7ページ目 かぜきり

7-1

 すっかり季節は変わって、木の葉が紅く色を変え、宙を舞うようになった。

 どれだけ時間が過ぎようと、先生の家からはまったく季節の変化を実感できるようなものはない。唯一、テレビで流れる美しい紅葉の風景を見て、「秋だなぁ」と感じることができる。

 季節が巡っても、僕たちの生活にこれという変化はない。


「ポチー、買い物」

「はいはい。今日は何を買ってきたらいいですか?」

「ん」


 相変わらず僕は先生の手足として働いている。パシリとか、ハウスキーパーという言い方もあるけど、ここはあえて『手足』としてほしい。他の言い方はどこか他人行儀な感じがするから。


 ダラダラと過ごす先生からの頼みは多々ある。何かをしてくれという内容だが、どうやら今日は、お使いしなきゃいけないものが多いらしい。

 渡された小さな紙に書かれた買い物リストを見れば、ずらりと物の名前が並んでいる。上から見て行けば、ワイヤーにペンチ、ニッパーに軍手……その他工具が多数。一体何をしようとしているのか、さっぱり僕にはわからない。


「何か作るんですか、これ」

「おう。ちょっと、な。うちの中に厄介な奴が入り込んでいるから、そいつを捕まえようかと」

「へぇ……どんなものが? 虫ですか? 珍しいですね」


 先生の家の周りには自然という自然がない。だから生き物がいない。虫すらもだ。

 なのに家の中に現れるなんて、珍しいこともあるものだと、聞いてみたのが悪かった。


「何ってそりゃ……妖怪だ」


 さあっと血の気が引いた。

 家の中に妖怪が?

 僕はへなっと力が抜けて、リビングの床に座り込む。


「おいおい、こんなとこで腰抜かしてるんじゃねぇよ」

「だって、よ、よ、妖怪がっ……」


 家の中に妖怪がいるなんて。全身鳥肌が立つ。

 また僕を狙ってきたのかもしれない。だったら、この家に居ると襲われるかも。

 鳥肌が静まらないかと僕は腕をさする。


「はあ……。大丈夫だってーの。あれは人を喰うような妖怪じゃねぇし」

「でも妖怪ですよね!? また痛い目にあうのは嫌です!」

「痛くはねぇよ、多分」

「多分って!?」


 ギャーギャー騒いでいる僕の背中を、ため息交じりで先生は強く押す。


「大丈夫だ。お前は死なねぇ」

「そんな根拠のない言葉を信じるなんて無理がありますよ」

「根拠ならある。外には天狗がいるしな」


 確かにいつも外には天狗がいた。だけど最近は姿を見ていない。もしいたならば、網剪あみきりに襲われたときに助けてくれてもよかったじゃないのか。あの時は天狗を見かけなかったし、助けてくれる人もいなかった。

 だから今、天狗がいるから大丈夫と言われても、すんなりと「はい、そうですか。わかりました」なんて言えっこない。

 手助けしてくれないのなら、いてもいなくても変わらないだろうに。


「そんな顔すんなよ。とりあえず、そのメモの奴を買ってこい。それで妖怪捕まえるんだから」


 僕には選択肢がない。

 家の中で知らない妖怪に出会うか、買い物をしているところを襲ってこない妖怪に見つめられているか。

 どっちにしても、妖怪が絡んでくる。


「よし。行ってこい!」

「……はい」


 心の中は雨模様のまま、僕は先生に頼まれたものを買いに行くことになった。



 ----



 買い物中は天狗にずっと見られながらリストの物をカゴに入れていく。

 少し遠いところにあるホームセンターまで歩いてきたけど、その間もずっと天狗に見られていた。


 天狗は僕と距離をとりながらも、まるで人のように歩いて僕のあとに続く。その様子は奇妙すぎるだろう。

 ずっとついてくるストーカーのような天狗の行動に、僕の体はずっと震えていた。


 他の人には天狗が見えないから、僕がビクビクしながら買い物をしているように見えているだろう。店員さんにも、僕が万引きしようとしたけど怖気づいているかのように見えたのか、ずっと刺さる疑いの視線が痛かった。


「これで……いいかな」


 ぐるぐると店内を歩き回って、必要なものは全部カゴに入れたはず。人と天狗の視線から逃げるためにも、すぐに会計を済ませて帰りたい。あ、でも帰っても妖怪が家の中にいるかもしれない。だったら帰りたくない。

 考えてみたら、帰っても帰らなくても妖怪から離れられる場所はないじゃないか。

 僕は妖怪と切り離されることはないんだな、きっと。


「はあ……うわっ!」


 肩を落としていたら、急に目の前に赤い顔が現れた。誰の顔って、そりゃ天狗に決まっている。

 びっくりしてそのまま尻餅をついたら、店員さんだけじゃなくて、お客さんも含めたいろんな人の視線を集めてしまった。

 体中の熱が顔に集まる。

 見られていることが恥ずかしくなって、うつむきながら立ち上がってすぐその場を離れようと足早に歩く。


「っ……!?」


 僕の前に天狗が立ちふさがった。何を意味しているのかわからなくて、すぐに別のルートでレジに向かおうとしたらまた天狗が邪魔をする。

 いくら迂回しても、俊敏な動きをする天狗に阻まれる。何回もこれを繰り返せば、さすがに僕も腹が立ってくる。


「もう、何っ? 僕、何かした?」


 小さな声でそう言えば、天狗は首を横に振って。そして棚の一角を指さす。


「へ? あ……先生が買って来いって言ってたやつ?」


 棚に並んでいるのはニッパーとペンチ。

 僕が持っている買い物リストには入っているけど、買い物カゴにはまだ入っていないものだった。


「……教えてくれたの? あ、ありがとう」


 天狗は深くうなずいてから、今度こそ僕の後ろへまわりこむ。

 どうやら買い忘れがあることを教えてくれていたらしい。怖いけど、天狗はいい妖怪……なのかもしれないと思った時間だった。



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