第14話 城の主・ルイ

 違和感にいち早く気づいたのは、イリエだ。


 せつなはユキを、まだデータ越しでしか見たことがない。

 実際に触れ合った時間は皆無だった。

 そのため、多少のデータとのずれがあっても、誤差として処理してしまうだろう。


 しかしイリエは何年も共に任務をこなしてきたのだ、調子が悪いかどうかくらいなら、彼女の動き方で分かってしまう。


 ブランクがあったから? いや、そういうレベルではない。

 データ上では誤差かもしれないが、ずっと天災を見てきたイリエとしては、脅威の度合が天と地ほどの差がある――。


 ユキの動きを追えて、動作に対処できる――できてしまっている。


 それが既に異常なのだ。


 自分が成長したとは、とてもじゃないが思えない。

 自分よりも、ユキが下がったとしか……。


「なめてるの?」


 呟いてから、ユキが手加減をしているわけではないと気づく。

 これがユキの全力だ。今の彼女の状態からすれば、これでも規格外と言えるのだが――、


「アンタ、まさか……」


 軽く動いただけでユキの頬が赤くなっていた。

 息遣いも荒い。足取りもおぼつかない。

 運動神経に自信があるわけではないイリエよりも、動きが鈍重だった。


 イリエの予想は信じ難いものだった。

 出会ってから一度も体調を崩したことなどなかったあのユキが……。

 意識散漫なのも頷ける。今の彼女は、ブランクがあったから、という意味での不調ではなく、人としての単純な不調だった――体調不良。


 バカでなくとも備えていれば風邪は引かない。


 ユキは徹底して体調管理をしていたが、その牙城が崩れていたのだ。


 ぐらり、と彼女の重心が乱れた瞬間に、

 隙を窺っていたせつなの回し蹴りが彼女の脇腹に食い込んだ。


「ぐっ――」

「あ……」


 せつな自身が一番驚いていた……まさか当たるとは、本人も思っていなかったのだ。


 ましてや、ユキの意識を奪うとどめの一撃になるだなんて……。


 地面を転がり、瓦礫の山に突っ込むユキは、頬を赤くしながらも顔色は真っ青だ。

 黒髪が額や頬に張り付く、見ている側からでも分かる、嫌な汗がじわりと出ている。


 さっきよりもさらに呼吸が荒い。胸と肩が激しく上下している。


 イリエは思わず駆け寄っていた。


「……やっぱり……熱があるわね」


 額に手を当てる。動くどころか立ち上がることさえ困難なほどの高熱だ。

 イリエの毒ではない……、毒に最も警戒していたユキは、イリエの毒針を全て回避していた。

 

 だから毒ではなく、彼女自身が内側に持っていたウイルスだろう……、

 暗殺者を辞めて気が緩んだところに侵入されたのかもしれない。


「せ、先輩……わたし、こんなつもりじゃ……」


「蹴っておいて動揺してんじゃないわよ。

 まあ、まさか当たると思わなかったって気持ちは分からないでもないけど……」


 イリエだって、せつなの回し蹴りは回避されると思っていた。

 ユキの動きに違和感はあったが、イリエでも気づいた蹴りに、ユキが気づけないとは思わなかったのだ。


 幸い、せつなの蹴りはどうせ当たらないと思っていたからこそ、全力で振り抜いたわけではなかったが……、手加減した一撃だったのだ。

 それでも喰らったユキは意識を失った……、それが一番の問題だった。


「ユキがここまで疲弊してるなんて……」

「ユキ様でも苦戦するような『なにか』が、ここにある、のかもしれません」


 都市部から離れた辺境の地。

 政府もさじを投げた問題がある土地がここ――、廃墟なのだ。


 そこにユキが送り込まれた理由を思い出せ。

 暗殺者でいる方がマシだった、と思えるほどの過酷な場所か……、


 もしくはユキでなければ解決できないほどの問題が、この廃墟にある、ということなのか……。


 どちらにせよ、ユキが疲弊する問題にイリエたちが対応できるはずもない。


 問題に首を突っ込む(突っ込まざるを得なくなる)前に、疲弊したユキだけを素早く連れ帰るべきだろう。意識がないユキなら、説得の手間は省ける。

 人一人を持って森を横断するのは正直きついが、ユキを説得する手間よりはまだマシだ。


「レイ先輩たちはどうしますか」

「放っておくわ。最優先はユキよ」


 意識を失った人間は重い。

 イリエが背負おうとするが持ち上がらず、ユキの足を地面に引きずる形になってしまう。


 レイがいれば……身の丈以上の斧を持っている彼女なら、ユキを背負うくらい簡単にできてしまうだろう。……なぜか今回は自慢の斧を持ってきてはいなかったようだが……。

 毎回、持ち運びに苦労するのをよく見ている。現場で調達することにしたのか?


「んっ……ッ」


 そして忘れてはならない。イリエも怪我人だ。

 ユキを見つけ、ユキを目の前にしてアドレナリンが出ているのか、しばらく痛みを忘れていたが、ユキからのプレッシャーがなくなった途端、全身の痛みがイリエを襲ったのだ。


 みしみしと体の内側から悲鳴があがる。

 それでも無理やり力を入れてユキを持ち上げようとした時、ふっと軽くなった――、

 イリエの両足が浮いている……ユキも一緒に、だ。


 ユキを背負うイリエを、せつなが両手で持ち上げていた。


「アンタ、どこにそんな力が……」

「ユキ様を想定した筋力です」


 ユキにも驚かされるが、それに合わせたせつなも同じだ。

 ただ鍛えただけでは、その細腕ではここまでの力は出ないだろう……。

 つまり、非合法な肉体改造か。


「先生は、肉体のリミッターをはずしている、と言っていましたが」

「それ、確実に体に負担があるでしょ……」


「痛みを感じませんので問題はありません」


 気持ち的にはそうかもしれないが、体はいずれ壊れるだろう。


 使い捨ての試験体だからこそできること……と思ったが、レイもユキも同じような仕組みで今の腕力を出せているのであれば、いつ壊れてもおかしくはない、ということか?


