5-3


「置いて行かないでくださいよ! 先生はどこに行くっていうんですか? 一人になったら余計に妖怪に連れていかれちゃう! 僕、死にたくないです!」

「どうどう。ポチ、お座り」

「座ってられませんってば! 山姥出たらどうするんですか!」


 先生を離さないよう、腕をつかんでいるのだから、見る人が見たら変な目を向けられるかもしれない。別れ際のカップルかって。

 でも、そもそも僕たち以外に誰もいないし、僕だって必死だ。

 このまま一人で、山姥がでるかもしれないこの場所に残されるなんて、怖すぎて無理。


「馬鹿か。山姥が出るのを待ってるんだよ。出てきてもらわなきゃ困る」

「でも! 先生が一緒に居たっていいじゃないですか! 僕を一人にしないでぇ」

「泣くな、気持ち悪い! 俺がいると来ねえんだよ! ちゃんと見てるから安心してステイ!」


 まだ、泣いてなんかいないし。

 無理やり先生は僕を引きはがす。


「少し離れたところから見ているから、お前はここでステイ!」

「でもぉ……」

「安心しろ、上には天狗がいる」

「余計に怖いんですけど……」


 先生ならまだしも、妖怪に見られているのは怖いでしょう。僕は怖いんだって。

 でも先生は僕の声を聞かない。ちょっと含んだ笑みを浮かべながら、上へとつながる道を歩いて行ってしまう。

 今度こそ、僕はベンチに取り残される。

 上を見れば、青い空と白い雲。そして、大きな鳥の姿。あのサイズの鳥は、先生と初めて会った時に僕にぶつかってきたやつだろう。確か天狗と一緒に飛んでいたやつだ。

 待ってよ、天狗が上にいるって言ってたはずなのに、いるのはセットの鳥だけじゃないか。先生のウソつき!


「怖い怖い怖い怖い」


 自分で自分の体を抱きしめて、左右をきょろきょろ見る。

 よし、誰もいない。大丈夫だ、きっと。いや、大丈夫か?

 空以外に妖怪はいない。ああ、空からとびかかってきたらどうしよう。

 そもそも、山姥って飛ばないよね?

 山姥と言えば、人に近い姿だよね?

 だったら歩いてくるかな。山の斜面からとか……いや、いない。ちゃんと周りは見たから。


 それにしても、いつになったら先生は戻ってくるのだろう。山姥が来たら来てくれるだろうけど、来なかったときは?

 夜もここで待機なんてことになったら……無理、僕、途中で帰る。

 バスに乗れるかな。なかったらタクシーで……あ、僕電話持ってないじゃん。これじゃあ、タクシー呼べないし。仕方ないバスに乗って……。


「ああっ! お金は全部先生が持ってるんだったっ……!」


 冷静になろうと色々考えて、最終的に逃げる方法を模索した。だけど、僕のポケットにはペットボトル一本買えるぐらいの小銭しか入っていない。

 そもそも給料はないから、先生から渡されるお金でやりくりしているし、先生自体がお財布だ。こんなお金じゃ、僕は一人で帰れない。


「僕も財布ぐらい持ち歩かないと駄目じゃん……。いや、わかっていたけどさ……」


 自分が情けなくなってきた。

 どうあがいても何もできない。山姥を回収しなければ、帰ることはできないのだ。

 膝を抱えて顔を伏せる。

 今度財布を買ってもらおう。あと携帯電話も。

 僕の思考は現実から逃げる方向へと進む。

 あれこれ考えているうちに、どんどん日が傾いてきた。

 お金もない。食べ物もろくにない。寝床すら。

 山の中で野宿なんて恐ろしいじゃないか。


 ――ぐうぅぅ。

 僕のお腹の虫が鳴る。朝ごはんは食べたけど、お昼は食べていない。飲み物は持ってきていても、食べ物はゼリー飲料一つだけ。それも食べ物と言っていいのか微妙なところだけど。


「お腹減った……帰りたい」


 夜は妖怪が多く現れる。不気味な妖怪たちが。


 昔。小さいときに育った施設でもそうだった。電気が消えた後に、ヒタヒタと足音を立てながら近寄って来る、人ならざる者。

 僕にしか見えないそれが、一つ一つ部屋を覗き込んで中にいる子供を確認するのだ。そこに僕がいるのかどうかを。


 僕は気づかれないように、毛布を頭までかぶって、いつもなら信じていない神様にひたすら見つからないことを祈るばかりだった。そのせいで、眠れない日が続いた。

 小さい子供ながら、目の下にクマを作って、やつれた顔をしていたと思う。施設の大人や、学校の先生に心配されたけど誰も僕の言葉をまるまる信じてくれる人はいなかった。


 その時は絶望したものだ。

 泣きながらベッドで一人、眠ることになったとき、奴はまた来た。

 そして鍵がかかっていたはずの僕の部屋の扉を開けて、僕のベッドの隣に立つ。

 毛布をかぶっていたけれど、すぐそばにいることなんて気配でわかっていた。


『――美味しそうな主よ……』


 確かに聞こえた。枯れてガサガサの声で、そいつはそう言ったのだと。

 そのあとすぐに、僕は毛布の上から的確に首を絞められた。

 息ができず、声も出せない。苦しい。怖い。死にたくない。その思いが通じたのか、施設の大人たちが偶然巡回で回ってきた。苦しむ僕を見て、慌てて病院に連れていかれ、あらゆる検査をされた。結局原因はわからないって言われたけど、僕の首に残っていた大きな手形に大人たちは首をかしげていた。


 物理的にも、精神的にも耐えられない。

 あんな思いは二度としたくない。


「――……そこにお兄さんや」

「はい?」

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