最終話 暗殺少女のこれから

 交渉、契約。


 企業同士であれば、そうでなくとも、リスクを消すためには契約書を交わすのが普通だ。

 反故にされた場合の責任を相手に求める。損失の補填のためにも……、


 契約の穴を突くのが、裏切る側が理想とするやり方であり、


 それを潰すのが、裏切らせずに、利益を確保するための前提になる。


 そんなあやふやな信頼関係のまま取引きをすることが、果たしてあるかどうかは定かではないが……、裏切る前提の契約は、契約書に手を入れない場合、契約相手そのものを潰すのが手っ取り早い……、そう、根こそぎ、である。


 レイはそういうタイプだ。


 裏切る前提の契約――、そんな身近なケースが自分自身であるにもかかわらず、彼女は考えもしなかったのだ……、

 浮かれていた? 

 それともメリットにばかり目がいき、リスクには一切、目を通さなかったとでも? 


 それだけレイにとって、契約の先にある目的が魅力的だったのだ――、


 生きること、そのものと言っていい……。


 だから頭の片隅にすらなかった。

 まさか自分が……、自分の方が。



 ――ごぎんっ、と、両足が後ろ側に折れた。

 膝が地面に落ち、額を勢い良く地面に打つ――え?


「なにを、しているの……? グザ、ファン……?」


 レイの内側にいるグザファンは、答えてくれない。

 不死とは言え、痛みはあるし、こんな扱いをされるなど――聞いていない!?



「不死を取ったのが間違いでしたね。

 レイ……、気づいていますか? あなたの今の肉体状況は、ルイ様と同じですよ?」



 不死であり、ルイよりも成長し、

 暗殺者として改造された、一般女性よりも随分と戦闘に特化した肉体である……。


 レイの欠点と言えば生活力であり、戦闘に関してはユキに並ぶ身体能力を持つのだ――、

 まるで理想の肉体。


 悪魔にとっては、これ以上ない、ルイ以上の【アバター】。


 つまりだ。


「グザファン、『それ』、あげる。だから私たちを外に出してくれる?」


「ゆ、ユキぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいッッ!?」


 レイの怒号は、しかし内側の力によって遮られた。


「ふっ、悪魔と取引きをしようってのか? 契約ではなく――。

 別に、お前らを殺しても、こいつを手に入れることができる」


「この王国のことや、悪魔、そしてアバターのことを後々、調べられたくないから目撃者を殺す……、そういう事情だと思っていましたが?」


「ああ。お前らを外に出せば、介入してくるやつが増えるだろ……、

 お前ら自身も辟易してんじゃねえのか? たとえば、新聞記者に近いか。

 想像できたなら、こっちの気持ちも分かっただろ」


「なるほど、確かに鬱陶しいですね……、相手にも正義があるとは言え」

「なら、ここでお前らを逃がすわけにはいかないことに、納得したか?」


「でしたら」


 ユキが提示する。


「徹底して情報規制をしましょう。

 そのアバター……レイの行方不明も、こちらで潰しておきます。テキトーな理由で長期間のバカンスとでも伝えておけば、行方知らずの彼女を探す人もいなくなるでしょうね……。

