第11話 森の中

 変化は突然だった。

 前兆も一切ない。出発してから一時間以上が経ち、まったりとした雰囲気が流れ始めたところだった――それゆえの油断だったのかもしれない。


 ヘリの機体に、衝撃が抜ける。

 がくんっ!! と大きく揺さぶられ、機体が不規則な動きをし始めた。


「ッッ、お嬢……っ、制、御が……ッッ、利きません!!」


 操縦士が必死に操縦するが、機体が振り回される。


 警告音が鳴り響き、ヘリの高度があっという間に下がっていく……、

 このままでは墜落してしまう――そうなる前に。


「脱出よ!」

「パラシュートは!? どこにもないわよお!?」


 レイが座席の近くを探しているが、


「雲の高さなら必要だけど、地面が視認できる高さでいるかそんなもん! 

 さっさとアンタの力で扉をこじ開けて、飛び降りろッ!!」


 イリエの怒声にレイも覚悟を決めたのか、


「もうっ、あとはどうにでもなれえっっ!!」


 扉が破壊され、イリエの体が浮き上がる。

 外に引っ張る、風の力だった。


 座席から手を離したら、あっという間だった――体が外に投げ出された。


 青い空、緑色の森。目的地はまだ見えていない……、森の、どこに?


 一体、どの位置に落とされるのだろうか――。


「ぎ、いぎぎぎぎぎぎぎっっ!?」


 空中で乱回転する中で、一緒に投げされただろうレイの腕を掴む。


 モモと、せつなは……?


 手を伸ばすが、さすがに掴めない。


 視界が定まらない空中で、全員の安否など、確認できるはずもなかった。



 怪我も完治していない舌の根も乾かぬ内に、二度目の大怪我だった。


 ヘリから飛び降りたイリエは、咄嗟に掴んだ仲間と共に空中に投げ出され、森に落下する。

 バキバキバキッ、と真下の木の枝を何本も折りながら勢いを殺し、なんとか即死は免れたが、やはり骨折は避けられなかったようだ。


 曲がってはいけない方向へ曲がった腕を見ながら――、

 さすがに見慣れているので今更ゾッとしたりはしないが、遅れて痛みがやってくる。

 こればかりは慣れないものだ。


 うつ伏せで地面に倒れるイリエの耳元に足音が届く。

 近い。体が動かず顔もそっちへ向けられない。

 咄嗟に掴んで巻き込んでしまった、レイだろうか……?


「イリエ先輩、折れた腕、どうしますか。邪魔なら取っちゃいますか」


「お……ッ、アンタ、どうして……ッッ」

「どうしてって、先輩がわたしの腕を掴んだから、です」


 思えば、レイを掴んだのだと、イリエが勝手に思い込んでいただけだ。

 後部座席にいるレイを、どうやって咄嗟に掴むと言うのか。

 可能性があるとすれば、隣にいたせつなを掴んだのだと、考えれば分かるはずなのに……。


 脳が無意識に可能性から排除したのかもしれない……、

 咄嗟に掴んだのがせつなである、という現実を受け入れたくなくて――。


 だが、どれだけ嫌い、認めたくなくても、事実、掴んでいたのはせつなの腕だ。


 広大な森の中。戻るにせよ進むにせよ、行動を共にする相手は、彼女しかいない。


 レイとモモは……、周囲には見当たらないようだ。


「はぐれたみたいです。通信機も落下の衝撃で壊れているみたいですね」


 砕けた無線機を茂みの中へ放り投げるせつな。

 すると、無線機とは別の、ガサゴソと茂みを揺らす音が聞こえてきた。


 ……ここは森の中でもかなり深い場所だ。

 入口付近ならともかく、野生動物が入り浸っていてもおかしくはない部分だろう……、

 人に危害を加える、気性の荒い生物が。


「い、今、襲われたらアタシはなにも……ッ、アンタっ、なんとかしなさいよ!!」


 イリエは、折れた腕の痛みに耐えるので精いっぱいだった。


「はい。先輩、もしかして痛がりですか?」

「はぁっっ!?」


 挑発に思わず乗ってしまいそうになったが、せつなは煽るために言ったわけではないらしい。

 せつなもイリエと同様に、落下の衝撃を腕を折っている……、にもかかわらず、折れた腕を無理やり動かし、ナイフを握りしめた。

 まるで、痛みを感じていないように。


「……アンタ、腕……っ」


「痛みはありますけど、がまんできないほどでは。

 カリキュラムで経験しているので大した怪我ではない、と思っていますけど」


「カリキュラム……?」


「あ、そろそろきますね。森を抜けるまで数日かかると思いますし、食糧を確保するためにも早々に出会えたのは運が良いかもしれません。先輩、すぐに殺してきます」


 言って、茂みの中から飛び出してきた大型の猪に、せつなのナイフが突き刺さる。

 即死だ。


 相手の急所を一瞬で見極め、繊細な技術で一発で仕留めた。折れた腕で。


 痛みに顔をしかめることもなく、これが普通だと言わんばかりに……。


 返り血を頬につけたせつなが、死んだ猪を持ち上げ、

 イリエに「はい」と口の端を吊り上げて自慢げに見せびらかしてくる……、

 そんな後輩を見て、イリエは思った。


 今更ながら、興味もなく知ろうともしなかったせつなの、過去――出自とは?


