第13話 メイド・ユキ

「こんな場所になんの用ですか?」


 穴だらけの高い外壁を抜け、廃墟――、その敷地内へ侵入した途端だった。


 カッ、とイリエの足下に突き刺さるナイフは、これ以上は進むなという警告だ。


 ……見覚えのある黒光りするナイフ。


 正確な投擲とうてき技術――、声の主は、



「ユキ……っ」



 久しぶりに見た仲間の姿に、驚いた。

 彼女はなぜか、メイド服を身に着けている。


 肩より少し長い黒髪は、彼女の日本人らしさを表していた。

(そう言えばせつなも日本人だった……、

 とことんユキに寄せているのがイリエの苛立ちを促進させる)


 レイにも負けない長身で、引き締まったスタイルだ。

 万能なユキは、体を使った誘惑で潜入任務も可能である……、さすがにモモのように、低年齢という需要には応えられないが……、

 あらためて、モモの見た目はユキにもできない高等技術なのだろう。


 ユキの唯一とも言える欠点か?

 ともかくだ。元々、建っていたのだろう建物が崩れたのか、瓦礫の山が点在している。

 全体的に高さはないため、見晴らしの良い景色ではある。その山の間を彼女が歩いてくる。


 イリエとせつなの目的の人物――、

 イリエは、ふう、と溜息を吐いてから、


「さっ、帰るわよ――アンタがいるべき場所はここじゃないんだから」


 どうしてこんな場所にいるのか、どうして辞めようと思ったのか、聞かなかった。


 聞いたからと言って、連れ戻さない、という選択肢はないのだから。


「アンタが怠けている間にも任務は溜まっていくのよ。ほら、手を引かなくちゃ帰れないほど子供じゃないでしょ? 任務なんてアンタとアタシがいればすぐに終わるのよ」


「わたしも――」

「アンタはいらない」


 横から入ってきたせつなの言葉を遮る。

 ぼこっ、と肩を殴られたが、今はそれよりも目の前のユキだ。


「ほら早く、帰るわよ」

「もう私は戻りません」


 ユキは真っすぐにイリエの目を見る……目を伏せない、逸らさない。

 そこには迷いがない、意見を覆さないという覚悟があった。


「私の居場所は、そこではなかったみたいです」


「ふざけないで。アンタほどの才能と実力があって、成果も出していて、それなのに居場所がここじゃない――ですって? 

 アンタで違うなら、誰もここが自分の居場所とは言えないわよ……。この世界でしか生きられない人もいる。アンタもそうでしょ!?」


 ユキの指先が動いた。見えないほど細いピアノ線で繋がれていた黒光りするナイフが、地面から抜け、ユキの手元に戻っていく。


 ぱしっ、と空中でナイフを逆手で受け止め、構える。


「暗殺に、私は向いていなかったみたいです……。全てを否定しているわけではありません、これまで培った技術は、今の職場でも充分に通用しますから。

 私は、結局、組織のために働き続ける覚悟がなかったのですね……、

 私は、機械じゃありませんから」


「そんなこと誰も言ってないわよ。機械じゃないのは当たり前でしょ、人間よアンタは」


「与えられた任務を黙々とこなす生活は、流れてくる家畜を殺すのとなにが違いますか。

 私でなくとも、人間でなくとも、機械に任せてしまえばできます。

 刃を振り下ろして肉を切ることになにも感じない……わけではないのですから」


 イリエからすれば、今更過ぎる、初歩中の初歩の悩みを告白されているようだった。


 暗殺者が、殺人に罪悪感を抱く?


 しかも、あのユキが?


「私は、みなさんが期待するような天才ではありませんから」


 イリエが投げたのは針だ。見えにくく防ぎにくい。その分、殺傷能力はほぼないと言っていいだろう、刺さったところで一滴の血が、ぷくうと膨らむようにできるだけだ。


 防ぐどころか避ける必要もないような、攻撃……、針だけを見れば、だが。


 毒を塗れば、殺傷能力の有無は刃の問題ではなくなる。たとえ毛穴ほどの傷口だろうとも、侵入さえできてしまえば、毒は体の内側から相手を破壊する。

 イリエの専売特許だ、その針が、フェイクを織り交ぜた投擲で、ユキに迫る――、


 脈絡なく飛んできた複数の針を、ユキは全て、指の間で挟んで受け止めた。


「……はっ、こんな芸当ができて、どこが天才じゃないですって?」

「誰でもできますよ、これくらい」


「アタシにはできないわ。レイにもモモにもね。

 モモとレイはアンタとほとんど同時期でしょ、それにずっと一緒だったんだから実力も知ってるはず……あの二人は弱い? そんなわけないわ。

 アンタにも、アタシにも及ばないけど、でも天才よ、あの二人もね」


「…………」


「天才であるあの二人にも、こんなことはできないわ。分かる? 