 姿、声は、作ることができます。

 プロジェクト・ラプンツェル……、それが


「……つまり?」


「グザファン……、あなた方、悪魔がレイをアバターとして利用し続けることを、私たちは支援します――それが、提示できるメリットです」


「ほお」


 グザファン――、いや、レイの目が細められた。


「契約違反をしたら?」

「そんなの――」


 ユキが微笑む。


「この王国と同じように、滅ぼせばいいのでは?」


「クク……ッ、国を……いや、人類を担保にしたか」

「裏切る気はありません……その覚悟を理解していただければ」


「この女は、どうなっても構わない?」


「ええ、好きにどうぞ。先に裏切ったのは彼女ですから。

 でも……、元より信頼していたかと言えば、違いますから――裏切るもなにもありませんが」


 ふうん、とグザファンが率直な感想を呟いた。


「お前らも充分、悪魔だな」


 ―――

 ――

 ―


「……ここは、どこかしら……?」


 レイが目覚めたのは汚れた室内、使い古されたベッドの上だった。

 どこを見ても経年劣化……、今にも崩れそうな廃墟のような内装。


「…………、あれ?」


 レイは思い出せなかった。直近の数日間ではない。


 生まれてから今までの記憶を、全て。


 だから自分が何者なのか、分からなかった。


「私は――」

「起きたか、レイ」


「レイ……」

「そう、レイだ。お前はレイ――」


 ベッドの上に乗ってきたのは、レイの膝くらいの身長しかない、小鬼だ。

 レイが嫌悪感を抱かなかったのは、比較する人間をまだ見ていないからだ。


「レイ……、ねえ、頭の中にある、これ――」

「それは知識だ。記憶はねえが、知識がないと困るからな。残させてもらったぞ」


「??」


「ああ、分からなくていい、お前には関係ねえ。

 とにかくだ……、おれはお前の親だ。分かるか? 親だ――、知識があれば分かるだろ」


「うん……、親、親……お父さん」

「そうだ――お父さんだ」


「ねえお父さん……、レイは、どうすればいいの?」


 にやり、とグザファンの表情が歪み、


「おれの言うことを聞いていればいい……、悪いようにはしねえよ」




 エピローグ



 ユキを連れ帰ることに成功したイリエは、しかし見落としていた。

 戻ってきたからと言って、彼女が暗殺者を続けるわけではない、と。


 結局、ユキはルイを連れ、二人で過ごすことにしたようだ……。

 当然、組織からの支援はない……、

 彼女は彼女で、独自のルートを辿り、生活の支援を受けているようだ。


 暗殺者時代に繋がった人間関係。

 ユキは暗殺者時代を毛嫌いしているが、積み重ねたものは決して無駄ではないと、吹っ切れているようだ。

 殺しの裏では救いがあった――、

 それに気づけたことが、ユキの心をぐっと軽くしたのだから。


 過去は消せない。

 罪も消えない……だからこそ、


 救えた人の価値も、なくならない。



「で、残ったのはアタシとあんただけってわけね」


 任務に向かう前、空港で合流したのは、せつなだ。


 チーム・イリエは現在、レイ、モモ、ユキを欠いたために、二人だけだった。

 プロジェクト・ラプンツェルの試験体も、一気に失い、残されていた試験体もイリエたちと並んで活動できるまで、まだ育ってはいないのだ……、しばらくは二人体制になるだろう。


 なぜか上司も最近は音沙汰がない……、ヘマでもして消されたのかもしれない。


 組織か、それとも悪魔によって――なのかは分からないが。


「では、向かいましょう」

「なんでアンタが仕切る。リーダーはアタシでしょうが。その前に、先輩だぞ!」


「はい、分かっていますよ。その上で、です」

「生意気な後輩だ……ッ」


 二人でスーツケースを引きながら、空港のゲートへ向かう。


「気が重いですね……」

「なにが」


「任務終わりです。……伝えにいかないといけませんから」

「…………」


 忘れていたかったことを思い出せてくれた……。

 だけど、ずっと見ない振りをしたって、仕方がないのだ。

 いずれ、必ず向き合うことになる事実……、非難される覚悟はできていた、はずなのに。

 やはり、気が重い。


 モモの死を、三人の弟に伝えなければならない。


 同時に、


「この任務も、あの子たちを養うためだしね」

「それに加えて、ユキ先輩に任されるはずだった任務もありますし」


「アンタ……、様はもう、付けないのね」


「はい……、さすがに呼び捨てはできませんけど、でも、あの人の友達になるためには、様を付けていたら、いつまで経ってもそこに立つことはできませんから――」


「ふうん」


 ゲートを抜け、搭乗予定の飛行機へ向かう。


「あの子も、アンタには心を開いているように見えるけど」

「え、本当ですか!?」

「さあ、どうだか。でも――だったらそう簡単に死ねないわね」


 自分は道具だから、なんて理由で、自身を使い捨てにさせてやるものか。

 そういう意味を含めたイリエの言葉は、無事、せつなに受け取られた。


「もう、しませんよ――、先輩を身代わりにします」

「それはそれで困るんだけど……ッ」


 以前からそうだったが、後輩の当たりがきつい……、尊敬されていないな?


