6-5



 網剪を回収した日。僕は廃墟街でそのまま気を失っていたらしい。

 ストレスと疲れがたたったのだろう。先生が僕を引きずって、家まで運んでくれた。その証拠にあの日僕が履いていた靴下のつま先に穴が空いていたし、つま先は皮がむけていた。


 きっと重かっただろうに、先生は家まで運んで、傷口の手当てまでしてくれていた。そのあと、僕は熱を出してしまって、余計に看病が必要になってしまったため、かなり手がかかっただろう。

 だけど今は足は痛むけど、歩いたりするのはできるし、熱も下がって生活に支障はない。あくまでも僕は、の話だが。


 先生は違った。

 出血多量に加えて、僕の手当て。

 もともと体力も生活力もない先生にも限界があったらしい。

 自分が倒れる前に、嫌々助っ人を呼んでいた。


「妖怪少年! ビールちょうだい!」


 僕の定位置になっていたリビングのソファーで、昼間から缶ビール片手に顔を赤くしているのは先生のお姉さんだ。


「もうないですよ。僕も先生も……お酒は飲みませんから」

「ははっ! だろうな。妖怪少年はともかく、あの耀司が飲むはずがない。というより、あいつはろくに食べないだろう? なんて言ったって……あ、これ以上言うと、あたしが怒られちゃうな?」


 お姉さんはソファーの背もたれに背中を付け、さらに頭を後ろへと垂らしてリビングの入口を見る。

 僕も、食器を洗う手を止めてその方向を見た。


「ギャーギャーうるせェんだよ、酔っ払いが。もう用はねェ。とっとと帰れ。じゃねぇと、その首、掻っ切るぞ」


 頭には包帯を巻いて、よろよろと姿を現したのは先生。先生の姿を見るのは、かれこれ一週間ぶりだろうか。

 元気そう……ってわけじゃないけれど、ちゃんと生きていて安心した。


「よう、可愛い弟よ。そんな事言われると、悲しくなるだろう? 網剪を回収したんだよな? どう? 気持ち悪い形してた?」

「うっせェ」

「酷い扱いだねぇ。お姉様が来なければ、ところだぞ?」

「……わかってるってーの。だから呼んだんだろうが」

「ふふふ。いつまで隠せるのかねぇ。お姉様は心配しているよ」

「ぜってぇ、心配してねぇだろうが。その顔、楽しんでる顔だろ」

「あはは! ばれちゃったか」


 姉弟の会話は、何やら一方的にもめているようにも聞こえるけど、それだけ言えるなら、先生は大丈夫そうだ。

 僕は会話をBGMに、食器洗いを再開する。


「おい、ポチ!」

「あ、はい?」


 いつの間にか先生は真剣な顔で僕の隣に立っていた。

 お姉さんもビールを飲みながら、僕らを見ている。


「えっと……いちご牛乳でしょうか? それともホットケーキ?」


 お腹が減っているのかと、先生の好きそうな食べ物の名前を挙げるもどうやら違うらしい。


「ああ、切られてしまった衣類は捨てて、新しいものを購入しておきました」

「んなこと、とうに知ってんだよ」

「じゃあ……なんの御用でしょうか? その、いつもと違うのがなんか怖い……」


 へらへらした先生ならいつも通りで、僕もそれにあった対応をするけど、真剣バージョンの先生にはどう接したらいいのかわからない。

 僕が斜め上を見て逃げるよう目を泳がしていたら、先生が小さな声を絞り出した。


「……わるかった」

「へ?」


 謝罪の言葉なんて、先生から滅多に出てこないものだから僕は変な声が出た。

 もう一度言ってくれと、聞き返すような声だったが、先生は同じことは言わない。


「もう言わねェから! いいか、ポチ! お前の目も体質も! 全部まとめて教えてやる! 教えてやるから、もう少し時間をくれ!」

「あ、はい。わか、りました……」

「ふんっ」


 ドドドと言いたい事を言うと、先生は胸を張って二階へと帰っていった。

 あっけに取られて返事をしたけど、先生はちゃんと僕のことを調べてくれている……でいいのかな。


「やるねぇ、少年。あんな弟を見るのは初めてだよ」

「そう、なんですね。僕にはよくわからないですけど……」

「大きな進歩だよ。弟もやっと決意を固めたってところかな」

「はあ……?」


 よくわからないけど、どうやらいいことが起きているらしい。

 でも、このときの僕は先生が何を隠していたのか知らなかったからよかった。

 全てを知った僕は、心を痛めることになるのだから。

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