第15話 廃墟での生活

 不便な城だった。

 ここでルイは住んでいると言うし、そんな彼のメイドとして雇われたユキも同じように順応しているのだろう……ユキならどんな環境でも適応できるか。


 水道、電気、ライフラインはない。

 食べ物も自給自足。

 ユキがいるからいいが、それまでこの少年はどうやって過ごしていたのか気になる。


 バケツを持って壁の外、森の中へ。

 しばらく歩くと、湖が見えた。

 ここにくるまで森の緑色が目隠しのカーテンのようになっていて、大きな湖にまったく気づけなかったのだ。


 狭まった視界が一気に開く。青色の湖に映る、夕日――もうこんな時間だ。


 ルイがバケツを湖に落とし、引き上げる――、

「うわっ」

 バケツの重みに引っ張られ、ルイの上半身が湖に吸い込まれそうに、


「――なにやってんのよッ、慣れてるんじゃないのッ!?」


 イリエがルイの体に抱き着き、引っ張り上げる。

 落下したバケツが転がり、せっかく汲み上げた水もこぼしてしまった……やり直しだ。


 勢い余って二人で尻もちをつく。

 イリエが怪我の痛みに顔をしかめると、勘違いしたルイがイリエに詰め寄った。


「ごめんっ、大丈夫!?」

「ええ、問題ないから……近いのよ、ガキ」


 再び水を汲むためにバケツを湖に落とす。

 繋がったロープを、今度は二人で引っ張った。こんなことならユキの監視にせつなを使うんじゃなかったな、と後悔する。イリエも力仕事が得意ではないのだ。


 苦労して、二人がかりで水を入手した。

 きた道を戻って城に帰った時、周囲は既に夜になっていた。


「ユキ!」

「バケツを持って走るなこぼれるこぼれる!!」


 数時間の苦労を無駄にする気か。

 ユキが心配で仕方がないのはイリエも分かるが、それでせっかく汲んだ水をこぼしてしまっては本末転倒だ。


 ルイの後を追って部屋に戻ると、眠ったユキの顔色がさっきよりは良くなっているような気がした。呼吸が静かになっている。

 隣にいるせつなは背筋を伸ばしたまま、お願いします、と言って見送ってくれた数時間前の体勢と変わっていなかった。


 身じろぎ一つしなかったのだろうか。だとしても、せつななら納得だったが。


 律儀というか、柔軟さがないというか、命令に依存している機械人形という感じだ。


 試験体ゆえに。せつなの芯の部分に根付いてしまった常識なのだろう。


「変化は?」


「敵はいません。ユキ様の容態は、呼吸は落ち着いてはいますが、変わりないでしょう」


 熱が下がったわけではない。

 上がるとしたら、これからだろう……ここが正念場だ。



 朝。

 イリエが目を覚ますと、差し込む光に目が眩む。


 ベッド横の窓から。寝起きに見る光量ではない。


 おかげで二度寝はしないで済んだが、しばらくは目がチカチカした。


「ユキ……」


 一晩、三人で看病をしたおかげで、熱もだいぶ下がっている。

 さすがに完全復活とは言えないが、多忙を極めたユキにとっては、久しぶりの休息日だったのかもしれない。


 こんなにぐっすりと眠っているユキを見たことがなかったし、活動時間を常に目にしていたイリエからすれば、寝ている時間こそほとんどないのも知っていた。


 週に八時間もない。

 それ以上を一日で取ったのだから、顔色が良くなってくれなければ困る。


「どれだけ背負わせていたのか、って話よね……」


 上司も組織も、ユキに依存し過ぎている。

 イリエは自分のことを棚上げして、そう思った。



 部屋から出ると廊下の先から騒がしい声が聞こえた。


 ルイとせつなだ。年齢が近いからか、たった一日で打ち解けたらしい。


 ルイの警戒が薄いどころか、一切ないだけなのかもしれないが……。


 イリエが厨房に顔を出すと、二人よりも先にテーブルに乗るたくさんの食材が真っ先に目についた。肉から野菜、果物まで、ありとあらゆる食材が並べられている。


 昨日までなにもなかったのに、

(冷蔵庫も壊れているし)

 一夜明けたらこんな状態になっていた。


 三人分のフルコースが余裕で作れる量だった。


「え、なにこれ……」


 視線をせつなに振ると、彼女がルイを見た。

 そのルイはいつも通りと言いたげに、


「良かった、ちゃんと届いてる」

「定期便かなにか?」


 こんな辺境の地に配達員がくるとは思えないが……。

 いや、ドローンという手段もあるのか。科学は日々、進歩している、わざわざ人が遠出をしなくともいいシステムになりつつあるが……だとしても都市部から距離があるはずだ。


 ドローンの充電が持つとは思えない。しかもこの食材の量……、複数回に分けているならまだしも、一度で運ぶとしたら消費電力も多い気がするが、詳しいことはイリエには分からない。

 ネットに精通するモモなら、分かったかもしれないが。


 それにしてもあの二人、今頃どこでなにをしているのだろうか。

 そろそろこの城に到着していてもおかしくはない時間が経っている――。


「分からないけど、毎日、朝になるとここに置いてあるんだよ。

 たぶん、ボクのお母さんとお父さんが送ってくれていると思うんだけど……」


「……アンタの両親は?」


 ルイが首を左右に振った。

 帰ってくる日はおろか、行先も分かっていないらしい。


 子供になにも言わずに出ていった両親……、それ以上に、この廃墟のことなど指摘したい部分はたくさんあったが――、連絡もなしに子供の前から姿を消した親は、間違いなく蒸発しただけだろう。イリエはそういう子供を何人も見てきた、だから珍しくもないと思ってしまう。


「必要なものは届けてくれるんだよ。

 食糧以外にも、服とかも。あとは……、ユキのことも、お父さんが、ボクが寂しがっていると思って、家事手伝いをしてくれるメイドさんとして雇ってくれたんだと思うよ」


 捨てた子供の面倒を、他の誰かに任せることはあるが、今回はそのケースには当てはまらないだろう。ルイが嘘を言っているようには見えない。ただそれは、真実を知らないだけ、という意味でだ。真実を知らなければ思い込みでの発言は嘘にはならない。


 両親が自分のために必要なものを送ってくれている、という思い込みは、願いか。

 自分のことを捨てていない、という幻想を抱いて壊れそうな心を守ったのか――。


 なんにせよ、廃墟に一人で住んでいたルイの言葉が全て真実とは思えない。

 もっと言えば、本人を疑っている。本当に十歳程度の子供なのかと。


 モモみたいな、見た目と年齢が合わないケースもあるのだ……、

 さすがにこの見た目で二十歳以上とは思いたくはないが……。


「それじゃあ、みんなで作ろう。なに食べたい?」


 ルイがせつなの手を引く。彼の目にはせつなしか映っていないらしい……、

 彼に懐かれないからと言って、不貞腐れて距離を取ったイリエではなかった。

 単純に、馴れ合いを好まないだけだ。


 離れた場所から二人を眺めるイリエは、違和感に気づいた。

 珍しく、せつなが動揺している。


 元々、感情は出る方だが、年下の男の子に手を引かれて動揺したのであれば可愛いものだったが、そういうわけではないように見える……、それは戸惑いだった。


 せつなはルイに、怯えているようにも見えて……。



「……アイツ、なにか見たな?」

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