8ページ目 かわのながれ

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「はああああ……」


 少しの息抜きを兼ねて、僕は買い物に出かけた……窮奇のチビと一緒に。

 妖怪に慣れてきてはいるといっても、やはり大きな妖怪とか、見た目が怖い妖怪は苦手だ。そういう妖怪と遭遇する可能性は多いにある。だから決して遠くないところにある、お得なスーパーで買い物を済ませた。


 レジを済ませて、袋につめていたとき、先生が好きそうな甘いものを多く買っていたことに気づいた。

 先生が食べるかもわからないというのに。

 僕の暗い生活を変えてくれた先生をなかなか見かけないってだけで、無意識に先生の気を引こうとしていることに気づいて、ため息がどうしてもでてしまう。

 なんて僕は女々しいのだろうか。


『お砂糖いっぱいだね』

「買いすぎたよ。もう少し野菜を買っておけばよかったな」


 重くなったマイバッグを肩からかけて、帰路につく。

 どの道を通って帰ろうかと考えたとき、僕は普段足りていない自然を味わいたくて、少し遠回りになるけど河原近くの土手を通って帰ることにした。


 太陽光を反射して輝く川。

 平日の昼間っていうこともあって、河原で遊ぶ人はいないし、土手を通る人の数は多くない。

 自転車で駆けていく主婦。犬の散歩をしている若い人。一休みしている老人。

 各々が他の人に干渉することなく過ごしている。


『主! あそこ見て!』

「ん、どうしたの?」


 肩でチビが騒ぐものだから、人間観察をやめて言われた方向を見た。

 そこは橋の下、影の多い場所。雑草も多く生えたところに何かがいるようでガサガサと葉が揺れ動いている。


『あそこにいるよ。妖怪』

「えっ。それは……僕にはどうしようもないよ?」

『どうして? 主は主なのに? 画図がずもあるのに?』

「ああ、そうだった。まだ、先生に返してないんだよね……」


 先生から預かっている妖怪を回収するための本――画図百鬼夜行がずひゃっきやこう

 開くのも怖いのに、僕はなぜかこれを置き去りにすることもできず、今もバッグの中に入っている。

 いざとなれば、窮奇だって回収できるのだ。

 何かあったときのために、僕は手放せないのかもしれない。


『それはあいつのじゃない。主のものだよ』

「だから僕は主なんかじゃ……」

『ううん。主は主だよ』

「だから僕は……」


 窮奇との話は平行線だ。いくら否定したところで意味がない。

 はあ、息を吐いて頭を抱えたとき何か視界に異物が入った。


「うわあっ!」


 変なものが見えたから、びっくりして声を上げながら尻餅をついた僕を、通りすがりの人達がいぶかし気な顔で僕を見た。

 その視線が恥ずかしくなって、まるで何もなかったかのように顔を左に背けながら立ち上がる。


『主、大丈夫?』

「大丈夫、じゃないよ。もう……」


 僕の足元に妖怪がいる。頭にお皿を持った緑の体の妖怪が。

 それを見なかったことにして、僕は再び帰路につく。

 だけど。


『無視しないでございまし!』

「うぐっ!」


 歩き出そうとした僕の足をものすごい力でつかまれて、僕は地面にキスをすることとなった。

 体が水で濡れているからなのか、掴まれた足が冷たい。

 そしてぶつけた顔全体が痛い。

 鼻血は出てないけど、ひりひりしている。


『主! もう! 河童のくせに生意気だ!』

「河童?」


 肩から地面に移動していたチビが叫ぶ。

 聞きなれた妖怪の名前が聞こえ、僕の背中はぶるっと震えた。

 またしても妖怪に出くわしてしまった。すでに痛い思いをしているけど、さらに痛い思いをすることになるのだろうか。

 妖怪と出会うといいことがない。

 ああ、早く帰りたい。

 今度こそ僕は体を起こして、走って逃げることを決意した。


『置いて行かないでください! あなた様を傷つけようという気はないんです! ですからどうか、どうか話を聞いてください! 困っているのです!』

