第18話 共闘
「不死は能力ではない。人間からすれば、能力にしか見えないのだろうが……」
イリエの腹部に深々と刺さっていたナイフが引き抜かれた。
「うぅ、ぐ……ッ」
「元々、備わっている技術と同じだ」
ルイの足の裏がイリエの顔面を捉える。
自分は暗殺者だ、だから文句を言う権利はないが、それでも、一切の躊躇いなく女の子の顔を蹴り飛ばしたことに相手の人間性を疑う。
ルイなら絶対にこんなことはしない。
人の枠組みの中で動いていれば、
暗殺者でなければ人を傷つけることに抵抗があるはずなのだから。
そういう罪悪感は業界に染まった今となっては遠い昔の記憶で、忘れてしまっている。
中には罪悪感を抱き続けたままの暗殺者もいるにはいるが、まあ、長続きはしないのだ。
遅かれ早かれ、辞めていく。
イリエは傷口を塞ぐ薬を乱暴に塗る。
警戒していたが刺される場面はあるのだ、備えていたイリエの用意周到さが命を救ったと言えた。とは言え、塞いだだけだ。これとは別に処置をしなければいずれは死ぬ。
今だけの応急処置に過ぎない。
ふらふらになりながらも立ち上がり、服に仕込んだ毒瓶に指を向かわせる。
「透明になれるのが、アンタの能力なわけね……、卑怯な能力ね。こそこそと隠れて油断した相手の懐に入って刺すだなんて。アンタみたいな強者のすること?」
イリエ自身、嘘を吐くし、金にものを言わせた高性能な道具も使う。勝てれば全て良し、という戦略を使っている。
毒を使っていることから、正面から殴り合うタイプではない。
だから相手の戦略を卑怯だとは思っていないが、だからこれは挑発である。
強者は上から力で弱者を叩き潰すべきだ。でないと弱者の立ち回り方で、ジャイアントキリングができなくなってしまうのだから――、弱者潰しの手を使うのは、大人げない。
「――正面からきなさいよ。小物になりたいの?」
「挑発には乗らないさ。小物か大物か、そんな些事には興味がない」
手っ取り早い方法を取っているだけだと言う。
力で叩き潰す方が、かえって労力を消費するからこそ、最小限の力で確実に絶命させる方法を選んだ――、
相手は相手で、イリエを見下したわけではなく、誰であろうと本気で潰そうとしたのだ。
「……単細胞だったらどれだけ良かったか……ッ」
「不満か、人間」
「なによ、その人間って呼び方……、まるで自分が人間ではないみたいに……」
シンデレラ・オーバー現象をその身に宿して、頭までいかれたのかと思った。
能力を得たら自分が特別な人間……、それ以上の存在だと勘違いし出す者も中にはいたのだ。
技術で追いつけない能力を持つ者は、確かに人智を越えているとは思うが……、
人の形をしている時点で、人間だろう。
「人間じゃなければ、そうね――ちょっと賢い動物ね」
自分の頭を指先でとんとん、と叩く。
挑発を繰り返し、少しでも冷静でなくなってくれれば、イリエも次の行動ができる。
今のところ、喉元に刃が突きつけられた状況なのだ。
どうにかしなければ進むことも退くこともできない。
「動物か」
ルイが繰り返す。もしかして地雷、でなくとも、それに近いフックになったか?
「この世界にわざわざ降りてきたんだ、動物らしく振る舞うのが礼儀か?」
動物らしく。当たり前に繰り返される生存競争、弱肉強食の世界だ。
イリエの挑発は、上手くはいったが、しかし冷静さを維持した上で、だった。
厄介な知恵を使い、上から力で叩き潰されたらどうしようもない。
そんな窮地に、自ら進んで入ってしまった――。
「ちょっと待っ」
「舐めていたわけではないが、それでも手加減するのは侮辱に当たるか」
違うと否定するよりも早く、ルイの体が変化していく。
全身がぐちゃぐちゃにひしゃげ、人の形を失っていく。
子供が粘土で作品を作るようにルイの体が丸くなっていき、肉の塊になっていった――、
不死だからこそできることだ。
雑巾を絞ったように流れ落ちていく鮮血が、イリエの足元に波のように迫ってくる。
「な、に、を……」
いくらルイが不死とは言え、原型を留めていないほどぐちゃぐちゃにするのは、抵抗があるはずだが……、それは暗殺者に罪悪感がないのと同じだった。
不死であるルイの体を乱暴に扱うことに、罪悪感を抱かない。
綺麗な肉の球体となったルイの体が、ボコボコと沸騰するように表面に泡が生まれる。
肌色が隆起し、球体を支える足になり、自立し始める。
四足歩行の、犬か……? まだ今の段階ではのっぺらぼうなので分からないが、フォルムだけを見れば、そう判断できる。
翼。つるつるの顔を持つ犬の背に生えた大きな翼を最後に、肉の塊の変化が終わる。
……完成、だとしたら。
ルイの体を崩してまで作ったこれは、なんだ?
