第5話 炎の世界
曖昧なシルエットだ、実際は、逃げ遅れた大人かもしれないが……、
影は一つではない。もう一つは、その子供を追いかけるように後をついていく、巨大な物体――生き物? 羽があり、気味悪く動く、足の数々。まるで昆虫のようだった。
その巨大なシルエットが、小さな子供のシルエットと重なり――、
巨大な方が、小さい方に吸収されたように見えた。
見間違いという可能性は大いにある。
それに、炎が映し出したものだ、たまたま、別のものがそう見えただけかもしれない……。
「確認だけでも、しておくべきでは?」
せつなも同じ像を見て、同じことを思ったらしい。
炎の中の、影の正体を追い詰める必要はない。ただ確認するだけ――、
それだけならば、まだできるだろう。
暗殺者としての、本能が鳴らす警鐘を無視する勇気はない。
経験上、得体の知れない存在に首を突っ込むと、冗談抜きで死んでもおかしくないのだ――、
かと言って、見たあれを、見なかったことにするには、手離すにしては惜しい手がかりになるのではないか、と思う。
ユキへ繋がる情報が、炎の中にある。
「分かってるわよ……っ。地下から潜り込むわ。耐熱スーツは持ってきていないし、炎の壁を突っ切るのは、自殺行為だからなしよ。
心配じゃないから、勘違いするな? アンタのことは、『使える』と思っているから、ここで失うのは惜しいだけよ」
あくまでも効率的な動きを自動でしてくれる道具として。
せつなも、その評価には満更でもないようで、
「死ぬな、と命令されれば、死なないようにします」
「言われなきゃできないわけ……? あと微笑むな、気持ち悪い」
せつなはいま気づいたように、唇を引き結ぶ。どうやら自覚がなかったようだ。
「効率重視で、わたしが死んだ方が良ければ、死にます。それだけのことです」
臨機応変に自害できる、というわけだ。
死が、効率良く目的を達成できる状況は、ないわけではないのだ……、
封印するには惜しい才能ではある。
「……少なくとも、この状況での自害は許さないから」
「はい、先輩」
そして二人は、事前に下調べしておいた地下から、炎の中へ潜入する。
浮き上がるマンホールがあった。
蓋を横にずらし、円形の穴から、ぴょん、と顔を出したのは、せつなだ。
「炎の中です、異常はありません」
「炎の中なら、異常の渦中なんだけどね」
熱いどころじゃない環境だ。
ハンカチを口に当ててどうにかなる段階はとうに超えている。
イリエは持っていたマスクで、小型ボンベから酸素を吸う。
毒使いとしては反則にも感じるが、必須アイテムだ。
毒使いに毒は効かない……、先入観は全てには当てはまらない。
種類によるのだ、マスクはないよりはあった方がいい。
「アンタ、呼吸は――」
「問題ありません」
言いながらも足下はふらふらだ。せつなの意識が明滅を繰り返している。
せっかく吸った酸素をもったいないと感じながらも、大きな溜息を吐いた。
一つしかない予備のマスクを、せつなの口元に押し当てる。
小型の酸素ボンベを繋げ、
「精神に肉体が追いついていないってことね。
こいつの大丈夫は、ほぼ大丈夫じゃないと判断しておいた方がいいか――」
イリエがせつなの背中を叩き、先を促した。
イリエとせつなが見たシルエットの正体は未だ見つからない。
一度、地下に潜ったことでただでさえ見つけにくい相手を、さらに見つけにくくしてしまったようだ……、まあ、正体を掴めなくともいい、
火災の原因を突き止めれば、おのずと正体も分かるはずだ。
「炎でまったく先が見え――」
あいたっ!? とイリエが声を漏らしたのは、よそ見をしていたせいで目の前に障害物があったのを見落としたからだった。
ぶつかったのは、壁にしては柔らかい……、壁ではなかったのだ。
先導していたせつなが、立ち止まっていた。
「なに、急に止まるんじゃ」
「います」
いる? シルエットの正体か?
「いえ、さっき見たのとは……違います。
人、ですが、逃げ遅れた一般人ではないと思います。
それに、気配が二つあるのが、不可解です……?」
気配に関して、イリエは首を捻ることしかできなかった。
「隠れているもう一人がいるんじゃないの?」
「だったらいいですが……、それだったらわたしが分かります」
分からないから不可解なんです、とは言わなかったが、言わんとしていることはしっかりとイリエには伝わっている。考えたら分かるだろ、という感じがひしひしと。
「相変わらず生意気なやつ……っ」
「動きがありましたね、接触しますか?」
向こうも、近づくイリエとせつなに気づいたようだ。
「相手はどんな状況?」
「炎が」
そこでせつなの言葉が途切れた。
彼女の全身が、炎に包まれたからだ。
「――え、はぁっっ!?」
炎の渦中にいるとは言え、
炎に囲まれていても直接、体に炎が燃え移っているわけではない状況だった。
炎の中にいながらも安全地帯。だったにもかかわらず、だ。
周囲の炎が自然現象とは思えない生きた動きをし、蛇が獲物を丸飲みするように、炎がせつなを喰らった、としか言いようがない一部始終だった。
飛び散った炎がイリエの皮膚を焦がす。
咄嗟にせつなから距離を取るが、全方位に炎がある状況で逃げ場などあるはずもない。
……炎が、意思を持って動いている? それとも炎を意図的に動かしている誰かがいる……?
さっき見たシルエットの仕業か、もしくは目の前、炎の向こう側にいる気配か……。
「……曲芸かしら……いや、もしかしてこれが噂の……?」
暗殺業界で度々、耳にする噂。
聞く機会が多いが、イリエ自身、体験したことがないためにいまいち実感がなかった現象だが、炎が自発的に動いているにしろ、操作している誰かがいるにしろだ……、あり得ない。
炎を操ると言って、口から吹く程度ならまだ分かるが、せつなを包み込んだあれは、理屈がつかない。ネタのタネが存在しないのではないか――。
「ちょっ、アンタ!?」
せつなが火だるまの状態で駆け出した。
炎を纏っていれば炎の壁を突き破ることができる――できるというか、もう関係ない、というだけだろう。
炎を突き破り、晴れた視界の先にいた男に、せつなの飛び蹴りが衝突する。
衝撃が男の腹部を射抜く。
後ろに吹き飛んだ男が建物の壁に激突し、ずるずると地面に落下した。
すると、せつなを包んでいた炎の火力が弱まり、やがて滴るように落ちていく。
足下に溜まった炎は地面に吸収され――視界から消え、なくなっていた。
無事に炎からは逃れられたが、短時間とは言え、炎に包まれていたことは事実だ。
せつなは全身火傷を負っている。
だが、彼女は表情を一切変えず、蹴り飛ばした男から目を離さない。
「アンタっ、体っ、大丈夫なの!?」
「はい、問題ありません。そんなことよりも、あの男です」
問題ないは、問題ありだと判断するべきだが、
今のせつなは本当にそれどころではないと言いたいようだ。
敵を目の前にして怪我を気にしている場合ではない。
炎の渦中にいるのだ、火傷の一つや二つ、気にし出したらきりがない。
今更の話だろう。
イリエはぐうの音もでず、今回ばかりはせつなの言う通りだった。
男……、炎を操っていたのは、間違いない。
彼が吹き飛ばされたことにより、せつなを包んでいた炎が消えたのだ、
ここに因果関係がない、とは考えづらい。
「あの男が元凶ってことね」
「はい。ですが、あの男は、二人いるようです」
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