第9話 彼女の行方

 館八馬・アシッド・レイが見たのは、子供だった。


 十歳、十一歳……、くらいだろうか。

 彼は大量の食糧を抱え、レイが声をかける前に遠ざかっていってしまった。


 確認できたのは背丈くらいだろう。

 炎でよく分からなかった、というのが本音だった。

 炎に映ったシルエットよりはマシとは言え……。


 シルエットと言えば、蠅の姿だったのが気になる。

 見落としたのかもしれないが、シルエットの正体である蠅はどこにも見当たらなかった。

 遠くにいた小さな蠅が、偶然、炎に大きくシルエットとして映ったのかもしれない……、

 ありそうだ。


 おおごとに見えて、実際は大したことがなかった、なんて機会はたくさんある。


「あ……、でも、目撃者を逃しちゃったわね……」


 すぐに無線機で連絡を入れる――、

 さっきまで強かった雑音も、今はまったくない。


「モモちゃんごめんなさあい、逃がしちゃったわ。そっちで狙撃できる?」


『無理。あの子、めちゃくちゃ速いのよ、ビルとビルの間を跳んで――、え……?』


「どうしたの?」


『いや……見間違いかもしれない……そうよね、きっとそうよ、だって背中から羽が生えて、どこかに飛んでいったって、そんなこと、あるはずが……』


「ふうん」


 まあ、驚きはしない。炎を放つ男を目の前で見ているのだから、今更だ。


「じゃあ、どうする? 目撃者に逃げられたかもしれないわねえ」

『どうするって……、そもそも、見られていたの?』


「分からないけど」


『ならいいんじゃない? 見逃しても。

 目撃者だったとしても、あたしたちの実力以上の相手を殺すことはできないんだから』


 その場合は、始末しようとして返り討ちにあった、という事実が必要なのだが……、


『上にばれなきゃいいのよ。だから、そうね……、目撃者を見なかったことにすれば』


 後々、発覚したら面倒なことにはなりそうだが、そうなったらなったで、その時に考えればいいだけの話だ。


 発案者のモモがなんとかしてくれると丸投げして、


「深追いはしない方がいいわね……じゃあ、イリエちゃんとせつなちゃんを回収して合流するわ。……決めておいた合流場所でいいわよね?」


『分かったわ。……あと、ばれたらあたしに丸投げするつもりでしょ? レーイー?』


「あら、ばれちゃった?」

『いっつもそうでしょ。毎回毎回、あたしにやらせて……、次はないからね?』


「そうやって文句を言いながらも、結局、助けてくれるモモちゃん、大好きよ」


 すると、一瞬の間の後に、照れ隠しのように無線機がぶちっと切れる。

 甘えた声で助けを求めれば助けてくれる幼馴染は、すごくちょろいのだ。


「ふふっ、私を甘やかしてくれるのはモモちゃんだけよ……だから守るわ」


 それは理由の一端。


 長い付き合いなのだ、暗殺者になってから、彼女とは姉妹のような関係だ。


 見た目は小さいけど間違いなく姉であるモモを、失いたくないから。


「さて、モモちゃんを存分に愛でるために戻りましょうか――」


 一仕事を終えて、レイが炎の中を引き返す。

 そして、だいぶ遅れて、パトカーのサイレンが鳴り響き始めた。



 イリエが意識を取り戻したのは、ホテルの一室のベッドの上だった。

 自分が予約した部屋ではない……内装も違うから、別のホテルだろう。


「あら、おはようイリエちゃん」


 ファッション雑誌を読みながら、ベッドの隣で椅子に腰かけるレイがいた。


 彼女が看病を……するわけがないか。

 モモに、見ているだけでいいから、とでも言われたのだろう。


 事実、イリエが目を覚ましたことに気づいたのは、しばらくしてからだ。

 イリエよりも視線はファッション雑誌に向いている。


「潜入する時の参考にするためよ」

「アンタは胸だけ出してれば誰でも釣れるでしょ」


「否定はしないけど。ただ、男にしか通用しないからねえ」


 アンタに女を相手にする任務なんかくるか、と内心で吐き捨てる。


 そういうのは相方のモモの方が向いているだろう……で、そのモモは?


