-001- アンノウン・マーカー

第2話 生粋の暗殺者

 せつなは太陽を見ていた。

 見上げているわけではない。正面を向くと、自然と太陽が視線の先にいるのだ。

 嘲笑っているようにも感じる……、上から覗き込み、大口を叩いたわりに大したことがないな、と評価を下されているような気がして……。


「劣化版ね」


 長針から滴る液体を、ぴっ、と飛ばしながら、イリエが言った。

 肩までかかる銀髪、切れ長の目は、懐かない猫をイメージさせる。

 色白で透明感のある肌は、昼夜逆転生活をしているからか。

 せつなも含め、暗殺者は色白が多い。


 本来、今のように日中に動くことは少ない。ポテンシャルも充分に引き出せるはずもなく……いや、それは言い訳か、とせつなは否定した。

 たとえ真夜中の暗殺時間だったとしても、イリエには勝てなかっただろう。


 体力も、体術も、せつなの方が上だった。

 肉弾戦が得意ではないから、毒物やトラップ系統の道具に、イリエは頼っている。

 にもかかわらず、なぜかせつなの動きが全て、イリエに見破られていた。


 先読みされているため、せつながいくら速くとも関係ない。

 せつなが動いた場所に、もう既に、イリエもしくは罠が仕掛けられている……、


 暗殺者として古株であるイリエの経験則に基づく未来視か。


「そんな大げさなものじゃないわよ。アンタの動きが分かりやすいだけ」


 分かりやすい? ……そんなはずはない。

 せつなの動きは暗殺成績【第一位】の不知火しらぬいユキをそっくりそのまま真似たものだ。猪突猛進スタイルではないはず……、どちらかと言えば読みにくい動きのはずだ。


「だから、それが分かりやすいって言ってんのよ」


 ――劣化版、とイリエは言っていた。


 相手がユキ本人であれば、イリエに勝ち目はなかっただろう。

 動き方は何度も見ているので分かっているが、実際に対処するとなると話は別だった。

 それが、せつなの場合、全ての動きのクオリティが二つも三つも下がっている。先読みしている分、肉弾戦を不得意としているイリエでも、対処できる。


「それに、分かりやすくこうも滴る液体だけが毒だと思うわけ?」


 毒。種類は液体に限らず、目に見えない気体も存在する。

 イリエがマスクをはめていなかったから、警戒する必要もない――わけがない。

 毒使いが自分の毒に侵されるケースはまったくないわけではないが、それでも少ないだろう。


 まず前提として、自身が扱う毒への耐性はあると見るべきだ。

 抗体、それがなければ解毒薬を持っているはず。

 マスクをしないから毒ガスはないと判断するのは早計だった。


 せつなの場合、見たまま液体だけだと判断してしまっただけだが。

 言われて初めて、毒ガスの存在に思い至った。


「そんなミス、ユキがすると思う?」

「…………ッ」


 しない、するわけがない。

 ユキでなくとも、ある程度の訓練を受けた暗殺者であれば、教科書通りに分かる初歩的なもののはずなのだ。


 なぜ間違えた? ユキの高度な動きを真似することに集中をし過ぎて、初歩中の初歩を忘れていたのかもしれない。そうでないと、説明ができない――こんな失敗。


 こんなミス、訓練中に一度もしたことがなかったのに。


「学校と、現場の違いよね」


 訓練でできていたことがいざ現場に入るとできなくなる……特別、珍しいことでもない。


 ミスをしても命にはかかわらない訓練中は、緊迫感は薄まってしまう。

 余裕が生まれると、学んだことを活かそうと冷静さと体の動きが同調するのだが、現場は一つのミスで死に直結するのだ、余裕などあるはずもない。

 冷静に学んだことをいちいち実践するくらいなら、反射的に出た行動で突っ走った方が、生存確率がぐんと上がる。

 思考に没頭し過ぎて行動を起こす前に返り討ちに遭った、では、本末転倒だ。


「ま、アタシは学校なんかいかなかったけどね。

 最初から天才的な実力でのし上がっていったわ……、ランキングもそこそこ上位だったし。

