恋心

 気軽にかわいいという言葉をくれるが、色っぽさの欠片もない。


 毎朝、鈴花が起こしに行っても服を脱いで寝る癖は改めないし、部屋はぐちゃぐちゃだし、淑女レディとして見られている様子などなさそうだ。


 内心でちょっぴりむくれていると、二人が頼んだ暖かいミルクとカステラが届いた。卵をたっぷりと使っていますと言わんばかりの分厚く切られたカステラの黄色が眩しい。


 いただきます、と手を合わせてフォークを入れると、しっとりと詰まった生地が口の中でほどけた。ざらめが付いて焦げた部分を口の中で溶かしながらミルクを一口。卵と牛乳と砂糖の組み合わせなんて美味しいに決まっていて、「幸せ」とほっぺたを押さえる。


 その様子を見たリカルドに笑われてしまった。


「鈴花は幸せそうに食べるね。降誕祭には朔に大きなカステラでも焼いてもらおうか。クリームを塗って、フルーツで飾ってさ」


「わあ、それは絶対に美味しいに決まってますね!」


「その時はとっておきの紅茶もあけよう」


「え? いつもの茶葉よりももっといいものがあるんですか?」


「もちろん。だから、普段用は気兼ねせずに飲んでくれて構わないよ。私や朔の分を淹れるついでじゃなくてね」


「……き、気づいてたんですか……」


 朔からは自由に飲んでいいと言われていたが、いくら美味しいからといって一人分だけ淹れるのは図々しいかなぁと思っていたのだ。


「最初に朔が言っていたと思うけれど、私たちに気を使わなくてもいい。もちろん、鈴花の礼儀正しさや慎まやかさは美徳だと思うけれど、言いたいことややりたいことは口にしていいんだよ。家の中でも外でも気を張っていたら疲れるだろう?」


「……朔さんやリカルドさんみたいに?」


「はは、そうだね。朔は不平不満を内に溜め込む性格だから、ある程度発散させないと爆発してしまうから」


 舞台では愛想よく口上を述べている朔は、女性客や新しい物好きの紳士には好評を博しているが、それでも時折、出口で文句を呟いて帰る人もいる。朔が涼しげな顔で奇術を行っているのを見て、「ちょちょいと指先を動かすだけで銭を貰えるとはいい商売だなぁ」という嫌味に、鈴花も何度むっとしたことか。佐々木に披露するために朔から簡単な奇術を教わってみて、その「ちょちょい」がどれだけ難しいかを身を持って知ってしまったからだ。


「確かに朔さんは上手く切り替えていますよね。でも、リカルドさんはあまり変わらないように思います」


「そう? 毎朝起こしてもらったり、散らかった部屋を見られたり。結構ダメなところを見せている気はするんだけどなあ」


「うーん……、前に一度だけ『俺』って言ったじゃないですか。あっちがリカルドさんの素に近い話し方なのかな、って思ったんですけど、違いますか?」


 リカルドは驚いた顔をした。


「おや? そんな話し方したかな?」

「しましたよ。……夜、リカルドさんの部屋を訪ねたときに……」


 祖父との確執を聞いた時だ。


『俺は不当に奪われたものを取り返したいんだ』


 例えあの話が本当だろうが作り話だろうが、リカルドがほんの僅かに見せた素の口調に心を乱されたのだ。


「……がこういう口調で喋ると警戒されやすいんだ。日本人より上背があるから、喧嘩腰に受け取られることが多くてね」


 普段よりも低く、粗雑な喋り方にどきっとする。


 リカルドはすぐに口調を改めた。


「……そんな理由で、もう何年もこの喋り方で通してるから、別に無理しているとか家では猫を被っているとかじゃないから心配しないで」


「慣れちゃったんですか?」


「そう、慣れだね。でも、鈴花が嫌がらないなら、たまにはこっちの喋り方でも話そうかな」


「わたしは素に近いリカルドさんが見れた方が嬉しいです」


「そうなの? どうして?」


 どうしてって……。

 もっとリカルドのことを知りたいから、なんて口に出しそうになって頬を赤らめる。


 好きになるなよと朔から忠告されているし、鈴花に言えないような秘密をいっぱい抱えているような相手だと頭では分かっていても、やっぱり惹かれる気持ちは止められない。


 リカルドは楽しそうににこにこと鈴花の様子を見ていて――きっと、わたしの気持ちもリカルドさんはお見通しなんだろうなと落ち着かない。


 気恥ずかしくて、鈴花は店内の壁掛け時計に視線を向けた。


「……そ、そろそろ、夕方の準備の時間ですね。朔さんの手伝いに戻ります」


 誤魔化すようにミルクを流し込んだ鈴花をリカルドが制す。


「朔には伝言を出しておいたから戻らなくても大丈夫だよ」


「えっ?」


「さっきの男が見世物小屋周辺をうろついていないとも限らないだろう? しばらくは弟子のふりはやめておきなさい。……今度は『途中退場』せず、最後までちゃんと付き合ってよ」


 はじめて会った見世物小屋で、リカルドを置いて帰ってしまった事を思い出す。


 通りかかった給仕にミルクのお代わりを頼んだリカルドは、優しく微笑んだ。


「……それで? 俺のこっちの喋り方が好きって話だったかな」


「す、好きとは言ってません」


「じゃあ嫌い?」


「嫌いじゃないです……。もうっ、からかうのはやめてください!」


 恋人同士のような甘い雰囲気に身悶えながら、心の中で朔に手を合わせた。


 手伝えなくてごめんなさい。それから――忠告されたけれど、やっぱりわたし、リカルドさんが好きみたいです。


 例えリカルドが、佐々木に取り入っている鈴花をいいように使うために親切にしているだけだとしても、芽生えた恋心は隠せそうになかった。


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