大きさはイリエと同じくらいだ。大型犬よりは少し大きいくらいだろうか。
犬だと見慣れないが、しかしライオンやトラはこのくらいかもしれない……。
「やはり本物を再現するのは難しいか」
粘土で形だけを整えた手抜きの完成度だ。
顔はつるつるで口も開くことができない。
声も出るはずがないのだが、イリエの脳内に直接、響くような声が聞こえてくる。
「すまない、不本意だがこの姿で相手をさせてもらう」
翼を持った犬の姿……、なにかの暗示か?
意識しているがどうか分からないが、口どころか鼻も作らなかったのは、毒を吸い込まないように、か? イリエにとっては致命的な対処法とも言える。
マスクをされているのとは訳が違うのだ、これではどうしたって、毒は相手に通用しない。
イリエの武器が封殺された。
「でも、口がなければ噛まれることもない……」
毒を防ぐために、犬に限らず、生物としての利点を捨てたのであれば釣り合っている。
イリエもルイも互いに攻撃が相手に通らないが、ゆえに防御を気にしなくていい……。
いや――爪。
ルイの四本の足の先から、太く鋭利な爪が長く伸びる……当たり前か。
牙だけが武器ではない。
「…………っ」
暗殺者として人間や兵器相手に戦ったことはあれど、本格的に野生生物と戦ったことはない。
生物である以上、毒物が通用するのだ、正面から戦う機会がない。
目の前のルイを野生生物とくくっていいか定かではないが、少なくとも、化物であることは確定している……、初めての相手だ。
毒物が通用せず、かと言って兵器のような思考をしない相手ではない。
イリエと同様の知恵を持ち、生物と同じ機動力と武器を持つ。
そして、不死であることに加え、透明化――。
「あ」
考えたそばから、目の前のルイの姿が見えなくなった。
(犬の姿をしているこれを、ルイと言っていいものかは微妙だが)
見えないだけで目の前にはいるはず……目をつぶって意識を集中させる。
足音――は、翼があるため聞こえない。では気配。
それが分かればナイフで腹部を刺されるなんて大怪我は受けていなかった。
……目安はどこだ?
口がなければ呼吸もしないのだ、音がない。
たとえあっても屋外であるため環境音に混ざってしまって分からない――、
イリエは諦めて目を開ける。第六感で分からなければ最大限、五感を使って探るしかない。
無理難題だ、だがそういう世界で生きてきた実績がある。
ユキだったらきっと、難なく相手を見つけているはずだ……。
毒が通用しなければナイフを使えばいい、たとえ使い慣れていなくとも常備はしている……、
暗殺者にとってなんにでも使える道具なのだ。
慣れない手つきで握り、構える。
周囲を警戒するが、当然、相手の居場所は掴めない。
いつ、どのタイミングで喉元を掻っ切られてもおかしくはない状況――、
頼りになる感覚は相手から発せられる殺意、敵意のみ。
自動追尾型の兵器ではないのだから、見えなくても相手の視線は感じられるはず……。
そう、既に相手の攻撃はイリエの背後に迫っていた。
「え」
イリエが気づけたのは、相手の足音でも視線でも殺意でもなく、ルイの攻撃を受け止めた人物が、イリエの背後にいたからだ。
イリエが気づけなかった、接近する相手の気配を感じ取り、
鋭利な爪の一撃をナイフで止めていた――、せつなだ。
ルイの中身の正体に恐怖を抱いていた、あのせつなが。
だからこそ気づけたのだろう。相手のアクションではなく、自身の内側から生まれる恐怖を頼りに相手の位置を特定する――、なまじ場数を踏んでいるイリエにはできない芸当だった。
強者に対する恐怖への耐性があるかないか。
ない方が、今回に限り軍配が上がった。
「アンタ……」
「先輩っ、ぼーっとしてる暇があるなら手伝ってください!」
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