「……なんなのよ、アンタは……っ!」



 結局、周辺を探してみたが、レイとモモを見つけることはできなかった。

 入れ違いになったかもしれないが、かと言ってじっと待っているのはイリエに限らず、レイとモモも向かない性格だ。


 目的地は分かっているのだ、

(とは言えヘリ移動を前提にしていたので森を踏破する予定ではなかった……、

 どっちが目的地だ?)

 進んでいれば、いずれ二人とも合流できるはずだろう。


 イリエの折れた腕は添え木でなんとか固定し、回復を待つことにする。

 痛みは持っていた毒で麻痺させる。

 体に良くはない……、当然、有害だが、背に腹は代えられない。


 危険を確かめるためにも、せつなを先に進ませる。

 イリエと同じく骨折していながら、普段通りに動けるのであれば、思う存分に動いてもらおうという魂胆だ。


 ……何時間が経ったのだろうか。

 実際は二時間程度だが、イリエには十時間以上も経っているように感じられた。

 進んでも、緑、緑、緑だ。目的地に近づいているという実感がまったくない。


 せつなを先に進ませてはいるものの、果たして合っているのか……、

 まあ、逆方向に進んでいたならいたで、都市部に戻れるのだ。

 骨折のこともある、一旦、出直すという選択肢もある――、にしてもだ。


 風景が変わらない、というのが、地味に精神を蝕んでくる。


「ねえ、こっちで合ってるわけ?」


 イリエが聞いた。質問するには、合っていない場合の軌道修正のことを考えると遅いが……それほど、イリエも追い詰められていたのだ。


 ぐう、と腹の虫が鳴く。

 飲まず食わず……たかが二時間だが、精神の摩耗を考えると、必要とするエネルギーはいつもよりも多いだろう。


 歩きっぱなしなのだ、少し休憩を入れたい、とアピールするためにも声をかけたのだが……、

 せつなは黙々と先に進む。


「ねえ、ちょっとっ……無視すんな!」


 せつなに追いついて彼女の肩を引っ張ると、

 果実をかじって頬を膨らませている顔がそこにあった。


 果実なんて一体どこに……、イリエの視界には見えていなかった謎は、ようはせつなが先んじて採り、食べていたからだろう。


 ごくんっ、と静かな森の中で、その音が鮮明に聞こえた。


「食べ物、あるなら渡しなさいよ……っ」

「え。先輩もお腹が空いていた?」


 当たり前だ。しかしそんなことは、言わなければ分からない。

 手を組んでいるだけとは言え一時的でも仲間同士だ、

 コミュニケーションを怠ったイリエのせいでもある。


 せつなが果実を見つけた段階で確認をしなかったのも問題ではあるが……、

 毒味のためにもどうせせつなが先に食べるとは言え、だ。情報の共有は常識なのだから。


「というかアンタ、どれだけ食べてるわけ……?」


 口元の食べ残しや残った果実の芯が、よく見れば足下に大量に落ちている。

 きた道を引き返せるように、マーキングの意味も兼ねていたのかもしれないが、それにしても、量だ。


 せつなの細い体のどこに、果実の十個、二十個が入るのだろうか。


「先輩と違ってエネルギーを多く消費しますから」

「アタシが大して働いていない、みたいな言い方ね……?」


 嫌味にも聞こえたが、せつなはそういう意味で言ったわけではないのだろう。


 単純に、イリエとは違って、エネルギーの消費量が違う。

 そのため、補充するための量も当然、桁違いの量になるわけで……、

 果実の十個、二十個では、足らないくらいだろう。


「アンタはさ――」


 寸前で、喉元まで出かかった言葉を飲み込む。その代わりに手を出し、


「一個、寄こしなさい。先へ進むためにもアタシも腹ごしらえしたいから」


 せつなが既に食べているものと同じ種類だ、毒はないだろう。


 せつなから受け取った果実を、がり、と齧ると、

 イリエの顔が、きゅう、と中心に寄っていく。

 まだ食べごろではないようで、舌が焼けるかと思った。


「す、すっぱ……っ!?!?」

「そうですか。わたしは気になりませんけど」


 味覚がないかのように、せつなは果実をまた一個、がりり、と齧った。

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