 天才にできないことができるアンタは、誰がどう見たって天才なのよ。

 ……天才てんさい過ぎて、もう天災てんさいって言われているくらいなんだから」


「迷惑をかけているみたいですね。天災……ですか」

「アンタが辞めるのは迷惑なのよ。だから天災、戻ってきなさい」


 ユキは、ふっと笑って、


「天災を利用していると、身を滅ぼしますよ?」



 ……ユキが笑った?


 いや、滅多に見せないだけで、いつもいつもクールな仕事人間だったわけではない。

 酔った勢いで甘えたり周りに乗せられて無理やりにテンションを高くしたこともあった。

 機械じゃない、と言われれば、そりゃそうだったと思えるくらいには、ユキは素を見せる。


 どこか壁があったのは事実だが、輪に混ざらない孤高の一匹狼ではなかった。


 だからせつなが徹底しようとしている(……できていないが)、無表情なクールなキャラは、実質、間違ってはいるのだが……せつなが慕う先生が、ユキのそういう一面を知らなかったとすれば、納得だ。

 ユキは仲間内でしかそういう顔を見せない。

 仕事の時はせつなが真似するように、無表情でクールな、ストイックな性格なのだから。


 ユキは笑うことがある。ただ、それを無理やりに引き出された場合の方が多い。

 自発的に、無邪気に笑ったところは、確かに、見なかった気がする……。


 なのに、今、彼女が見せた微笑みは、自発的に出た素の笑みだった。


 天才を天災と言い換えたことが面白かったのか、それとも自分で言った、天災を利用した者には罰が当たるという発想に思わず噴いてしまったのか――。


「……尚更、組織はアンタを手放したくないでしょ。

 アンタみたいな天災が他の組織の手に渡ったら、アタシたちには打つ手がないのだから」


「他の組織に入るつもりはありませんよ。表社会にも、裏舞台にも、これから先、立つことはないでしょう……、少し早いですが、隠居のようなものでしょうか」


「……ここが? アンタの新しい居場所なのね?」


「はい。詮索はしないでください。お引き取り願いますか? イリエ――」


「……嫌だと言ったら?」


 イリエが口の端を吊り上げる。

 ユキが目を細め、はぁ、と溜息を吐いた。


「力づくで、追い出します」

「そういう発想が出るあたり、まだこっち側ね、ユキ」


 そんな二人の対立に戸惑うのが、蚊帳の外だったせつなだった。


「え、え……。ユキ様と、戦う……?」


「準備しなさい。あの子を連れ帰るために、手足を折ることも致し方ないわ」

「む、無理ですっ、できませんよそんなこと!」


 自分の設定も忘れて、せつなが声を荒げた。


「できるできないじゃねえっての。やるのよ――早く!!」


 せつなが言っている『できる』『できない』は、ユキが憧れの相手だから、身内だから、というレベルのことではなく、可能か不可能かの話なのだが……、

 どちらにせよ、できなくてもやるのだ。


 勝ち目のない勝負に、無謀にも挑んでいるわけではない、以前までのユキを相手にしたなら、そもそも挑もうという気すら起きない差が実感できるのだが、今の彼女を目の前にしたら、もしかしたら……と思ってしまう。

 思わせてくれるほどには、ユキから出てくるプレッシャーが減っているのだろう。


『勝てない』が『勝てるかもしれない』に下がった変化は、大きい。


 それでも勝算はないようなものだが、戦いながら突破口を見つけるしかない。


 もしも見つけられなくとも、この戦いでユキが『暗殺者』として失ったなにかを取り戻してくれたなら――取り戻さなくとも、きっかけになったのであれば、充分だ。



 無駄死にでなければ、意味はある。

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