暗殺少女の⇒冥土ゆき/悪魔の王国

渡貫とゐち

-000- エイジ・アライズ

第1話 古株と新人

「――ユキが辞めた!? アンタは、それをなんで止めないのよッ!?」


 社長室のような部屋に怒声が響く。

 部屋の真ん中にどんと置かれたデスクがあった。


 乱暴に扉を開けて入ってきた、本来なら学生である少女が言い放った言葉が、これだ。

 彼女の言葉遣いは上司に向けるものではなかったが、今更の話でもある。


 本人は当たり前、周りも、彼女の言葉遣いを指摘することもない。


 生まれた時から暗殺請負組織に所属し、その世界こそが彼女の中の『当たり前』となっているほどに、彼女は古株と言える。


 役職こそ上司と部下の関係性だが、業界歴で言えば=年齢である少女――イリエ・ダ・ヴィンチからすれば、小太りで頭のてっぺんがハゲかけた上司も後輩という認識だった。


 彼女からすれば、言葉遣いに疑問など持っていない。


「……止めたさ、止めた! 俺だって、辞めさせたくないに決まっているだろう!!」

「じゃあ、なんでいかせるのよ! バカじゃないの!? 首輪でもつけておけば」

「できると思うか!? あいつの実力を、お前はよく知っているだろう!?」


 イリエと目線を合わせるように、椅子から立ち上がる上司。

 机に両手を、ばんっ、と叩きつけるほどに、両者とも余裕がない様子だった。


「組織内成績、第一位だぞ……っ、全てに万能でどんな仕事を振っても九十九パーセントの達成率で完了してくる稼ぎ頭だ。そんなあいつが、どうして急に辞表を出してきたのか分からないが……、こっちだって、てんやわんやだ! 

 どうすればあいつを引き止められるのか……クソッ、あいつが抜けた損失はでかいぞ!!」


 どんな無茶ぶりにも対応し、完遂してくる……、

 そんな実績と信頼を持つ、組織が抱える自慢の最優秀『暗殺少女』が、いたのだが……。


「……ユキは、どこにいるわけ?」

「さあな」


 言った上司の胸倉を掴んで引き寄せる。

 イリエが袖に仕込ませていた長針を手首のスナップで落とし、指に挟み、上司の首元に突きつけた。


「死にたいの?」


「ほ、本当に知らないんだよ! 俺はお前らの上司だが、組織の中でも低い位置にいる! 

 ユキの辞表を受理したとしても、話は必ず上にいくんだ、その後のことは、俺にだって分からないんだっっ!!」


「じゃあ上に直接、聞いてみるわ」


「やめておけ、いくら暗殺者同士から生まれた子供でも、優遇されるわけじゃない。

 お前の両親は優秀な暗殺者だったらしいが……、遺伝しているとは言い難いからな」


「それ、どういう意味?」


 ユキと比べてしまえば、誰であろうと期待はずれの成績に見えてしまうが……。


「お前は隙が多い。他人に潔癖で、自分には甘いんだ。

 扱いづらいんだよ、お前は。

 もしも上に噛みつけば、これを理由に厄介払いをさせられる可能性もあるぞ」


「アタシを切るわけ?」

「切るにしても組織内情報を持っているんだ、外に放り出してはいさよならではないな」


 イリエの場合、小さい頃にいたずらで秘匿情報を探し回ったこともある。

 覚えているかどうかは別だが、一度でも見られたことを自覚している組織が、対策をしないはずもない。


「ふうん、消されるわけね」

「そこまでは分からんが……、現役相手に勝てるとも限らないしな」


 イリエは現場で暗殺をおこなう実行者だ。

 同業者ならばまだしも、命令だけしているデスクワーク人に、イリエをどうこうする力はないだろう。


 上司の胸倉を離す。

 彼も慣れたもので、乱れた衣服を整えただけで、息の一つも乱れてはいなかった。


「本当に知らないみたいね。毒で尋問しようとも思ったけど……」

「やめてくれ。毒のスペシャリストに毒漬けにされたくはない」


 上司が辟易しながら椅子に座り直した。


「上のことだ、すぐに手離すことはないとは思うがな……、ひとまず連絡待ちだ。

 あればお前にも知らせる。だから今は待て」


「……分かったわよ、今はアンタを信じるわ」


 言葉だけだ。イリエはこのあとで、自力でいけるところまで調べるつもりだった。

 だから、続いた上司の言葉に、うげえ、と言った表情を見せた。


「で、仕事だ。……なんだその顔は。ユキがいない分、お前が頼りだからな?」

「気分が乗らない」


「そんな理由で辞退できると思うか? 文句を言わずにちゃんとやれ」


 一応、仕事をすることで、イリエを取り巻く今の生活が維持されている。

 仕事を放り投げれば当然、明日どころか今日の寝床さえ一気に失うような環境だ。懐にしまった現金だけは自由に使えるが……、収入が大きければ、浪費も激しいイリエの『当たり前』の金銭感覚からすれば、札束であろうと数分でなくなるだろう。


