第30話 忘れられた人々
「今の揺れ……」
せつなとルイがいる部屋へ飛び込みたい衝動があったが、三人で固まるのは良くない。
一網打尽にされる可能性がある以上、イリエは別行動を取るべきだ。
揺れがあってからまだ一分未満、現場へいけば手がかりがまだあるはず……。
「さっきから全然見ないけど、レイとモモは無事なのよね……!?」
当然、ユキのことは心配していない。
危機に陥るはずもないし、そうなったとしても自力でなんとかできる実力を持っている。
人を殺せない不具合があるだけで、それ以外に関して、彼女の実力は衰えてはいないはずなのだから。
走りながら廃墟内を見たが、変化はなかった。
かなり大きな地震だったが、ボロボロの廃墟は崩れなかったらしい……、
意外と頑丈なのかもしれない。
少しだけ傾いているが、イリエたちが訪れた時から既にこうなっていた。
傾いた段階で支柱が地面の窪みにでもはまり、がっちりと固定されているのだろうか。
なんであれ、あの地震で崩落しないのであれば、よほどのことがなければ無事だろう。
いつ建てられたのか分からない古さだが、建てた人の力量が素人目にも分かる。
建物全体の重さを維持する支柱の強さにばかり目がいき、イリエは細部に関しては見逃していた……、無理もない。経年劣化によって細部の粗を探し始めたらきりがない。
亀裂や色落ち、積まれた瓦礫、抜けた床……、建てた段階では対処しきれないものだ。
抜けた床……、そう言えば、こんなに多くの穴が空いていたか……?
「ひっ……!?」
小さな悲鳴が漏れ、イリエが受け身も取れずに顔から転ぶ。
額を打ち、視界の中で星が飛ぶイリエの足首に、誰かに掴まれた感触があった。
……掴まれている、のだが、この感触はなんだ……?
人に掴まれた時の感覚とは違い、硬く無機質な感じがして――、
イリエが振り向く。
床に空いた穴から腕を伸ばして這い上がってくる、動く白骨の姿が。
「…………は?」
床の下、土、地中――埋葬?
白骨死体が、動いている!?
「はぁああああああああああああああっっ!?!?」
イリエの足首を掴んでいる白骨が、もう片方の腕を伸ばして、イリエの太ももをがしっと掴んだ。白骨であれ人間であれ、太ももを触られるというのは嫌悪しかなかった。
反射的に倒れたまま、白骨の顔を足蹴にし、拘束を振り解こうとする。
だが腕は取れない。足蹴にした頭部ははずれ、床を転がっていくのだが……、
イリエの体を這ってくる体の方は、止まる気配がなかった。
「動くガイコツってなによ!? こんなの相手じゃ、毒なんて効かないじゃない!」
とは言えだ。
ゆっくりと近付いてくる白骨たちは、気味が悪いものの、あまり脅威には映らなかった。
力が特別、強いわけでもない。焦ってしまって一度は振り解けなかったものの、関節に
体から離れた腕には力はなく、器具をはずすように白骨の拘束も解くことができる。
ただし、相手が一人なら。
今もまだ穴から上がってくる白骨たち全員に群がられたら、なす術もない。
力が弱くとも数が多ければ充分な脅威だ。
パワーで潰すことが目的でなければ、数の利は他のなによりも勝る。
拘束か、足止めか。白骨の目的がなんにせよ、立ち止まるのは悪手になるだろう。
「ゾンビ映画みたいね……っ、噛まれたら終わりじゃないだけまだマシだけど」
立ち上がり、距離を取ろうとした時――、がくんっ!? と。
イリエの膝が地面をついた。
「…………え」
倦怠感、吐き気、力が入らないこの症状をよく知っている――毒。
似ているが、しかしイリエが知らない未知の毒だった。
……白骨の、死体。
彼らが地中から出てきたことで、空気中には当然、彼ら、腐った死体が持つ良くないものも一緒に散布されることになり……、
足下に溜まる
……全身に回る速度が早い……、もっと、遠くに……!
白骨たちと同じ速度でイリエが距離を取ろうとするが、追ってくる白骨たちとの距離は縮まりもしないが、離れもしない。ぴったりとついてきている。このままだと先に力尽きるのは毒に蝕まれているイリエの方だ……、追いつかれるのも時間の問題――。
毒使いとして、毒のスペシャリストだが、当たり前だが知らないものには対処できない。
イリエが持つ抗体では死滅させることができない未知の毒……。
新しい毒ではないだろう、だからこそ調べれば簡単に対処法は見つけられるはずだが、しかし蝕まれた今の状態では難しい……、詰みの状態だ。
これが毒の脅威。遅効性だとしても必殺。
自身が選んだ優位に、足首だけでなく足もすくわれた。
「まず……っ、意識が、本当に…………っ」
やがて、白骨ではない足音が前から――。
「わたし用にユキ様から預かっていました……、飲めますか、先輩?」
「……アン、タ……」
「無理ならわたしが直接、流し込みます……少しだけ口を開けますか?」
意識が遠のくイリエが感じた感触。唇を割き、流れ込んでくる液体……。
薬のおかげで意識がはっきりとしてきたイリエが気づく。
目の前にはせつなの顔があり……、それにしても近いな。
まるで鼻先が触れ合い――もっと言えば、キスができる距離だが……、
「っ!? んっ、んんんっっ!?」
薬がこぼれるので暴れないでください、と目で訴えられるが、パニックだった。
口を開けないイリエの代わりに、せつなが薬を飲ませた……口移しで。
切迫した状況で仕方ないとは言え、すぐに受け入れられることではない。
落ち着く時間がほしかった……、これは医療、医療方法の一種、と自分を納得させる。
ぷはっ、と唇と唇が離れ、糸を引く。
せつなは一切の感情を持たず……、いや?