「イリエ先輩にしか、言いませんよ」

「はいはい……まったく――」


 それでも、イリエにとってはこれでも可愛い後輩なのだ。

 身代わり? 結構だ。されるまでもなく、守ってあげる――そう決めているのだから。


「ねえ、先輩……」

「なによ」


「あの飛行機……、わたしたちが乗る予定の……」

「そうね……、めっちゃ燃えてるわね……」


 炎上、している……?

 機材トラブルでなければ、意図的なもの……。


 テロリストならまだ良い方だ。

 シンデレラ・オーバー現象だとしたら厄介。


 悪魔――、たとえばグザファンだとしたら――最悪だ。


 そう。


 記憶を失い姿を変えたが、それでも館八馬・アシッド・レイ、本人との再会だからだ。


「自腹でいいわ、便を変えましょう」

「え、それは、いいですけど……そもそも先輩の自家用ヘリで向かえば――」

「辺境の地にいくならまだしも、あれだと目立って仕方ないわよ」


 これから任務で暗殺にいくと言うのに、存在を晒してどうする。

 さすがに搭乗者までは、外から見えないとは言え、他国の『裏に通じる組織』がチェックしているのは言わずもがなだ――、できるだけ足跡そくせきは残したくない。


 一般の便でいくのが一番、比較すれば安全だ。

 比較的、というだけで、危険寄りの旅であることには間違いない……。


「でも先輩……もう遅いかもしれません」


 せつなの言う通りだった――目が合った。

 レイか、それとも、グザファンか。


 炎上する飛行機の機体の上からこちらを覗く女性が――、跳ねる。



 スーツケースを盾にし、なんとか直撃は免れたが、彼女の蹴りがイリエを襲う。

 吹き飛んだイリエの背中を、せつなが後ろから支えた。


「よく会うわねえ……って言えば懐かしいか? ガキども」

「グザファンか……ッ」


 少しだけホッとした。今更、レイと会ってなにを話せばいいのか――。

 記憶は失っているらしいが……、尚更、扱いに困る。

 あった方が、まだ会話が続けられる自信があったのだ。


「ちょうどいい、ちょっと遊んでいけよ」

「仕事の前にまた面倒なことを……ッ」

「準備運動だと思えばいいだろ――こっちは退屈してんだ」


 専用のアバターを手に入れた時から、グザファンは王国を出て好き勝手に遊んでいる。

 破壊に始まり、殺し、そして災害を引き起こす。


 戸惑う人間たちを見て楽しんでいるのだ。


 厄介な相手におもちゃを与えてしまった……、しかし。

 彼のおかげで他の悪魔が結託したのだ……、ただでは転んでやらない。


 世界が、そう主張しているように。


「せつな、手を貸しなさい!」

「はい!」


「ユキには届かないわ……でも、二人なら、対等に立てる!

 ユキの尻拭いをするのはアタシたちよ、誰にも渡すものかっっ!!」


 それは。

 ユキを追いかけ続けてきた二人の中にある、プライドだった。


 誰にも渡さない。

 この役目だけは、自分たちが全うする――ッ。


 ――

 ―


「……まだまだですね、二人とも」


 刃がイリエの心臓を一突きにする寸前で、ぴたりと止まる。

 彼女が刃を握り締め、勢いを殺したのだ。


 イリエとせつなの前に立つのは――、いつものように、彼女ユキだった。


「「ゆ――ユキ(先輩)!?」」


「はあ……私もまだ、完全には引退できそうにないですね」



 二人がいるから。


 ユキの溜息が、そう呟いていたのだった。

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暗殺少女の⇒冥土ゆき/悪魔の王国 渡貫とゐち @josho

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