第20話 天災が持つ病気
バキバキに折れた骨、ぐちゃぐちゃに丸めた紙ゴミのようになっていたかつて人の形を保っていた体。肉の塊。さらに形を変え、四本の足と翼をつけ、犬の顔に整えた化物。
ユキはその化物を、グラシャ・ラボラスと言った――そして、『悪魔』とも。
イリエはもちろん、気にはしたものの、それ以上に興味を引くものが目の前にあれば、すっかりと忘れてしまうものだ。
ルイの体が時間が巻き戻ったように元通りになってベッドの上で眠っていても、一切、話題に出さない。
それよりも先に、万全とは言い難いが、それでも体調不良から回復したユキのことだ。
「さあ、帰るわよ」
「……あなたもしつこいですね」
さっきまでとは逆に、ルイの看病をするユキ。メイド姿なのでしっくりくる。
だが、イリエからすればメイド服なんてユキには似合わない。
いや、スタイルも良いし似合ってはいるのだが、暗殺者のユキに似合う服はもっと別にある。
「看病しなくても、そいつはすぐに回復するでしょ。
シンデレラ・オーバー現象の……能力者なんでしょ?」
加えて、ユキがメイドとして働かなくとも、ルイの保護者らしき者はいるはず……、というイリエの推測だ。ルイの皮を被っていたルイではない別の誰か。
たとえ別人格だろうと、保護者と、言えなくもない……。
穴だらけだが、イリエが持つ最大の説得材料だ。
「何度も言わせないでください。私はもう、組織には戻りません」
「……笑えないわよ、そんな冗談……っ」
「それはそうでしょう、冗談ではありませんから」
すると、眠っていたルイが悪夢にうなされているように寝返りを打つ。
額に乗せていた濡れタオルが地面に落ちてしまう。
ユキがそれを拾おうと、手を伸ばした時だ。
ユキの手を、イリエが掴んだ。
「……離してください。ルイ様をこれ以上、苦しませたくありませんから」
「アタシたちよりも、そいつが大事なの?」
面倒くさい言葉だとイリエも自覚していたが、吐き出したら止まらなかった。
「アタシたちとの繋がりよりも、その子供を選ぶって……ッ」
「――私はもう、別の誰かを殺せないのですよ」
その告白は、別のなにかを隠すための方便にも思えたが、
だからと言って咄嗟に作った理由にも思えなかった。
イリエにも、思い当たる節はある。
不調とは言え、ユキの動きには違和感があった。
身のこなしや武器の扱いは、以前のようなキレがある。
にもかかわらず、攻撃が当たらない――相手の回避力がユキを上回っている、とも解釈できるが、だからこそもう一つの解釈ができるのだ。
ユキが攻撃を当てる瞬間に、引いている。
肉を斬ることに、躊躇うように。
刃が肉に触れる寸前に起きる急停止。
相手はそれを察知し、避けたのであれば。
万全に近いユキの攻撃が一度も当たらなかったことにも納得がいく。
攻撃が当たらずとも、ユキの防御面には不安がなく、
攻撃をしない分、防御に意識を割けたのだろう。
化物を相手に逃げ回り、殺すのではなく拘束することで戦いに終止符を打った。
もしも攻撃の意識をしていたら、守れない一人や二人、いたかもしれない。
そう考えると、一人も死者を出すことなく、こうして一段落できているのは、ユキが殺しに躊躇ったおかげなのかもしれないが……。
しかしそれは、暗殺というトップを独走する、天才ならぬ天災の喪失と言えた。
ユキ・シラヌイのアイデンティティの崩壊。
イリエ・ダ・ヴィンチが信じる成功者の脱落だ。
…………認めない。認めてしまったら、それが本当になってしまう。
だからイリエは無理やりにでも引っ張り上げるのだ。
「アンタは殺せる。やればできる、これまでもそうだったでしょ?」
「これまでは、ですね。ですがもう無理です。
私にとって、暗殺どころか、殺しが……、
今ではもう不可能なことになってしまいましたから……」
「そんなの、ただの不調でしょ。よくあるじゃない、今まで当然のようにできていたことが急にできなくなっていたこと。
一日二日経てば勝手に戻るわよ、そんなに重く考えなくてもいいことなんじゃない?」
「そう思えたら良かったですね。その楽観的な考え方も……、私はいりませんが」
ユキから強くはないが、毒が出た。
強くはないが、それでも毒は毒だ。
イリエを相手に毒を使うなんて。毒使いとしては黙っていられなかったが、相手がユキでなければの話だった。ユキならこれくらいの毒は、お小言である。
「今さっきのことではありませんから。できるかどうかで言えば、できると思いますよ。
機械的に、ただ命令に従って刃を振るえば人は殺せます」
「そうよ。当たり前のことじゃない。だったら……」
「私は機械ではありません。周りから恐れ多くも呼ばれているように、天才……、
天災だったとしても、私自身は人を殺してなんとも思わない機械ではないのですよ」
イリエにとっては、盲点と言える内容だった。
暗殺者が人を殺す罪悪感を持つ、というケースはなくもないが、それがまさか、ユキにもあったなんて……と。彼女レベルの天災が今更、罪悪感に苦しんでいるとは思い至らなかったのだ。
「だとしても、一日二日……でも無理なら、一週間や一ヵ月経てば気にならなくなるわよ。
最初こそそうだったでしょ? 一人目の暗殺の時は、吐くほど苦しんだんじゃないの?」
イリエには分からない。最初から人を殺すことを、美徳だと学んでいたからだ。
両親が平然とやっていることに、非人道的な疑問など抱かなかった。
イリエが異端だ。
普通は、ユキも含め一般の世界から訳あって落ちてきた暗殺者が多い――、
それがオーソドックスだ。
仕事にしていながらも、殺しがいけないことくらい、人間社会を生きていれば当然のように学ぶことだ。その常識を押し殺し、業界トップを取ったユキもまた、イリエと同じく異端と言えた――罪悪感なんて犬に食わせた。
もしも罪悪感を抱いたままトップを走り続けていたのだとしたら……、
才能だけじゃない、精神力もまた、飛び抜けている。
「二年です」
「え?」
「二年前から、私は人を殺す罪悪感で苦しんでいました」
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