 初めて人を殺したのは……確か、四歳の頃だったかしら」


 暗殺者と暗殺者から生まれた生粋の暗殺者。


 恵まれた環境、と言っていいものか。

 イリエからすれば、アドバンテージだったとは感じているらしいが。


「子供の吸収力ですぐにアタシは即戦力になったわ。

 成績も、一位を死守したことも、何度もある……、

 まあ、あの子がくるまでは、だけどね――」


 イリエを一位の座から引きずり落とした相手とは、言わずとも、もう分かるだろう。


「ああいうのを、天才って言うのよ」


 これまで自分が天才だと思っていたイリエは、雷に打たれたような衝撃だったらしい。

 ユキが天才なら自分は凡才でしかないと。見下していた大多数と同じなのだ――と。


「アンタは凡才ですらない。才能ないわよ、さっさと辞めれば?」


 倒れるせつなの返事も待たず(毒のせいで全身が麻痺しており、言葉の一つも発声させることができないのだ)、イリエが背を向けて歩き出す。


 遠ざかっていく背中。

 伸ばしても届かない手は――気づけばイリエの腕を掴んでいた。


「……は? アン、タ……毒は……?」

「抗体、を、作ったんだと思います……」

「作っ、た……? この短時間で!?」


 気づけば、せつなの全身から出ていた汗が引いていた。

 完全に毒が消えたわけではないものの、イリエを引き止められるくらいには回復した。


「……で? やるの? 一種類の毒に耐性ができたからと言って、アタシの底が見えたと思っているなら同じ目に遭うわよ?」


 毒使いが一種類の毒しか持ち運んでいない、なんて準備不足だろう。

 間違いなく、二種類以上……、いや、もっと手持ちにあってもおかしくはない。


 イリエを引き止めて、再戦をするにしても、せつなはまだ、大きなハンデを背負ったままだ。

 イリエの手札もまだある。対してせつなは、出していない手札もあるにはあるが、恐らく、これまでを読んだイリエからすれば、想像の範囲内のはず。


 せつなの動きも、また対応されて終わりだ。

 勝てない……、今はまだ。


「……認め、ます、わたしは、先輩よりも、弱いです……」


 ユキの代理など、務まるはずもない。


「あっそう。じゃあ、アタシの目の前からすぐに消えてくれる?」


 勝者からの命令に、しかしせつなは、掴む手にいっそう力を込めて否定した。


「――いいえ。先輩は、危険です。ユキ様への異常な執着……、信頼関係ではなく、もう信仰です。そんな危険人物に、ユキ様を追わせて、接触させるわけにはいきません。

 もしも接触するのであれば、わたしが隣にいなければ――」


 不安で仕方ありません、と。


「気になっていたんだけど、アンタはどうしてあの子をユキ『様』って呼ぶわけ?」

「わたしにとっては、母のような、ものです」

「母……?」


 イリエが訝しむ。考えてみたが、どうやら答えに辿り着けないと察したのか、はあ、と大きな溜息を吐いてから、せつなの首元に長針を突き刺した。


「別の毒よ。これでアンタの意識を奪う。まあ、死にはしないわ。

 一日、二日、気絶するだけよ……、

 二度とアタシの前に姿を見せるな、アンタの顔なんか見たくもない」


「せん、ぱ……」

「アタシはアンタの先輩でもないのよ」


 そうして、せつなの意識が奪われ――、



 目が覚めた瞬間に起き上がり、追跡を開始する。

 毒を注入され、抗体を作るまで、僅か一分半。


 一度、学習してしまえば理解は早く、抗体の作り方も体が覚えたようだ。

 毒の種類が増えれば増えるほど、抗体を作る速度も早くなっていくのだろう。


「先輩は」


 屋上から見下ろすと、勝手知る道なのか、大通りを避けて路地裏を歩く銀髪が見えた。


 マントを羽織り、フードを被ってしまえば、闇に紛れて分からくなってしまう。


 一瞬でも暗殺者を見逃せば、再び見つけることは困難だ。

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