 言ってみただけで、本当に仕事をする気がないイリエではなかった。

 体に染みついた習慣は、望んでも拭い切れないものだ。


「じゃあ、レイとモモと、三人体制?」


 ユキ、イリエ、レイ、モモ、この四人でチームを組んで任務にあたっていた。


「いや、レイとモモは別の任務中でな、だから二人体制だ」

「二人? ユキはいないでしょ」


 幻覚でも見ているのか、とでも言いたげな見下したイリエの視線だった。


「穴埋め要因。新人だ」

「新人……、ユキの代理、ね」


「期待はするなよ。穴埋めとは言っても、お前に多く負担がかかるはずだ」

「当たり前でしょ」


 ユキと同等の実力者がぽんぽん出てたまるものか、とイリエが内心で吐き捨てる。


「ただ、ユキに代わる素材として、育成する気ではあるがな」

「…………」


「いや、時間はかかるぞ?」

「ふうん。で、その新人は?」



「ここです」



 天井から声が聞こえ、見上げると、四角い切り込みが入り、ぱかっと開いた。


 黒と白が入り混じったような影が落下してくる。

 デスク上のパソコンや書類などをばらまきながら、イリエの目の前に立つ、ゴスロリ衣装を身にまとう少女――。


 黒と白が入り混じる髪を左右で結び、手にはナイフ一振り。


 デスクに乗っている以上、イリエの視線は自然と上に向かい、


 見上げていることに、かちんときた。


「わたしは、せつ


「おりろ」


 名を名乗っていたようだが、それを遮ってでも優先させた。


「先輩を目の前にして、見下してんじゃないわよッ」


 相手の袖を取り、ぐいっと引っ張る。

 反射的だったのだろう、ゴスロリ少女がイリエの手を取り、空中で体を捻り、落下しながらイリエを組み伏せた。

 地面に着いた時には、下がイリエで、ゴスロリ少女が馬乗りになっている状態だった。


「ふむ。肉弾戦を得意としないイリエくらいなら、もう充分に通用するか」


「いた、いたたたた!? 腕っ、捻ってんじゃないわよ!!」

「あ。ついつい、やってしまいました」


 ゴスロリ少女は、しでかしてしまったことに反して、冷静に返した。

 初対面の先輩を組み伏せる機会など、そうそうないだろうが、それにしたって動揺しているわけでもなく、間違えたとは思っていても悪いとは思っていなさそうだ。


「アンタ、ねえ……!」


 拘束から逃れたイリエは一瞬、胸倉を掴みそうになって、ぐっと抑える。

 反射的なのだとしたら、また組み伏せられる可能性もある。分かっていれば対処できそうだが、上司が言った通りに、イリエは肉弾戦を得意としていない。

 分かっていても体が追いついてくれないだろう。


 なので深呼吸をし、一旦、心を落ち着かせる。


「……気にしてないわ」

「嘘つけ」


 上司の指摘は無視する。あとで毒を盛ってやろうかと企み、

 視線を目の前の新人に向ける。


「アタシはイリエ。アンタは?」

「せつな」


 彼女は一拍置いてから、


白波しらなみ、せつな」


 シラナミ……、と繰り返すイリエ。

 そう言えば、ユキのファミリーネームは、シラヌイだったような……?


「自己紹介も済んだところで、仕事の話をしよう」


 憧れでもあるのか、火も点いていない葉巻をくわえた上司が言う。


「これか? たばこ臭いのは女に嫌がられるのでな」

「アンタ、彼女いないだろ」


 まあ、と言いあぐねている上司に、「キモイ」と吐き捨てる。


 上司も上司で、別にいいが、と逸れた話を元に戻した。


「仕事内容はもちろん――いつも通りの暗殺だ」



 組織自体は大きくとも、点在する事務所は小さい。

 表向き探偵事務所としての看板を掲げているため、上司の社長室と客人を案内する応接間の二部屋しかなかった。


 応接間に戻ってきたイリエが一言。


「ここじゃ無理ね」


 イリエは人差し指を天井に向け、


「屋上へいくわよ」


 せつなを連れ、屋上に出る。

 周囲と比べて頭一つ飛び出た高さの商業ビルだ。

 ここなら周りから見られることもないだろう。

 強気なドローンがいてもイリエなら気づけるし、簡単に壊せる。


「先輩。屋上で、いったいなにを」


 イリエがコートを脱いだ。コートのように見えるが、実際はマントに近いか。

 黒と赤を織り交ぜた、まるで吸血鬼を彷彿とさせる衣装が晒される。


 肩にかかるほどの乱れた銀髪を手で払い、整える。

 イリエの視線に敵意ではなく、殺意が乗る。


 ゴスロリと吸血鬼が対面した。


「勝負よ。アンタなんかがユキの代理? ――はっ、認めるわけねえでしょ」


 手首のスナップを利かせ、袖から長針を落とし、指で挟む。

 一本ではない。五指に挟むように、片手に四本、そして針の先から滴る透明な液体があった。


 イリエは毒使いだ。当然、扱う武器は毒。

 分かりやすく紫色にするはずもなく、液体が付着していることすら気づかせないための透明色だ。武器を武器と相手に認識させないのが、暗殺者としてのスタートになる。


 対して、イリエの殺意を感じ取ったせつなが、スカートの中からナイフを取り出し、逆手に持って構える。腰を落とした臨戦態勢は、イリエがよく知るユキを彷彿とさせるようで……、

 それがさらに、イリエの癇に障る。


 所詮は真似事だ、ユキが持つ威圧までは再現できていない。


「アンタは、ユキの足下にも及ばないわよ」

「試してみますか?」


 口数少なく、緊張のせいなのか、分かりやすい喜怒哀楽を表に出さなかったせつなが、初めてむっとした表情を見せた。


「ユキ様の動き、思考回路は全て頭の中に入っていますから」

「あの子を侮辱しないでくれる?」


 高く昇る太陽がイリエを照らす。

 せつなから見れば逆光になり、イリエの表情が陰った。


「観察しただけで真似できるなら、見たやつ全員が成績一位よね」


 どれだけ観察しようが、真似できない生きた証拠がここにいる。

 不可能であることを、イリエは身をもって知っているのだから。


「アンタさ、ユキどころか――アタシにも勝てないでしょ?」


 その挑発が引き金となった。


 イリエとせつな……、二人の暗殺者が、衝突する。

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