7-3
部屋の隅に捕獲器を設置。僕はその片側に入り体育座りをして罠にひっかかるのを待つ。
もう夜も遅い時間。体と頭は眠りを求めているけれど、不安と恐怖がそれを許さない。
「はぁ……」
僕の口からは深呼吸と一緒にため息も出る。
もう捕獲器の中に入ってから二時間は経っているのだ。なのに一向に相手は現れない。
ちなみに先生はというと、どこか嬉しそうに足取りを軽くしながら自分の部屋に戻っていってしまった。
たった一人で残された僕は、妖怪――
窮奇については、あらかた先生から話を聞いている。
名前の通り、鎌をもっていて人を傷つける。だけどすぐにその傷を癒す。一見、意味のなさそうな行動ではあるが僕にとっては大きな意味をもってしまう。
僕の血が、妖怪を強くしてしまうから。
だから切られぬようにしなければならないのだと。
だからと言って、僕がこの鉄網の中に入るしかないということではないと思うんだけども。
――ガタリ。
積まれている段ボールが落ちるような音がした。
鎌鼬が部屋にはいってくることができるようにと、この部屋の扉は微かに開けられている。物音立てずにやってくることは可能だ。
暗闇で視界が悪いからか、片付けられていない荷物にぶつかったのだろう。
怖い。
僕も部屋の中はよく見えていない。だから音と勘が頼りだ。
「ぎゅぅ?」
「……っ!?」
よくわからない鳴き声が聞こえて、思わず息を呑んだ。
小動物のような声ではあるが、この家に、そしてこの廃墟街に生き物はいない。となれば、今聞こえた声は妖怪だろう。
薄暗い部屋に、わずかに何かがうごめいているのが確認できる。
見たくないと、顔を壁際へ背けたとき、ガシャンと大きな音を立てて捕獲器の罠が作動した。
「ひいっ……も、戻れ。窮奇っ!」
見えなくても目の前にいるはずだからと、小さな針で指に傷をつけて出てきた僕の血を本に吸わせる。
いつもなら本に吸い込まれていく姿を見ることができる。でもそれは、周りが明るいから。
暗闇の中ではその様子が全く見えない。
これは……どうするべきか。
「あ、電気……」
暗いのが怖いから、念のために小さいペン型ライトをこっそり持ってきていたんだった。
ポケットの中に入っているそれを、暗闇でガサガサ取り出して、手探りのまま操作したら、何とか明かりが灯る。
細い明かりであたりを照らして、周りの様子を確認した。
「いな、い……よね? うん、だってさっきこの本に回収したんだもの。ふぅ、よかった……っているぅっ!?」
僕の目の前には何もいない。そう、捕獲機の中にはいない。
何かの姿があったのは、僕の右斜め前。
段ボールの陰から顔を出している姿が一つ。丸い目がライトの光を反射させて光っているから、そこにいるのだとわかってしまった。
そして光めと僕の目が合ってしまっている。
ここで僕がすでに手作り捕獲機の外にいたら、身の危険を感じていただろう。
でも今はまだ、狭い捕獲機の中に僕はいる。
おかげで上下左右、前と後ろ。全ての方向に金網の壁があるから、僕の安全は何とか保たれている。
「なんでっ!? さっき窮奇はこの本の中に入ったんじゃないの!?」
手元の本を照らす。
そうしたら、本には赤い線で描かれた窮奇がちゃんと記されている。
ページ真ん中の右寄りの所に、腕を広げた鼬の姿がある。いや、それしかないのだ。
僕に芸術性があるわけじゃないけど、この絵には、何かが足らない。
少し殺風景なような気がするのだ。
『兄上……兄上っ!』
「ふぇ?」
頭の中に直接響くような声にライトを声が聞こえた方に向ける。
するとさっきまで体の大半を隠していた窮奇が、僕の頭の上の金網の上に乗っていた。
耳から入る音は、「キイキイ」と甲高い動物のような声。
だけど、頭の中ではずっと「兄上」と泣き叫ぶ声が響き渡っている。
耳と脳。入って来る情報が異なるせいで、僕の脳が情報処理できなくて、パンクしそうだ。
『兄上っ、兄上っ!』
「なんなんだよ、もうっ……」
頭上で鳴いて泣く窮奇。
そもそも妖怪である窮奇が泣くなんてことがあるのか?
「わかったから! 兄上がこの本に回収されたやつだよな? お前は弟なんだな?」
『兄上ぇぇぇ!』
わかったから声を小さくしてほしい。
キンキンと高い音が僕の頭をさらに痛めつけてくるから。
「お前はお兄ちゃん大好きなんだな? な?」
『ひっく……兄上は家族。お前、人間? 人間、嫌い』
「うん、人間だよ、僕は」
『人間なのに、僕の声がわかるの?』
「……ああ。なぜだかわかるんだ」
『変なの』
窮奇は大きい声で鳴くのをやめた。
上から僕をジッと見つめて、俗にいう目と目で会話をしているような状態だ。
名前の通り、妖怪だけど鼬みたいな見た目だから、おとなしければ可愛いもんだ。てっきり手足に鎌があると思っていたけど、それはなさそうだし、ほぼほぼ鼬である。
違いと言えば……うん、違いがわからない。
『兄上を返して』
「それは無理な相談だよ。君らは妖怪でしょ? しかもこの……なんだっけ、この本。これの中から出てきた妖怪。えっと名前は……」
手元の本を窮奇に見せる。そうしたら、窮奇は見たくないというかのように、顔を背けた。
「これ、君たちのことを記録した本のレプリカだって言ってたよ? この中に記録されていた妖怪が飛び出してきたんだって。だからお兄ちゃんがこの中に帰った」
『知らないもん』
「嘘は駄目でしょ、嘘は」
『妖怪だもん。嘘はつくもん』
「ああ、そうだったな。お前は妖怪だもんな」
どうやらこの窮奇は、話が通じるし、戦意はなさそうだ。
家族想いの幼い妖怪。それがこの窮奇なのかもしれない。
『ねえ、本当に人間なの? お前から懐かしい匂いがする』
「うん? 人間だよ。正真正銘。って言っても、証明できるようなことは何もないけどさ」
『……兄上も言ってたけど、ここの家、他にも懐かしい匂いがする』
「他に? でも、ここに住んでいるのは僕と先生だけだけど……」
たまに先生のお姉さんが訪問するけど、基本的に住んでいるのは僕ら二人だけ。
懐かしい匂いって何だろうか。
妖怪の感覚からして懐かしい匂い……うん、考えてもわからないからこれ以上頭を使おうとするのはやめよう。
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