第7話 コードネーム

 たまたま通りがかった知り合い……ではない。

 聞き馴染みのある声、誰もが嫉妬する高身長のモデル体型。

 

 腰まで伸びた長い髪が特徴的だった。

 彼女の露出の多い服は、その(イリエからすれば)無駄に膨らんだ胸や綺麗な肌を見せつけて、ターゲットを誘惑するためなのだろう。

 やり口が暗殺デビュー以来、まったく変わっていない。


 お色気一点突破でぶれがない。

 ずっと通用してきたのだ、つまり需要はなくならないのだ。

 これだから男のターゲットは……。


 自分の貧相な体と比較して、個人的な感情が火傷の痛みを打ち消した。


「レイ……っ」


「怒ってるわねえ。やだやだ、私がなにかしたわけでもないのに。

 この火事のことなら、ターゲットの男が勝手に――って、いるじゃない、そこに」


 拳を構えている男の存在に気づいたらしい。


「やっぱりアンタか! こうなる前にちゃんと殺しなさいよッ!!」

「お説教? そういうのはモモちゃんにあとでたっぷりされるから、いらないわよ」


 うんざりした言い方で、しかし表情はにやけている。

 怒られるのもそれはそれでありね、と表情が語っていた。


「甘やかしてんじゃないわよ……っ」


 この場にはいないもう一人のチームメイトに苦言を呈しながら、


「――気をつけなさい! あいつの拳にある炎が、そのまま飛んでくるから!」


 グローブのように拳に灯る炎の球体がそのまま飛んでくるなら、避けるのは簡単だったが、正面から風を受け止めるように、一面として熱風が飛んでくる。

 点ならまだしも、これでは避けようがない。


 イリエなりの、体験談から出るアドバイスだ。しかし彼女は、ふうん、と興味なさそうに、背負っていた身の丈以上の大きな斧を片手で持ち上げた。


 そして、ガッッ、と刃が地面に叩きつけられる。蜘蛛の巣のような亀裂が走った。

 斬るというよりも、叩き潰すと言った方が近い。

 これで斬り落としたとしても、断面はぐちゃぐちゃになってしまうだろう。


「気を付けて、って言われてもねえ。熱風は避けられない……なら。

 正面から吹き飛ばすしかないわよねえ……」


 言うのは簡単だ、どうしたらそれを実現できるのか――。

 男が拳を再び突き出し、面による熱風が、斧を持つ彼女に飛んでいく。

 そのため、面とは言え、遠い位置にいるイリエが巻き添えになることはなかった。


 状況を客観的に見れる。熱風の対処法……、彼女はどうやって――、……は?


