4ページ目 やまのこえ

4-1

「つっかれた……」

 

 太陽が僕たちを燃やすかのように照らし続けており、ぬぐってもぬぐっても出てくる汗が、滝のように流れていく。

 何度も僕がこぼす弱音を見事なまでに無視する先生の後ろを、僕は重い足取りで着いて歩く。


「先生。まだですか?」

「……まだだ」


 もうかれこれ、一時間は歩きっぱなしだ。僕の体はいまにも溶けそうなほど、熱を保っている。汗をかくのは、体温を調節するためだっていうけど、今の僕にはこの汗が何かの意味を持っているとは考えられない。

 無駄に水分を排出しているようにしか感じられないから、僕の頭はすでに思考停止しているかもしれない。


 それほどまでに暑い日なのだ、今日は。なのに突然、「山登りにいくぞ」と言う先生は、僕の前で何事もないかのように歩いている。

 先生は汗一つかいてないのはなんでだろう。こういう時、先生の体力はお化けみたいだ。それと、暑さを感じないのかもしれない。そんな人、いるとは思えないが。ものすごく暑さに強い人なのだろうか。


「グチグチ言うなよ。もう少しで着くから」

「さっきからもう少しって言ってますけど、どれくらいなんですか。今朝だって早起きでしたし、よくわからないまま来ましたけど」


 起床時刻は朝の四時。まだ薄暗い時間にたたき起こされた。

 そして「出かけるからさっさと起きろ」、なんて熟睡していた僕の頭は理解が追い付けなかった。

 先生が僕を連れていくということは、妖怪を回収するということだろう。そうでもなければ、僕と一緒に出掛けるなんてことはしない。そこまでは寝ぼけた頭でも考え着いた。

 それ以上のことは何もわからなかったけれども。


「あっつ……」


 顔を上に向ければ、憎いほど空を遮るものがなにもない。

 言われるがまま来た、この地。

 時計は持っていないけど、太陽が真上にあるから多分お昼ぐらいだろう。お腹が空いてくる時間だよ。


 歩きながら周りをよく見る。

 人里離れたここは、山に囲まれ、自然が豊かだ。そう、豊かすぎるほどに。

 電車だって、ほぼほぼない。ここに来るときの電車に乗っていた人も数えられるほど。バスだって一日に二本ぐらい。それに乗り遅れたら、野宿になるだろう。


 緑が多く、人がほとんどいないここに、どんな妖怪がいるのか。少しは気になるけど、できれば出会いたくない。

 まあたとえ妖怪に遭遇したとしても、先生がきっとなんとかしてくれるだろうけど。

 僕を餌にして妖怪を回収する……いい方法だとは思うけど、もうちょっと気の抜けた


「あそこの山だ。そこにいるらしい」

「山、ですか? まさか山姥やまんばとかいうんじゃ……」


 山姥と言えば、老若男女、多くの人が名前を知っているくらいには有名だ。どんな妖怪かっていうのは詳しく知らないけど名前を聞くだけでも怖い。


「それは今日の目的じゃないな。まだ山姥の居場所はつかめてねぇ」

「うわっ。『まだ』ってことは、結局いるんですか山姥も」

「まあな」


 全身ゾワッとした。妖怪怖い。平然と言える先生も怖い。


「山姥じゃないって言うのなら、何がいるんですか?」

「あの山にいるのは――幽谷響やまびこだ」



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 さっきまで暑かったというのに、山に入れば少し肌寒いくらいに涼しい。

 遠くで鳥がさえずる声が聞こえたり、水が流れる音も聞こえる。

 先生の家には自然が皆無と言っていいほどないから、これだけの自然に囲まれるのはかなり久しぶりで心地がいい。

 深く深呼吸をすれば、新鮮な空気が体に染みわたっていくのを感じた。


「よし」


 登山用に舗装された道を進んだ先。かなり開けた場所で先生は足を止めた。

 景色もよく、近くの山々がよく見える。きっと、紅葉の時期にもなれば絶景が見れるのだろう。

 そんな場所には木製のベンチがおかれており、一休みできるようになっている。だが、人は誰一人いない。

 それでどころか、「KEEP OUT」って書かれた黄色いテープが落ちているのが気になるんだけど。

 先生はテープに目もくれず、落下防止の柵の方を指さして僕を見る。


「ポチ。そこから叫べ」

「はい?」

「なんでもいいから、叫べ」

「そんなこと言われても……」


 急に叫べと言われても困る。叫ぶのだって恥ずかしい。あと、ちょっと休ませてほしい。

 まだ喉もカラカラで、足がヨボヨボになっている。それでも先生は容赦しない。


「早くしろ。叫ばねぇと始まらねぇ。炎天下で居残りだぞ」

「うっ……それは嫌です……わかりましたよ。なんでもいいんですよね?」

「ああ」


 覚悟した。だって、早く帰りたいから。

 すっかり手入れをされずに、雑草が覆ってしまった柵に前まで移動し、すうっと息を吸い込んでから、叫ぶ。


「やっほー!」


 僕の声は静かな山に届いていく。

 右の奥の方から、よくわからない鳥の集団がバサバサと羽ばたいて飛んだ。

 その鳥たちの姿が見えなくなってから、先生が鼻で笑う。


「だっさ」

「うるさいですよ!」


 小馬鹿にするような言い方。でももう、それも慣れたもの。

 いつもの先生だ。もうなんだっていい。早く回収して、帰りたい。


「お、くるぞ奴が」


 先生が山の上へと続く道の方へ顔を向けた。

 その視線の先へ僕も目を向ける。


「ひぃぃっ! またいるじゃないですかぁ!」


 先生を盾にするように、後ろに隠れる。


「たりめぇだろ。あれを探しに来たんだから」


 そこにいるのは犬とも言えない不思議な獣の姿。

 真っ黒な体。犬のように座ってはいるが、顔つきが違う。

 垂れた耳に大きい鼻。裂けた口が怖い。


「『やっほー!』」


 妖怪の口からは、さっき僕が叫んだ言葉が出た。

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