6-3
「せっ……先生っ!」
怖くて声が震えた。それでも僕は、二階にいるであろう先生を大声で呼ぶ。
だけど、足音は何も聞こえない。もしかして、先生は寝ているのか?
だったら僕は、この妖怪に切り刻まれて死ぬ……?
やっぱり妖怪に会うと、怖いことばかりだ。
もう無理。僕はここで人生を終えるのだ。
絶望を前にして、僕は近づいてくる妖怪から身を守るよう体を縮こませる。
僕は無力だ。
結局先生を頼るしかないんだ。
何とも情けない。
山姥の時も、先生が来てくれる。そう思ったから動けたんだ。
喧嘩した今は……来ないかもしれない。
先生は僕のこと、嫌いになっただろうから。
死ぬなら苦しまないようにしてくれ。
僕は歯を食いしばった。
「――よう、ポチ。相変わらず好かれてるなぁ」
てっきり僕のことなんてどうでもいいのだと思っていた。
でも違った。
声が聞こえて顔を上げたら、僕の隣にいつの間にか先生が立っていたのだ。
一切物音を立てずにやってきたから、びっくりしたけど、心の底からものすごく安心する。
「せん、せ……」
「あいつは
「フシュッフシュッ……」
先生を見るなり、網剪は僕から離れていく。その様子はまるで、先生から逃げるかのようだ。
「網を切るだけで、人を襲うなんて記録はねぇはずだが……ポチは別ってことか」
半泣きの僕を横目に、先生は納得したような顔をする。僕は納得なんて全くしていないのに。
「んじゃあ、とっとと回収っと。戻れ、網剪」
いつも通り、先生は自らの血を本に吸わせて、妖怪の名前を呼ぶ。そして網剪は、いつもと同じようにその本へと戻っていく――はずだった。
「いっ……!」
本に吸い込まれていく途中、網剪のハサミが、僕の足をかすめた。
痛みとともに、じわじわと血が流れる。そしてほんのわずかな時間で、網剪は自らのハサミに付いた僕の血をペロリと長い舌で舐めた。その途端、本に戻ることなく、リビングの方に再び姿を取り戻して着地した。
「はあ!? くそ、やべぇな……。あいつ、ポチの血を飲みやがったのか。俺でどうこうできるか、こりゃあ……」
先生の顔に焦りが見えた。この顔は、猫又を回収しようとしたときに、ページがくっついてしまっていてできなかったときと同じ……いや、それ以上だ。
余裕なんてない。あれだけいつも、自信満々であるのに、今は眉をしかめている。
「ポチ。この本を持って、何が何でもあいつから逃げろ」
先生は妖怪を回収していた本を、無理やり僕に押し付けてくる。
「え? だって、先生が回収してくれれば終わるんじゃ……」
「それが今はできねぇんだよ。お前の血を飲んだからっ! いいから俺の言うことを聞いとけ。あいつを弱らせないと、回収は無理。飲んだ血は少しだから、時間が経てばもとに戻る。そうしたら、お前の血であいつを回――」
僕の隣にいた先生の体が急に消えた。正確には、サイズが大きくなった網剪の尾によって、体を弾かれて反対側の壁に飛ばされていた。
「先生っ!」
壁に背中を打ち付けて、先生はピクリとも動かない。
「プシュゥゥゥ……」
じわじわと網剪が僕に近づいてくる。
僕の血を飲んだから、網剪は回収ができなくなった?
時間が経てば戻る?
最後に先生が言いかけたのは、僕の血であの妖怪を回収するってこと?
わからない。
でも、今は先生の言うことを聞くしかないのだと思う。
「っ……!」
渡されたのだから、きっと僕がこの本を持っていけということなのだろう。
だって先生は無意味なことはしない。行動すべてに意味がある。だから僕は本を持って走った。
家の中では狭すぎるから、靴を履く間もなく、リビングの窓から飛び出す。
「時間を稼げばいいんでしょっ……!」
だったら走るしかない。
少し外は暗くなってきているけど、まだまだ真っ暗というわけではない。もう少しだけ暗くなるまで時間がかかるだろう。
先生の言う通りにすれば、きっとどうにかなる、いやしてみせる。
「ひいいっ! 着いてきた!」
僕のあとを着いてくることはわかっていたけど、やっぱり後ろに網剪が来ている。
しかも、地面を這うように進むモノだと思っていたが、あいつは空をも飛べるらしい。
そんなの卑怯だ……なんて、言っていられない。向こうは妖怪だから、何でもありだ。
でもやっぱり。
「何で僕なんだよぉぉ!」
走りながら叫ぶ。網剪に切られた傷は浅いけど、ちょっと痛い。
でも幸いなことに、網剪の進むスピードは速くないから僕が走れば互いの距離が広がっていく。
「ぎゃああああああああ!」
僕の声がこだまする。
僕はただ、走って逃げるしか能がないから。
でもその途中で、先生の本のことを思い出した。
(あそこなら……)
家の敷地から出て、廃墟街をうねうねと曲がって進み、身を隠せそうな建物裏にやってきた。
細い道になっているから、あの大きい網剪の体のままではここへやってくることはできないだろう。今の内にと、できる限り体を小さくし、壁に背中を付けながら本を開いた。
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