 ぽかんと開いた口が閉まらない。

 熱風をどう防いだのか、避けたのか、気になる答えは出なかった。

 彼女がしたことは、立ち向かい、正面から堂々と――斬ることだった。


 面の熱風を、一刀両断。


 裂けた熱風は、彼女から逸れて末広がりの八の字に流れていく。


 そして、斧をぶん回し、投げた。

 愛着が一切感じられない、乱暴な攻撃だ。


 回転する斧が男の首を狙い――、

 もう、首でなくどこに当たっても、男は無事では済まないだろう。

 周囲の炎を斧の回転でかき消しながら、刃が男に迫るが、


 寸前で、斧が、どろぉ、と溶けた。


 操作した高熱で、刃を溶かしたのだ。

 勢いは残っているが、

 刃がなくなった斧の直撃を喰らっても、ダメージはそこまで大きくはない。

 一瞬で判断した男の対処が上手かった。


 斧を投げたことで武器を失った彼女を見て、男がにやりと笑みを見せ、


 ――たぁん、という音を、彼は聞き逃したようだ。


 避ける素振りも、熱で溶かす対処もせず、気づけば彼の額に穴が穿たれていた。


 反応するまで数秒のラグがあり、ぐるん、と眼球が上へ回る。


 ――そして、


 男がばたりと、膝から崩れ落ちた。


「ナイス、モモちゃんっ。さすがは狙撃手、最高の腕前ね」



 そんな誉め言葉を聞いていたかのように、自分の低い身長と同等の長い銃身のスナイパーライフルを抱えながら、ふう、と額の汗を拭って笑う、小柄な少女がいた。


 炎に包まれたビルよりも、四百メートルも離れたビルの屋上から。

 しかも、ビルとビルの隙間を通しながら、銃弾をターゲットの額に命中させた。


「レイのおかげだけどね。

 斧を投げて、炎を一瞬でも吹き飛ばしてくれなければ、射線が見えなかったし……」


 僅か、一瞬のタイミング。

 引き金にかけた指が、時間経過で固まる寸前だった。


 どんぴしゃのタイミングでチャンスを与えてくれるのは、

 幼馴染であり相棒である大人びた彼女が持つ運なのか。


「ま、これで任務は達成かな。ただ、この騒ぎを揉み消すのは骨が折れるけど……」


 それをするのは自分たちではない。

 全ての責任は、直属の上司へ集められる。


 あとのことは、彼が上手いことやってくれるだろう。


「……ん?」


 無線で相棒へ連絡を入れようとした時だ。

 ふと、気づいてスナイパーライフルのスコープを覗いてみる。


 四百メートル先のビルの内部、不穏な気配を察知したのであれば、彼女もかなりの腕前だが……、そこまではっきりとしたものではなかった。


 仲間に近づく危機を胸騒ぎとして抱き、念のために覗いただけだ。

 確認しておいて正解だった。


 イリエたちの近くに誰かいる――、正体は子供だったが、外側は、の話だ。


 皮の問題ではない。ようは、中身の問題だ。


「気持ち悪い……っ」


 子供とは思えない、不気味な存在が、そこにいる。



「あなたは、せつなちゃんって言うのね」


 男の熱風による火傷の処置を……しようと思ったらしいが、手慣れていないどころか、なにから手をつけていいのか分からないようで包帯をぐるぐる巻きにしようとしている。


 薬も塗らずにただ包帯を巻いただけだった。

 せつなは、まるでミイラのような格好だ。


「はい、新メンバーです」

「あらそう、よろしくねえ」


「あなたは――たて八馬やま・アシッド・レイさん……ですか」

「そうよお、レイでいいわ。どうせその名前もコードネームだし」


 炎の中ではあるが、殺しの現場から少し遠ざかった場所での自己紹介だ。


 暗殺者にはコードネームがつけられる。

 元の名前に寄せる者がいれば、まったく別の名前にする者もいる。

 一般社会からやむを得ず墜ちてきた者たちは、

 以前の生活から切り離すために、まったく別の名前をつけることが多い。


 イリエも例外ではない。

 イリエは本名だが、ダ・ヴィンチは当然、コードネームだ。


 理由は単純。母親のコードネームを借りただけだ。


 シンプルなもの、凝ったもの……、館八馬・アシッド・レイは、後者だろう。


「大層な理由なんてないわよ。

 順番にくじを引いて、書いてあった単語を名前に見えるように繋げただけだから」


 こだわりなんてない。

 ようは、暗殺者ではない自分とは、別人だ、というラベルを貼りたいだけなのだ。


「はい、できたわよ、処置完了!」

「できてねえわよ。アンタ、相変わらずモモがいないとなにもできないのね……」


 不器用な出来栄えだった。

 ミイラみたいになっているのもそうだが、巻く量も部位によってバラバラで、足に至っては骨折して固定しているような太さになっていた。


 まったくさあ……、と文句を垂れながら、

 巻かれた包帯を丁寧に取って巻き直そうとするイリエ。

 その作業中、はっと気づいたイリエがせつなの両肩を突き飛ばした。


「なんでアタシが! アンタが自分でやりなさいよ!!」

「はい、分かりました」


 せつなは、それが当然だと言わんばかりに自身で包帯を巻き直そうとする。

 彼女の中では、イリエが一瞬だが、やってくれたのはイレギュラーな事態であり、これが本来の自分の仕事だと理解している。だから途中で投げ出されたことに、文句はない。


「…………あれ」


 せつなは包帯を巻き直すことに手間取っていた。

 せつなも不器用なのかもしれないが、いや、細かく繊細なナイフ捌きができるのであれば、それはないだろう。


 表情には出さないようにしているようだが、度々走る痛みに、びくっと震える。

 当たり前だが、包帯を巻かれている怪我人が、自分で自分に包帯を上手く巻けるはずもなく。


 震える指が包帯を落とした……。


「あ――」


「いいから、アンタはじっとしてなさい」


 落ちた包帯を掴み、イリエが巻き直す。

 認めていないとは言えだ、短時間でも共に戦ったパートナー……、仲間? 

 知り合い、顔見知り……、今だけ限定の、利害の一致で手を組んだだけの相手だ。

 優しいとは言わせない。イリエはむすっとしながら作業を続け、


「……っ」

「先輩、先輩も同じ怪我して」


「うっさい。動くな」


 熱風を受け火傷を負っているのはイリエも同じだ。

 怪我人が怪我人の手当てをすると、やはり手間取ってしまうのは仕方がない。


 自分の手際の悪さに苛立つイリエの矛先は、

 見ているだけでなにもしない年上の彼女に向けられ、


「ぼー、っと突っ立ってるだけなら手伝いなさいよ……ッ」


「え、でも、イリエちゃんが率先してやり出したんじゃないの?」


「ちょっとくらい手伝えるでしょ!? 

 全部やれとは言わないわよっ、支えてくれるだけでもだいぶ違――っ、痛っ」


「ほらあ。あんまり叫ぶと傷に障るわよお?」


 無線機をいじりながら、視線すらイリエに向けていなかった。


 自分は関係ない、という態度を崩す気がないようだ。


「コイツ、殺してやろうかな……」


「冗談のつもりでも、冗談に聞こえないからね? 殺意の銃を向けてるんだから、その腕を斬り落とされても文句は言えないけど、分かってる?」


 暗殺者同士で出る『殺す』は現実味がある。

 息を吸うように人を殺してきた者たちだ。口に出している時点で既に実行している……、

 そのレベルの話だ。


 言われた方も、だから反射的に向かい討つのは仕方がない。

 なにも起きなかった今が特別だっただけだ。


「手伝ってあげたいけど、ちょっと待ってね、モモちゃんから連絡がきて――」


『レイ、近くにもう一人いる――気を付けて!』

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