激しい舌戦を繰り広げていたかもしれない……なんて。そんな日が来ることはもうないけれど。


 ぽろっとこぼれた涙に、リカルドがハンカチを貸してくれた。


 朔は気まずそうに視線を逸らし、窓の外を見ているふりをする。


 その視線を負って鈴花も外に目を向けた。市街地のきらきらしたアーク灯の光の数は減っていき、帝都の街並みは遠ざかっていく――。




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