「うっ……」


 困っている。その言葉を聞いて、放置しておく冷徹な心は僕に持ち合わせていなかった。たとえそれが妖怪の言葉であっても、だ。

 それに、足を動かそうとしているというのに、河童につかまれた足は全く動かせない。それほど、この妖怪の力は強いのだ。


『お願いしますだぁぁぁぁ!』

「いだだだだだ! わかった、わかったから!」


 あまりにも叫びながらこめる力が強すぎて、僕の足が悲鳴を上げた。このままだとうっかり足を折られかねない。

 しびしぶだけど、僕は河童の話を聞いてみることにした。


 いくら人通りが少ない土手だと言っても、通りすがる人は多少いる。その人たちが僕を見て、気味が悪いというような目を向けてくるものだから、せめて場所を変えたい。

 それをひっそり窮奇と河童に伝えれば、コクリとうなずいてくれた。



 ----



 場所を移し、人が寄り付かない橋の下の河原に移動した。

 どんどん川に近づいていくにつれてよく聞こえてくる、水の流れる音が心地よい。

 その音をBGMにしながら河童に続いて、長く伸びきった雑草の中を進んで行く。


『困っているのはこれなんでし』

「これ?」


 かがんで姿勢を低くすれば、河童が示しているものが何なのかよく見えた。

 草のおかげで隠れていたけれど、橋の下には多くのゴミが散乱している。

 コンビニ弁当、ビニール袋、空き缶やペットボトルだけに収まらず、自転車や車のタイヤ、洗濯機に布団など。風で飛んできたとはとても言えないものまでもが散乱しているのだ。


『これのせいで、多くの生き物が苦しめられているのでし。魚も虫も』

「そうだよね。ゴミは自然を破壊するし。でも、ここがどんなに汚れていようが、君には関係のないことだろう?」


 妖怪は妖怪。人の話から生まれた存在であり、もともと住んでいる場所は僕たちと同じこの世界ではない。

 窮奇のように、画図百鬼夜行に記された妖怪であるなら、その中へ帰らねばならない。だったら、僕ら人間がどうしていようが関係ないはずだ。


『確かに、妖怪がこの世界にずっと暮らすというわけにはいかないので、関係は薄いかもしれません』

「でしょ? だったら……」

『でも、ここで生きている生き物たちには大いに関係があります。ここが美しくなれば、魚や虫たちが繁殖できる。そしてそれを狙った鳥もやってくる。自然が豊かになれば、多くの生き物が生活を潤すことができるのでし』


 汚れてしまった川では生きていけない生物を想い、河童は僕を止めたのだろう。

 例え川がきれいになったとしても、自分はそこで暮らすことはできないとわかっていても、だ。

 妖怪とは、他の生き物のことを想うことがあるというのか。


「なんでそこまで気にするの? 妖怪なのに。ほおっておけばいいのに」

『一瞬でも同じ時と過ごしているのです。だったら無関係とは言えませぬ。たとえ未来に自分めがいなくても、美しくなったここを見て、私めのことを思い出してくれることもあるでしょう。それで充分なのです』

「……そっか」


 妖怪自体、はなから存在しないもの。

 少なくとも今の科学が発展している時代、不思議な出来事があっても妖怪の仕業だなんて言いふらすような人はいないだろう。

 でも妖怪について、多くの人が知っている。

 その理由は、昔の人が記録してくれていたから。

 この画図百鬼夜行のように。


『手伝ってくれませぬか?』

「……うん、いいよ。でも、ここがきれいになったときは、元いた場所へ帰るんだよ?」

『もちろんでし』

『主がやるなら、手伝うよ!』

「ありがと、チビ」


 妖怪との口約束なんて、守られるのだろうか。

 でも、自然を破壊しているのは紛れもない人間だ。その罪は僕にだってある。

 僕と河童。それと窮奇。

 一人と二匹。

 たったそれだけの数で、果てしない掃除を始めた。


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