「というか、なんでこんなにベッドの端っこに……」


 窮屈だと思ったら、ベッドの半分をせつなが占領していた。

 一つのベッドを二人で使っていたらしい……狭いわけだ。


 邪魔よ、と肘で落としてやろうと思ったが、

 体に力を入れた瞬間に、背骨に響くような強い電流が走る。


「ひぎ……っ!?」

「人を陥れようとするからですよ」


 殺気を感じたせつなが、無感情に見える表情でそう言った。


「だま、れ……っ」


「はいはい喧嘩しない。二人とも怪我人なんだから。

 煙を吸い過ぎたとか、全身火傷とか以前にね、

 熱風で吹き飛ばされた時に骨折、ひび、入ってるんだから。

 激しい運動なんてできるわけないでしょお?」


 骨折? ひび? イリエは自覚がなかった。


 確かに、火傷程度で体が動かなくなる、なんてことはないとは思っていたが……、

 熱風に吹き飛ばされた時に、受け身を取り損ねていたのかもしれない。

 その時に、骨折の痛みに気づけなかったのは、切迫した状況だったからか。

 火傷と重なって隠れていたのだろう。


 それはせつなも同じのようだ。

 同じ場所、同じ攻撃を受けたのだから。

 それにしては、せつなの表情に苦悶はないように見えた。


「心に体が追いついていないのねえ」

「レイ先輩、わたしは大丈夫です。もう起き上がれ……、あれ?」


「だから体が追いついていないのよ。

 せつなちゃんがどれだけ痛みに鈍感で立ち上がろうとしたってね、

 体が限界だったら動くわけないんだから」


 ベッドの上でもぞもぞと何度も試し、しかし体がどうしても動かないことにせつなが苛立った表情を見せた。接していくにしたがって、無表情が崩れていっている……。


「アンタって、別に無表情のクールキャラじゃないのね」

「……無表情のクールキャラです」


「なってねえわよ、照れてるじゃない。……それはユキの真似?」


 ユキは、無表情でこそないが、心を開いているようで開いていないクールキャラだ。


 冷静沈着。それが彼女の高い状況適応能力になっているのだろう。


「わたしはクールキャラです。このキャラでこれからはいくんです」

「それでいくって言っちゃってるじゃん」


 体が動かないので、二人で天井を見つめながら喋っている。


 隣では、ファッション雑誌に目を落としながら、耳はちゃっかりとイリエとせつなの会話を聞いているらしいレイが、くすくすと笑っていた。


「仲良いのねえ」


 そんなわけあるかっ、と反射的に体を起こそうとして、痛みで悶絶する。


 かろうじて、


「……な、け、ある、か……」

「学習しないの?」


 絞り出した未完成な言葉に、レイが溜息を吐く。


「安静にねえ。気づいてないみたいだけど、あれから三日経ってるし」


 三日!? とイリエが目を見開く。さすがに飛び起きたりはしなかったが。


 隣のせつなを見ると、なぜかどや顔でイリエを見ている。


「せつなちゃんは翌日に目を覚ましたわ。相変わらず回復は遅いけどねえ」

「……アンタ、それでアタシに勝った、みたいな顔をしてるわけね……」


「そんなことないです」


 否定するが表情で丸わかりだった。どこが無表情クールキャラだ。


「三日……、なのに、まだ体が動かないなんて……っ」

「応急処置だからねえ。あとは安静にするしか手がないのよ」


「医者は?」


「呼んでもいいの? 医者に見せたら一週間は拘束されると思うけど。

 抜け出すことも、まあできなくはないかもしれないけどねえ……。

 ユキちゃん、探しにいくんでしょお?」


 雑誌をめくりながら、重要なことをぽろっとこぼしたレイ。


「ば、場所が分かったの!?」


 イリエが飛び起き、レイに詰め寄る。


「い、リエちゃん……? 痛くないの……?」


「そんなことよりも! ユキの行先が分かったの!?」


 戸惑うレイが視線を泳がす。

 雑誌を見ていただけのレイには分からないようだ。



「それはね、まだ――」


「見つけたわよ?」


 部屋に入ってきたのは、目の下に深い隈を彫ったモモだった。

 連日、徹夜での作業が、つい今、終わったようだ。


 中学生に上がったばかりに見える、小さな体躯。


 肩にかからない赤髪のショートボブは、

 風呂に入っていないせいか、若干、色合いが暗く見えている。


 彼女はサイズの大きなパジャマを身に着けていた。

 レイのだろうか。合わないサイズのせいでだらんと胸元が開いており、すかすかな部分が強調されてしまっている。

 そこの部分が伸びているということは、やはりレイのもので間違いなさそうだ。


 彼女は足の裾を踏んで転びそうになったが、レイに支えられる。

 連日徹夜の疲労も溜まっているのだろう。そのままレイに全体重を預け、抱えられながらノートパソコンを開く――、寝ているせつなの腹の上に置き、再起動を待つ。


「ユキは一応、転職という形にはなっているけど、組織としては在籍したままなのよ。

 だからあの子が戻りたいと言えばすぐに戻ってこれる――そういう扱いみたいね」


 それが狙いだと思うけど、とモモがキーボードを叩きながら。

 レイに支えられているため、彼女は両足がぶらぶらと空中をかく。


「転職先は不明だけど……行先は、【U】都市から離れた辺境の地ね――、ここって国も手をつけたがらない、曰く付きの廃墟なのよ。

 そこにユキが送り込まれたってことは……、相当ヤバイってことだと思う……」


 組織を離れようとするユキに、組織に戻りたいと思わせるため、きつい職場に向かわせる手段を取ったのだろう……、

 だとすれば、万能なユキでも手に負えない厳しい環境に送り出す必要がある。


 もしくは、ユキほどの実力ではないと解決できないトップシークレットになっている依頼が、この機に乗じてユキに出されたか――だ。


 どちらにせよ、後を追うイリエたちには荷が重い環境であることは確実だった。


 それでもいくの? とモモは聞いた。


 イリエの返答は当然、


「いくわ」


 そして、


「ユキを連れ戻す。

 あの子がいるべき世界は、暗殺ここなんだから」

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