 問題ない? ……大ありだ。


「じっとしていてください。このまま森を抜けますから」


 高くなった目線。ライオンの頭の上に乗る兎の気分だった……、

 狭まっていた視界が、安全を手に入れたことで一気に広がった。

 すると、見えてくるものがある。


 せつなの背中に突撃しようとしてくる、小さな人影だ。


「ちょっ、後ろよ、せつなッ!!」


 咄嗟だったので思わず名前が出てしまったが、そこには誰も、本人さえも触れず。

 せつなが振り返るよりも前に、どんっ、と人影がせつなの背中に突撃した。


 じわり、と背中一面が赤く染め上がりそうな状況だったが、突撃してきた小さな少年は当然ながら手に握りしめているものはなにもなく、言うならば、いかないで、と懇願するように、せつなに抱き着いただけだった。


「はい?」


 せつなが動揺する。小さくとも気配はあったはずだが、ユキ並みのアンテナを張っていたはずのせつなが、近づく異物を見逃した。

 それに動揺した、よりも、せつなに急接近しておきながら抱き着いた彼には、殺意はおろか敵意がなかった――、せつなが動揺したとすればそこだった。

 ……敵意がなければ、どうして近づいてきたのか。


 せつなが置かれたこれまでの環境から、導き出される答えはなかった。


「ユキを――返せ」


 小さな少年が言う。

 年齢は、十、十一歳くらいだろうか。


 紳士然とした金髪と服装、どこかの御曹司だろうか。

 しかしこんな辺境の地にいることがもうおかしい。

 イリエたちを欺くための演技だろうか……、

 だとしたら、せつなに抱き着いただけで大金星だ。


「返せって、どういうことよ……ユキは、アンタのものじゃないわ」


 少年のセリフに反応したのはイリエだった。

 聞き捨てならない。まるで、こっちがユキを奪ったような物言いだ。

 奪ったのはそっちだろ、と大人げなく睨みつける。


「ボクのだよ」


 少年はイリエに怯むことなく、


「ユキは、ボクに雇われたメイドなんだから!!」



 少年の名は、ルイと言う。


 彼には聞きたいことや言いたいことが山ほどあった。

 しかしここで言い合いをしている時間はない。

 今も高熱を出して苦しんでいるユキがいるのだ。


 彼とは休戦協定を結んでいる。


「こっちだよ。城があるんだ、ユキの部屋もきちんとあるよ――」


 森を抜けるよりも、ユキの体調が回復するまではベッドで安静にさせたほうがいい。

 すぐに連れ帰りたいイリエも、さすがに彼の提案を蹴ってまでは我を貫かなかった。


 道中、まだ瓦礫の山にはなっていない建物も増えてきていた。

 一部が欠けただけの家や店なのかもしれない。

 さすがに経年劣化は、どの建物も避けられてはいないが。


 一、二年の劣化ではない。もっと昔……十年、二十年前?


 それから辿り着いた場所は、どこが城なんだと言いたいくらいの崩れた建造物だった。

 外壁の壁と同じだ。穴だらけで、どこかの柱を軽く小突いただけで傾いてしまいそうな状況だった。建築家も真っ青な、ギリギリで成り立っているバランスに思える。


 こんな場所にユキを寝かせておく? ここではイリエたちが心休まらない。


 城の内部は、外ほどボロボロではなかった。

 廊下に敷かれた赤い絨毯は破けているものの、色は濃く当時に近いように思えた。


 明かりはないが、日中は日の光を取り込んで内部も照らされている。

 夜は夜で月明かりが照らしてくれるだろう……天井の意味がないほど崩れているのだから。


 基本的に雨風は凌げないが、一部、綺麗な部屋がある。

 彼、ルイとユキは、そういう部屋を選んで利用していた。


 案内されたユキの部屋は殺風景だった。

 ぽつんとベッドが置いてあるだけだ。

 ユキが模様替えをしたのではなく、元々こういう部屋だったらしい。


「お父さんの仮眠部屋だったから」


 ならそのベッドも知らない男が使っていたものか……。潔癖症でもないイリエが嫌悪感を示したのは、ユキをそんな場所に寝かせることを想像したからだ。


「シーツは洗濯してると思うから大丈夫だよ。お父さん、潔癖症だったからね」


 自分の寝汗にも嫌悪感を見せる父親だったようだ。使い終わればシーツだけでなくベッドのフレームを含めて綺麗にする……のであれば、ユキを寝かせても彼女の匂いしかついていないことになる。……経年劣化については触れなかった。


 劣化していても誰も使っていなければ新品と変わらない、イリエの判断だった。


 せつながユキをベッドに寝かせる。悪夢にうなされているような、胸を上下させる荒い呼吸は変わらない。さっきよりも悪化しているかも……? 

 ベッドに横にさせたことで、だいぶマシにはなるだろうが……、


 イリエの手には毒があるが、薬はない。


 敵を殺す手段はあっても、仲間を助ける手段は用意していなかった。


「タオルを濡らして……まずは水ね」


 ないものねだりをしても仕方ない。できることをやるだけだ。

 手持ちの小さなタオルを取り出し、水場を探すが……、気づく。


 水道が通っている感じではない。

 道中で見た水汲み場(?)は枯れていた。



「ねえ、水はどこ?」

「森の中に湖があるよ、ボクも水を汲んでおきたいし、一緒にいこう」

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