8-2


 正午を告げるチャイムが、どこかにある学校から聞こえた。

 もうお昼なのであれば、河原の掃除を始めてからすでに三時間ほど経過しているだろう。

 大きなゴミの撤去と落ちているゴミを拾って分別もしなきゃいけない。

 河童の力は僕よりもはるかに強い。粗大ごみを軽々と持ち上げることができるぐらいには。でも、僕と河童が大きなゴミを運んで、窮奇が小さいゴミを拾う、それだけの人数ではとてもこの場を片づけることはなかなか進まない。


「まだ……これだけ……。粗大ごみもどこに連絡すればいいんだろう? 市でいいのか、それともどこか業者を僕が呼ぶのかな……ああいうの、お金がかかるような……」


 気温が下がってきた季節だというのに、僕の体からは汗が止まらなく流れる。

 分別して集めたごみは、この後どうしたらいいのかわからない。でも、僕がどうにかするしかない。だって、この場にいる人間は僕だけだから。


『大きなこれは、どっちへ運びますか?』

「それは電子レンジ……一番奥に置いてくれる?」

『かしこまりましたでし』


 河童に指示すれば、その通りに運んでくれる。

 はたから見れば、ゴミが勝手に動いているように見えるのだろうか。でも、ここは橋の下。土手からここを注視しなければ、ゴミがあることすら見えていないだろう。


『主! 大変だよ!』

「うん? どうした?」


 雑草の中をかき分けて走ってきたチビが急に僕の後ろに隠れた。それが何を意味しているのか、すぐにわかった。


「何しとんじゃ、若造が」

「あ、えっと……」


 ざくざくと音を立ててやってきたのは、怖い顔をした高齢男性。

 どこの会社なのかもわからないキャップから白髪が見えている。ラフな服を着たその老人が、袖をまくりながら、ゴミの詰まったビニール袋を持つ僕をジッと見ている。

 もしかして河童が運んでいるのを見られた? それとも僕が河童に話しているのを聞かれた?

 何よりこの人は人間だろうか。それとも妖怪?

 どっちなのかわからない。この老人が何を考えているのかも。


『ゴミ拾っているの、この人間に見られたの』


 足元でチビがコソコソ言っている。となれば、この老人は人間か。

 普段妖怪に対してビクビクしていたから、つい疑ってしまった。


「何しとると聞いてるんじゃ」

「そのっ! しょうじっ、を……」


 噛んだ。盛大に。

 恥ずかしくて顔が熱くなる。

 そして僕をずっと見ている視線が怖い。

 ついに僕は妖怪も、人間も恐れるようになってしまったみたいだ。


「ようやるよ」

「へ?」


 老人は足元に落ちていた空き缶を手に取った。


「掃除じゃろ? 若造が一人でやっているって近所のじいさんたちが話とった。見慣れねぇ顔だが、なんでゴミ拾っとる?」

「なんでって……汚れていたので」


 まさか妖怪に頼まれたなんて言えっこない。またしても僕は嘘くさい言い訳をしてしまった。

 刺さる視線が辛い。ああ、逃げられるなら逃げたい。


『主の嘘は下手くそだね』

『そうでございましね。そういうところも石燕せきえん殿にそっくりでございまし……』


 誰のことだろうか。僕に似ているとはどういうことだろうか。

 気になるけど、今、妖怪たちに聞くことはできない。だって、この老人がいるのだから。

 老人には妖怪が見えていない。なら、この人の前で妖怪に話しかけたら怪しまれるというか、気味悪がられる。ただでさえ、急に河原の掃除をし始めているから、変な目を向けられているというのに。


