6-4


 ボロボロのページをめくれば、今までに回収した妖怪が赤いラインで描かれている。

 垢嘗、犬神と白児。猫又に山谷響。そしてこの前の山姥。どれも記憶に新しい妖怪が独特のタッチで描かれていて、決していい思い出ではないけれど、その時の記憶がよみがえってくる。


(これ、全部先生の血なんだよな……)


 全て赤いインクで描かれた妖怪は、回収の時に先生が指を噛んで出した血で描かれているのだ。

 回収に血が必要とは言っていたけど、一体の妖怪を回収するためにどれだけの血が必要になるのだろうか。これなら貧血になるのも無理はない。


「先生は、網剪を僕に回収させようとしてたけど、この空いているページでいいのかな……というか、どれくらい小さくなったらできっ――!?」


 もともと薄暗かった頭上が、さらに暗くなって、僕は上を見た。

 そうしたら、そこにいたのだ。さっきよりも少しだけ、小さくなった網剪が。


「フシュ、フシュ!」

「ひいっ!」


 体が震えあがった。だけど、すぐに立ち上がって、来た道を戻るように走る。

 瓦礫、瓦礫、ゴミ、瓦礫。

 ジャンプして、かがんでを繰り返していると、体力の限界が近づいてきた。


「はあ、はあ……」


 肩を上げ下げして息をする。もう、走っていると脇腹が痛い。

 後ろに網剪の姿は……まだ見えない。少しならスピードを落としても大丈夫だろうか。


「プシュッ!」

「嘘でしょっ!?」


 後ろを確認して、また前を向いたら、さっきまで後ろにいた網剪が目の前にいた。

 その距離たったの三メートルほど。

 不気味に白い息を吐きながら、尾を器用に使って五十センチぐらいの石を抱え込んでいる。そんなの投げられたら……。


「シュゥゥゥ!」

「いっ……!」


 この近距離。急な展開。

 反射神経にも限界がある。

 迫りくる石を前に、襲ってくるであろう痛みを覚悟して身を守るよう腕でガードするしかできなかった。


「……?」


 全然痛みがこない。それどころか音も何もなかった。

 おそるおそる目を開けてみると、僕の前に見慣れた姿が一つ。真っ赤な血を流しながら、そこに立っていた。


「ケッ……久しぶりに痛え思いしたな。懐かしいもんだ」

「先生? その怪我……」


 先生の足元には、網剪が投げた石が落ちている。そして、先生の頭、腕……全身から血が流れている。

 痛々しい姿。なのに、先生はそういう顔をしていなくて、めんどくさそうな顔をしているだけだった。


「あー、まだでけぇな。こりゃあ、かなり痛めつけてからでねえと……ポチ、回収役か、ボコる役、どっちがいいか選べ」

「ええっ!?」

「答えが遅い。お前は回収しろ。俺が少し、あいつをしつける」


 先生は落ちていた太めの枝を手に取る。他に武器になりそうなものがなかったからなのだろうが、それだけで網剪に向かって駆けていく。

 廃墟の壁をうまく使って、網剪の上空を飛ぶ。そこで大きく腕を振ると、網剪を思いっきり殴りつけた。

 鈍い音と共に、地面へと落ちる網剪。動きも止まり、サイズも小さく戻ってきている。そんな網剪の隣に、スッと先生は降り立つ。

 今までの生活からでは想像できないほどの素早い動き。ここまで動けるなんて知らなかった。


「おい、ポチ。今の内に回収やってみろ。これだけ縮んでいるし、今なら大丈夫だ。念のため、血を取られないよう、離れてやれよ」

「え、先生がやった方が……」

「……いや。お前がやれ。のちのち必要になるんだから、練習にはもってこいだろう」

「何を言っているのかさっぱりなんですけど……」

「いいからやれって言ってるんだよ!」

「はいっ!」


 先生が怒鳴った。

 こうなったら、やるしかないんだ。

 今まで先生がやっていたみたいに、僕は固まりかけていた足の出血箇所を爪ではぎ、じわじわと流れ出てきた僕の血を指にとって本に押し付けた。


「戻れっ! 網剪ッ!」

「ピギイィ!?」


 今度こそ網剪が僕の持つ本の中へと吸い込まれていく。


 ――主。


「へ? おわ、った……?」


 本の中に、網剪の姿が描かれた。

 これで一件落着――……なんて綺麗に終わる訳がない。

 一瞬だけ。フシュ―ッとしか言わなかった網剪が、また僕にだけ聞こえるほどの音量で、他の妖怪たちと同じ言葉を放った。

 聞き間違いなんかじゃない。確実に僕に向けて言っている。


「よくやった、ポチ」


 僕の頭を、血だらけの手でぐしゃぐしゃにする先生。

 僕はその手を掴んで止めた。


「先生、やっぱり、わかりません」

「何がだ」


 まるで褒めているのに、何が不満なのか。そういう顔をしている先生は、僕の言葉を待つかのように黙り込んだ。


「僕は」


 あまり言葉がまとまらない。

 妖怪に襲われたからじゃない。

 血だらけの先生を見たからじゃない。

 ただただ怖いのだ。


「僕は何なんですか――?」


 自分がわからない。

 妖怪が見えてしまうから、襲われるだけだと思っていた。

 でも、そろって妖怪たちは僕のことを『主』と言う。

 なぜ。どうして。

 わけがわからない。

 膝を抱えて、座り込む。


「……そうだな。もう少し、もう少し待て。全部、話してやるから」


 先生は僕と顔の高さを合わせて、また僕の頭を撫でた。

 その手はやっぱり、温かくて、頼りになる手だった。



 

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