「…………」
「アンタがそんな顔しないでよ。こっちも恥ずかしくなるでしょ!?」
……ほんのりと頬が赤い。こういうことこそ、
「ただの医療行為ですよ」と言ってくれた方が、こっちも感情を落ち着けやすいのに、
と文句を言いたくなる。
「わたしのファーストキスです」
「アタシたちの職業で今更それを意識してるやつなんかいねえわよ」
イリエだってそうだが、もうファーストもセカンドもどうでもいい。
後々、任務で嫌というほどするのだろうし。
レイを見習え、キスが殺害方法の女は踏んできた場数が違う。
「……ふう、それにしても、この毒の抗体をユキは持ってたのね……」
万能とは知っていたが、自分の専門分野でさえ先をいかれているとは。
「この毒の発生源と一度、遭遇しているようでした。その時に準備していたみたいです」
用意周到というか、思い立ったら即行動するというか……、
中途半端は嫌うのだろう。だから、殺す、殺さない――組織への残留、辞める、
二つの内のどちらかを選び、二つを踏んだまま、先には進まないのだろう。
「……それで、ユキは?」
「原因の対処にあたっています」
「加勢は……、いらなさそうね」
「はい。わたしたちはひとまず、この白骨死体を撃破した方がいいです」
次々と出てくる白骨たち。放っておけば、どんどん増えていくだろう……、
全滅とはいかずとも、減らしておかなければ、後々、手も足も出なくなってしまう。
「こんな時に、レイとモモはどこにいってるのよ……ッ!」
ブブッ、ブブブッッ、と嫌悪感を抱く羽音を響かせながら、蠅の王がユキを見下ろす。
「動きが鈍くなっているな……やはり仲間は殺せないか?」
「…………っ」
「不死でなくともルイのことも殺せなかったが、それでも部位欠損くらいは躊躇っても実行していたはずだ。それさえもできないほど、この女が大事か?」
ルイの場合、腕を斬り落としてもすぐに再生することを確認済みだったからこそ、できた芸当だ。確証がなければできない――、ルイの時でも実行するまで躊躇い続けた。
助けるために必要なことだと割り切って行動したのだ。
だが……、目の前の肉の塊は、部位欠損どころではない。
本体が作り変えられ、本来の大きさを越えて膨張してしまっている。
少しの衝撃を与えただけで彼女を殺してしまいかねない……、
そんなの、躊躇うに決まっている。
レイなら、イリエなら、せつななら? 殺せただろうか。
暗殺者なら、できただろう。
モモ自身も、仲間の命を危機に晒すくらいならば、すぐに殺せと言うだろうし、その覚悟があってこの業界にいるのだ――、こうして躊躇っている方が彼女の覚悟を踏みにじっている。
これでは彼女の覚悟も一緒に揺らいでしまう。
死ぬ覚悟ができていたのに。
時間が経てば経つほど、死にたくなくなる。
そうなって悪いというわけではないが、その後の救い方が分からない。
捕らえられた仲間を縛る鎖を切って終わりとは、規模が違う。
膨張した肉の塊から元の小柄な彼女の体に戻す方法は、人の力では不可能だろう。
原因である蠅の王の協力が必要不可欠である。
彼女を元に戻すために、彼女の体を壊し、アバターとして機能できなくさせる……、
しかしその一撃が彼女の息の根を止めてしまうかもしれない……。
打つ手はあるのに、救おうとしたがために殺してしまうという詰みの状態だった。
さすがにユキでも、叩き台ですら、案が浮かばない。
出口が見えない迷宮。
どこにいけば分からないように、ひとまず目印である蠅の王と無駄な追いかけっこをしている段階だ。当然、有限であるユキの体力は奪われていく。
彼の体から出る毒の抗体が体内にあるとは言え、長時間、吸っていいものではない。
それに、
「もたもたしていると、数の利に押し潰されるぞ?」
地中に埋まっている白骨死体たちが地面を破り、這い出てくる。
動きこそ遅いが、追いつかれるのも時間の問題だ。
外壁近くのため、扇状に白骨たちが集団で迫ってくれば、ユキに逃げ道はない。
白骨は一本線として横並びではないのだ。まるで波のように――敷地内を埋めていく。
「イリエ、せつな……っ」
白骨死体、単体であれば彼女たちでも充分に対処できるが、脅威は数である。
一度でも複数人の白骨に捕まってしまえば、逃げるのは不可能……、
彼女たちが協力すれば、ピンチをカバーし合うことができるだろうが、中々噛み合わない二人にそれができるか……。
「仲間想いな女だ。ただお前のようなタイプは、仲間を背負わない方が強い――」
ユキの足下、周囲一帯から、ずぼっっ!? と、白骨の腕が飛び出した。
背後から波のように迫ってきている白骨たちだけだと勘違いしていた。
ユキが立っているこの場所も同じく土だ。
ユキは知っていたはずなのだ……、かつて王国として栄えたこの国で生活していた、住民の死体が、国と同じ面積で埋まっているのだと。
敷地内にぎっしりと詰められた人間と土を土台とした、忘れられた国。
であれば、どこにいようが白骨の脅威からは逃れられない。
安全地帯は存在しない……、土を踏んでいる限り。
「弱くなったな……、まあ、お前も化物ではなく、人間だったということか」
そして、蠅の王の眼下は、真っ白な白骨の波で埋められた。
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