潜入
新聞? と鈴花たちが首を傾げると、知佳子は一度引っ込み、折りたたまれた紙面を手に戻ってくる。この辺りの地方紙だ。「ここ」と知佳子が差したのは読者からの投書だった。
「本町に現れたる奇術師にご用心。……えっ⁉」
「……ジョーと名乗る東洋人の男。西洋の妖術を使い、婦女子を惑わす輩に
朔も鈴花も真っ赤になる。
ようするに、奇術のショウをもの凄く破廉恥に書き立ててあるのだ。
記事の中の朔は、若い乙女を誘惑しては迫っている破廉恥野郎だ。こんなものを見たら世の父親は娘を見世物小屋に近寄らせようとしないだろう。
「もしすずちゃんが騙されてるなら、あたしがビシッと言わなきゃ! と思ってたんだけど……、でもやっぱり誤解だよね。あたしが見に行ったときは、こ、こんなことしてなかったし……」
「当たり前だ! 誰がこんなことっ!」
「だから警官が尋ねてきたんですね……。この記事を見た人が通報したんだわ」
とは言え、こんな噂が広まれば浩戸で商売は出来ないだろう。
警察に無理矢理連行されそうになって逃げてきたというと知佳子は同情してくれた。
「良かったら、しばらくうちに泊まる? うち、住み込みのお弟子さんとかいるから、部屋とかご飯とかも用意できると思うし」
「ありがとう、知佳子ちゃん。でも……」
この辺りをうろうろしていたらすぐに見つかってしまうだろう。それに、商売が出来ないなら朔が浩戸に留まる意味もない。鈴花の方も、リカルドのいない浩戸の屋敷に留まり続けても……という思いがある。
温かい茶を飲んでいくぶんか冷静になった朔は、一度荷物を取りに屋敷に帰ろうと言った。
「夜なら暗闇に紛れて戻れるだろ。屋敷の鍵も開けっ放しだし、……今後のことはそれから考えよう」
「……そうですね。知佳子ちゃん、夜までここの離れにお邪魔させてもらっててもいいかな」
「全然構わないよ! なんだったら、お屋敷?の周りに警官がいないか探ってくるし」
こういうのちょっとワクワクする! と快活に笑われ、鈴花も力が抜けてしまった。
「知佳子ちゃん、ありがとう」
「いいっていいって。友達でしょ」
友達。鈴花として生きると決めてからはじめてできた友達に、じわっと心が温かくなった。
知佳子に屋敷周辺の様子を見に行ってもらうと、未だ警官たちはうろついているようだった。表玄関と裏の勝手口を定期的に巡回しているのだという。
そのため、鈴花たちは日が暮れてから屋敷に忍び込むことになった。
朔、鈴花、それに知佳子もついてきてくれた。もしも屋敷の外に警官がいた場合、注意を引いてくれる役目を追ってくれた。
「任せて! これでも演技力には自信があるから」
どんと胸を叩く知佳子は頼もしい。「それにしても……」と彼女はちらりと朔を窺う。
「奇術師さん、美人だねえ……」
「……どうも」
女物の小袖に袴姿の朔を見て惚れ惚れという。生憎とカツラは調達できなかったため、大判のハンカチーフを被り、万が一のためにと紅まで差した。
さすがに知り合ったばかりの知佳子相手に「そんなこと言われても嬉しくない」とは返せないだろう。素っ気ない態度だが暴言を吐いたりはしない。
すすっと鈴花の側に寄ってきた知佳子が耳打ちした。
「ねえ、あれ、本当に見世物小屋の人と同一人物? 新聞記事の内容とも全然違うね」
「こっちが素の朔さんだよ。知佳子ちゃんにだけ冷たいわけじゃないから、気にしないで」
「あたしに冷たいっていうか……、多分、すずちゃんが特別なんだろうな」
「?」
「何でもない。それで、荷物を取ったら、もう行っちゃうの?」
知佳子を家まで送り届け、鈴花と朔はそのまま列車に乗る予定だ。泊まっていきなよと知佳子は言ってくれたが、弟子や門下生が出入りする鈴木家は人との接触を避けられない。
少しでも今日のうちに浩戸から離れておいたほうがいいだろう。
鈴花たち三人は居留地へと足を踏み入れる。
ここは治外法権――異国人は異国の法で裁かれるため、日本の警官が出入りするような事態は少ない。見回りなども本来はいないはずだが、制帽を被った警官一人、オルブライト邸の周囲をうろうろしているのが見えた。
「わ、本当にいるねえ」
「俺と鈴花は裏口に入る。あんたは……」
知佳子は片眼を瞑った。
「あたしは表で注意を引くよ。ついでに屋敷まで送ってもらうことにするから、あたしのことは気にしないで」
そう言って知佳子は鈴花の手を握った。
「すずちゃん、……また会えるよね?」
「うん……! 本当にありがとう。絶対、また会おう」
「待ってる。聞きたいこと、いっぱいあるんだからね」
ふふっと笑った知佳子と抱きしめ合う。その様子を見届けていた朔が鈴花を呼んだ。
「裏に回るぞ」
「はい」
朔と鈴花が植え込みの陰に隠れる。知佳子は少し離れた場所にしゃがみ込んだ。大げさに足を押さえている。
「きゃああああ、いたああい。鼻緒で靴擦れしてしまったわー!」
あまりの大根役者ぶりにずっこけそうになった。
それでも知佳子の声で警官は「どうかなさいましたか」と律儀に駆け寄ってくる。
「足が痛くて歩けないんですぅ。すみませんが、手を貸してくださいませんかー?」
「大丈夫ですか。お一人ですか?」
やりとりを横目に、鈴花と朔は素早く裏口から中に入った。
キッチンは朔が準備していた朝食の準備そのままだ。明かりは付けずに中へ入る。
「暗いですね」
「……暗いな。大丈夫か?」
手を、と差し出された手に掴まろうとしてつんのめった。
抱きとめてくれた朔の身体は小揺るぎもしなくて、細く見えてもやっぱり男の人なんだなあ、と思う。ぎゅっと抱きしめられたまま朔が動かないので、鈴花は自分のせいでどこかぶつけたのかと不安になった。
「朔さん?」
「あ……、悪い」
慌てたように朔が身体を離す。
「二階の方が月明かりで明るいな。大丈夫そうか」
「はい」
それぞれが自室へ戻り、荷物をまとめた。鈴花の方は大した荷物はない。大きめの鞄に数枚の着替えと、朔が書いてくれた献立。それから、リカルドがくれたワンピースに、桃色のリボン。
机の引き出しを開けると、張り合わせようと試みた英字の手紙がある。
居留地育ちなので単語くらいは拾えたが、全てを読むことはできなかった。「死」「祖父」「金」の文字から、もしかしたらリカルドの祖父が亡くなったということが書いてあるかもしれない、という程度だ。
それを読んで彼は一体どう思ったのか。どうしてびりびりに破いて捨てたのか。
窓枠に、リカルドがよく凭れかかって立っていたことを思い出す。
月明かりに照らされるリカルドの姿は、いつも、ほんの少しだけ遠かった。
『――好きなの? 彼のこと?』
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