「何も一人でやることはなかろう」


 老人はポケットから何かを取り出すと、僕に投げてきた。

 胸の前に飛んできたそれを見れば、真っ白な軍手。顔を上げて老人を見ると、すでに軍手を身につけている。


「年寄りには重いものは持てんが、それでもできることはある」

「手伝って……くれるんですか?」


 僕の問いに老人は言葉で返してくれなかった。だけど、肯定であるということを行動で示すかのように、ゴミを拾い集め始める。


「ありがとうございます……!」

「ふんっ」


 口数は少ないけれど、人出は増えた。

 老人が見ていないところでは妖怪たちもせっせと掃除をして、少しだけきれいになっていった。


 ----


 空腹も忘れて続けていると、だんだんとざわざわした声が近づいてきた。

 それによってチビと河童が雑草の中に姿を隠す。


「おーい、手伝いにきたぞ」

坂部さあべさんや。遅れてすまんのう」


 やってきたのは老人集団と、僕より若い男女数人。高校生ぐらいだろうか。


「おせえんだよ。それより持ってきたか?」

「相変わらず坂部は厳しいんじゃよ。ほれ、袋とつまみ。これだけあれば充分だろがい。あと、手の空いていた孫とその友達」

「どもー」


 小柄な老人に続いて、軽い挨拶をした子はやっぱり学生ぐらいなのだろう。

 そしてそれぞれが軍手をつけ、大きいビニール袋を持っている。その姿はまさに、清掃をしにきた集団だ。


「若いモンは大きいものを運べ。老いぼれたちは小さいもんをやれ」

「相変わらず手厳しいの」

「グチグチ言わずにやるんでい」

「はいはい」


 指示を聞いて、それぞれがゴミを拾い始めた。

 総勢十数人。これだけの人数がいれば、ここがきれいになるのも時間の問題だ。

 ふと振り返ったら、河童が目を輝かせている。


「あ! さか、べさん?」

「なんだ? 口を動かす余裕があるなら、手も動かせ」

「あ。はい」


 最初に手伝ってくれた老人――坂部さんの近くで、僕もゴミを拾いながら話す。


「ありがとうございます」

「……それはこちらのセリフだ。お前は新参者だろう? 昔からここに住む奴らが汚しているのを、新参者だけにやらせるわけにはいかない」


 何だか心が温かくなった。

 全部一人で抱え込む必要はないんだと言われている気がして。そして、僕を見ていた人がいると知って。


「それにここには、昔から言い伝えもあるしな」

「言い伝え、ですか?」

「そうだ。昔はここに、河童が住んでいたって言われていた。そしてガキと一緒に遊んでいたんだ。俺も、遊んだことがある」


 河童と聞いて、河童本人よりも僕が大きな反応をした。肩が大きく動いてしまったし。

 でもそれは坂部さんには見られていなかったみたいだ。


「街が発展していくにつれて、ここが荒れていく。仕方ないことだと思っていたが、思い出の場所が汚れるのは、な。ここがきれいになったら河童が戻って来るんじゃないかなんて考えた事もあった。考えても行動はできなかったが」

「そうなんですね……」

「動けないまま、この年になった。そうしたら、見知らぬ若造がきれいにしようとしていた。年甲斐もなく、己を恥じた」


 坂部さんはグッと立ち上がり、腰を伸ばす。立ったりかがんだりが多いこともあって、体を痛めてしまわなければいいが。


『ああ、彼はあの時の子供……そうか、もうそれだけ時が経ったのですか』


 草むらの中でコソコソ話す河童。どうやら思い当たることがあったらしい。

 妖怪と人間は時間に経過が異なるのか。だとするなら、人間の一生なぢ、妖怪にとっては瞬きするほどの時間なのかもしれないな。

 一度の出会いが誰かの記憶に残る。河童の言葉が行動がまさにその通りであった。


「にしても、お前は老人が河童だのなんだの言っても変な顔をしないんだな」


 またしても僕の肩が大きく跳ね上がった。

 ここは正直に言ってもいいのだろうか。河童はいますよ、と。それで辺んか空気になってしまわないだろうか。まさに僕が過去に遭った嫌な目をずっと向けられることにならないだろうか。

 坂部さんになんて言ったらいいかわからない。


『伝言をお願いしてもいいですかな?』


 いつの間にか僕の前に来ていた河童が、僕に向けて言う。

 それを駄目だとは言うはずもなく、うなずいて返せばニコリとほほ笑んでから伝えたいことを僕に言った。その言葉を坂部さんへ向ける。


「きれいにしてくれてありがとう。負けた方が言うことを聞くって約束をしたよな。相撲で負けたのはそっちだから、約束してくれ」

「若造、お前何を……」

「この川は命に溢れている。今後もその命を守って行ってほしい――……って、河童が言ってまして。あ、ごめんなさい! 嘘くさいかと思うかもしれないですけど、言っているんです」


 信じられないだろう。初対面の相手に慰められるような言葉を言われても。でもこれは、河童が言ったことを復唱したのだ。嘘なんかじゃない。

 坂部さんには見えていないから、嘘だと言われて怒られるかも――……。


「ははっ、ありがとう。確かに俺は河童と相撲を取って負けた。負けた方が勝った方の言うことを聞くっていう約束をしていたしな。そのことを他の誰にも話してねぇんだ。なのに初めて会った若造が知っているというのであれば、きっと本当に河童はいるのだろう」

「はい。今もそこで、こっちを見て嬉しそうな顔をしていますよ」


 河童は笑うと綺麗になった皮の中へと飛び込んで行った。

 虫も鳥も飛んでいなかったのに、突然ぽちゃんと何かが飛び込んだような音を聞いた人達が首をかしげる。

 その中でも、坂部さんは不思議そうな顔じゃなくてちょっとびっくりした顔をした後、顔がほころんだ。


「今、俺にも一瞬だけ見えたよ。緑色の体が。きっとあれは河童だろう?」

「! ええ。今は気持ちよさそうに泳いでますよ」

「……そうか」


 どういうわけか、一瞬だけ河童の姿が坂部さんに見えたようだ。

 でも今は見えていない。それでも坂部さんは嬉しそうで安心した。

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